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“20世紀のはじまり、ピカソとクレーの生きた時代”(Bunkamura ザ・ミュージアム)

2009-03-13 23:24:38 | Weblog

 渋谷はネオンがにぎやかで人通りも多く愉快。夜、7時半、小雨の中、渋谷駅からBunkamuraまで歩く。春の夜でややなまめかしい。“ピカソとクレー”展を見る。 

 第1章表現主義的傾向の展開:アンリ・マティス「午後の休息」(1904)は色が美しい。ス-ラ、シニャックらの点描の画法を使っている。後年のマティスの激しさはうかがえない。老年の彼の雰囲気に似ているかもしれない。 アウグスト・マッケ「フリブール大聖堂、スイス」(1914)は実在しない鉄塔を現実の聖堂の横に描いている。静かに衝撃的である。 マルク・シャガール「バイオリン弾き」(1911)はまだ若い頃パリにでてきたばかりの彼が描いた絵で赤が基調である。後の青が特徴的なシャガールとは異なる。しかし描くのは故郷の村であり、これは後まで維持される主題である。 

                                 

 第2章キュビスム的傾向の展開:パブロ・ピカソはセザンヌの理念を引き継ぎキュビズム絵画を生み出す。「ギター」(1913)は美しい抽象化を示している。 新古典主義のピカソ「二人の座る裸婦」(1920)は生命の強烈さを表す。 しかしピカソの真骨頂はやはり解体と再構成のキュビズムである。「鏡の前の女」(1937)は異なる視点の合成として女性を描く。その女性の静謐さと画面の構成の端正さが人をひきつける。

                         

  第3章シュルレアリスム的傾向の展開:形而上絵画といわれるジョルジョ・モランディ「静物(青い花瓶)」はボーッとしたたたずまいの不思議な作品である。現実を見ていながらその向こう側を描く。シュルレアリスムの架け橋になる絵である。 マックス・エルンスト「揺らぐ女」(1923)はびっくりさせ眼をひきつける。関係のないもの同士が組み合わされ新しい印象が生まれる。ここでは無機的・機械的な装置と有機的・生命的な女性の肉体が結合され不安を生み出す。 イヴ・タンギー「暗い庭」(1928)は現実にない庭なのにリアリティがある。彼はデ・キリコの絵に触発されて画家になった。デ・キリコの詩的で形而上的な雰囲気が引き継がれている。イヴ・タンギーのこの絵はシュルレアリスムの詩人アンドレ・ブルトンが長く所蔵していた。 

                   

 第4章カンディンスキーとクレーの展開:カンディンスキーは小品が3点ある。展示の他のすべてはパウル・クレーの作品である。 パウル・クレー「リズミカルな森のラクダ」(1920)は見ていて楽しい。いわば思い出の“引き出し”に入ったものを任意に取り出し組み合わせて描く。丸い玉のような木がかわいい。線による画面の分割が効果的。 パウル・クレー「山の精」「ヴィーナスは進み、また戻る」「ベルリンのまぬけ」「鋭い言葉」(いずれも1938)、これら線描画がとてもすごい。巧妙な線である。 有名な「赤いチョッキ」(1938)も線がかわいい。 なおパウル・クレーはユダヤ人であり1933年のナチス政権成立とともに彼の絵は退廃芸術に分類され排斥される。そしてデュッセルドルフから追放される。線描の「助けを呼ぶ声」(1932)は悲痛なナチス批判である。

 Bunkamuraを出て小雨はまだやまない。傘はささずに渋谷駅までもどる。

  


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