季節を描く

季節の中で感じたことを記録しておく

“国宝燕子花(カキツバタ)図屏風 ―〈琳派〉の競演―”展、根津美術館(2013.4.28)

2013-04-29 17:58:19 | Weblog
四季草花図屏風 (右隻)、伊年印、日本・江戸時代 17世紀:60種類以上もの草花を描く。金地が透けて見える彩色が新しい。俵屋宗達の工房で制作された屏風。どの花も魅力的。(6曲1双のうち右隻)
     

浮舟図屏風、日本・江戸時代 17世紀:源氏物語、匂宮が浮舟を連れて宇治川を渡る場面を描く。長谷川派の作かと考えられるが、引き延ばされた舟の表現は宗達の源氏絵をもとにする。 
     

国宝「燕子花図屏風」、尾形光琳筆、日本・江戸時代 18世紀:元禄年間に、尾形光琳(1658-1716)が描く。総金地の大画面に、青と緑の絵具による燕子花の群れ。シンプルで、圧倒する存在感。
   

夏秋渓流図屏風 (右隻)、鈴木其一筆、日本・江戸時代 19世紀:右隻は夏の景色。山百合が咲き、檜にセミが1匹とまる。左隻は秋の景色。桜の葉が紅葉する。江戸琳派の画家・鈴木其一の代表作。鮮やかな色遣い。モダンな印象。鈴木其一(1796-1858)は、酒井抱一の高弟。
   

“大神社展”東京国立博物館(2013.4.1)

2013-04-16 18:48:57 | Weblog
 国宝「桐蒔絵手箱(キリマキエテバコ)および内容品」室町時代1390年、和歌山・熊野速玉大社:内容品は化粧道具。複数の小さな手箱、複数の容器、複数の櫛など。欠けることなくすべて揃っている。楽しい。
 
 国宝「滑石製子持勾玉」古墳時代5世紀、福岡・宗像大社:大きな勾玉。突起がいくつもあり、普通の勾玉と違う。驚いた。

 国宝「金銅製雛機」8-9世紀、福岡・宗像大社:小さい織機。神への奉納品。ミニチュア。

 重文「誉田宗庿縁起絵巻(コンダソウビョウエンギエマキ)」、室町時代1433年、大阪・誉田八幡宮:足利義教が奉納した。誉田宮が応神天皇の御陵前に造営された由来と、八幡大菩薩の霊験を描く。僧形の八幡神が畏れ多い。すぐれた技量の絵。
          
 
国宝「沃懸地螺鈿金銅装神輿(イカケジラデンコンドウソウシンヨ)」平安時代12世紀、和歌山・鞆淵(トモブチ)八幡神社:京都・石清水(イワシミズ)八幡宮から、別院である鞆淵(ともぶち)八幡神社へ、奉送されたもの。高度な金工・漆工技術で装飾され、荘厳。目を瞠る。
                    
 
重文「水干・袴、褪紅地薔薇反橋(タイコウジバラソリハシ)模様」室町時代15世紀、和歌山・金剛峯寺:薔薇の模様が洋風でなく和風で、珍しい。落ち着く薔薇。

 国宝「海獣葡萄鏡(カイジュウブドウキョウ)」唐または奈良時代8世紀、千葉・香取神宮:つまみの唐獅子が中心。馬・鹿・麒麟など獣類、孔雀・鴛鴦・鳳凰・鶏など鳥類、さらに昆虫がいる。直径29.6cmで大きい。
          
 
 国宝「七支刀(シチシトウ)」古墳時代7世紀、奈良・石上(イソノカミ)神宮:『日本書紀』には七枝刀が、369年に百済王から倭王へと贈られたと記述があり、関連が指摘されている。
                      
 
 重文「鉄盾」古墳時代5世紀、奈良・石上(イソノカミ)神宮:いかめしい鉄の盾。実戦に使えるくらい頑丈に見える。

 国宝「瑠璃壺」、奈良時代8世紀、福岡・宮地嶽(ミヤジダケ)神社:緑色のガラスの骨壺。巨大な横穴式古墳の副葬品。宮地嶽神社は神功皇后(3世紀に新羅を攻めた)を祀る。

 国宝「直刀・黒漆平文大刀(チョクトウ・クロウルシヒョウモンタチ)」平安時代9世紀、茨城・鹿島神宮:直刀は鹿島神宮の祭神の神剣として神宝。日本で最長の古代刀。3メートル近くありすごい迫力。
          
 
 国宝「平家納経・観普賢経」1164年、広島・厳島神社:願文が、平清盛自筆と思うと、感慨あり。豪華。観普賢経の最初に描かれた女性が持つ剣は、仏の権威を示す。
               
 
 国宝「女神坐像(八幡三神像のうち)」平安時代9世紀、京都・東寺(教王護国寺):女性的でふくよかだが、威厳あり。日本の神像の最古作のひとつ。

『宝生会月並能』 於:宝生能楽堂 2013.3.10

2013-03-10 19:44:22 | Weblog
●能「蟻通」(ありどおし)シテ近藤乾之助
 紀貫之(ワキ)が蟻通明神の前を馬で通りかかる。馬はその場に釘付けになり、進むことも退くことも、出来ない。
 そこへ蟻通明神(シテ)が長柄の傘を指し、宮人の姿で現れる。宮人が、「馬を下りないから、明神の怒りを買ったのだ」と事情を説明。驚いた貫之が和歌を捧げ、その歌の徳によって明神の怒りを宥めた。
 歌が持つ神秘な力。明神が、静かに穏やかに退出して行く様子に、感動する。

●狂言「寝音曲」(ねおんぎょく)シテ三宅右近
 謡自慢の太郎冠者(シテ)の謡を聞きたいと、主人が所望する。冠者は勿体をつけた挙句、「主人の膝枕でないと声が出ない」などと言い、主人の膝を枕に、気持ちよく謡う。
 ところが熱中し、起きて謡いだし、冠者の嘘がばれる。主人が怒って、逃げる冠者を追いかける。
 初めから終わりまで、可笑しい。

●能「三山」(みつやま)シテ亀井保雄
 その昔、香具山に住む男が、耳成山(ミミナシヤマ)の桂子(カツラコ)(シテ)を捨て、畝傍山(ウネビヤマ)の桜子(ツレ)のもとにだけ、通うようになる。桂子は、嫉妬のあまり池に身を投げて、死ぬ。
 良忍上人(1132没)(ワキ)が大和に入り、念仏を広めていると、桂子の霊が現れ、「成仏させてほしい」と良忍上人に言う。
 しかし嫉妬に狂う桂子の霊が、桜子の霊に、襲い掛かる。緑の桂の枝と、桜の枝の打ち合いが、艶かしい。怒りのカタルシス作用によって桂子の霊が成仏する。
 妖艶さが満ちる。
     

●能「善知鳥」(うとう)シテ金森秀祥
 善知鳥(うとう)は鳩ほどの大きさの鳥。
 旅僧(ワキ)が、立山で老人(前シテ)に会う。老人は、自分は死者(幽霊)だが、形見を、陸奥に住む妻子に届けてほしいと頼む。老人は、元猟師で、鳥獣を殺す生業だった。
 旅僧が陸奥で、妻子に会った時、猟師の亡霊(後シテ)が現れる。
 殺生をした罪で猟師は、地獄に堕ちた。殺された善知鳥(うとう)が、地獄では怪鳥となり、鉄の嘴、銅の爪で、猟師の肉をむしり、眼を抉る。亡霊が、その苦しみを語り、演じる。
 そのまま、凄惨な幕切れとなる。

“ラファエロ”展  2013.3.5 (国立西洋美術館)

2013-03-05 21:54:09 | Weblog
 ラファエロ(1483‐1520)は、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロと並び、ルネサンスの3大巨匠と呼ばれる。37歳で夭折。ラファエロの作品は「ルネサンスの優美(グラツィア)」そのものである

 「自画像」(1504‐1506)フィレンツェ、ウフィツィ美術館:20歳初めのラファエロの自画像。穏やかな雰囲気。父は、絵画工房の親方。その父が、ラファエロ11歳のとき、死ぬ。工房をラファエロが引継ぎ、17歳で、彼はすでに親方だった。
          

 「聖ゲオルギウスと竜」(1504‐1505)パリ、ルーブル美術館:古代ローマ末期、カッパドキアの首都ラシア 付近に、巨大な悪竜がいた。通りかかったゲオルギウスが竜を退治し、異教の村人をキリスト教に改宗させる。しかし彼は異教徒の王に捕らえられ、拷問され殉教した。
     

 「大公の聖母」(1505‐1506)フィレンツェ、パラティーナ美術館:18世紀にトスカーナ大公が、この絵を愛蔵した。初め、背景が描かれていたが、後世、黒く塗りつぶされる。ラファエロの最高傑作のひとつである。
     

 「無口な女(ラ・ムータ)」(1505‐1507)ウルビーノ、マルケ州国立美術館:ウルビーノからフィレンツェに移ったラファエロは、ダ・ヴィンチの絵画に感激し、大きな影響を受ける。「ラ・ムータ」は、モナリザに似る。なおラ・ムータがするルビーの指輪は、当時の流行。
        

 「聖家族と仔羊」(1507)マドリード、プラド美術館:レオナルド・ダ・ヴィンチの「聖アンナと聖母子」にも仔羊が描かれる。仔羊は生贄であり、イエスがやがて、人類のため犠牲となることを暗示。
     

 「エゼキエルの幻視」(ca. 1510)フィレンツェ、パラティーナ美術館:エゼキエルは、バビロン捕囚(紀元前597年)の時代の預言者。彼は、バビロンにおいて、捕囚民の精神的指導者となる。エゼキエルは、イザヤ、エレミアとともに3大予言者。彼は、父なる神が、智天使ケルビムを伴い、鷲、人間、牡牛、獅子(新約聖書の4書記を象徴)に曳かれた「玉座」に座って現れるのを、幻視した。
          

『もういちど、バタフライ』市川実季=作、都立上野高校演劇部2月公演、2013.2.18

2013-02-19 13:32:47 | Weblog
           

 「一番大切なのは、家族である」というメッセージ。
 
 「人間」の最後の決断は、理解できる。彼女は、家庭内暴力の加害者となった兄に、「家族として、寄り添う」と決断。
 
 「神」の決定も、理解できる。「自動車事故で死んだ妹ちょうちょと、後追い自殺した姉ちょうちょを、生まれ変わらせて、ひとつの家族とする」と決定。
 
 「ちょうちょ」(姉)は、妹ちょうちょの死後、「自分が自殺して神に会う。そして、神に頼んで、妹ちょうちょを生き返らせてもらう」と決断し、実行した。
 しかし今、姉ちょうちょは、自分の決断が間違いだと思う。なぜなら「妹ちょうちょを生き返らせたとしても、自分が死んでいるから、家族が復興できない」と思うから。

 しかし、ここで観客の私の見解では、姉ちょうちょの決断は、間違いでない。
 なぜなら、家族は、本来、「思いor理念」の中に、存在するから。姉ちょうちょと妹ちょうちょとの間に、現実の家族、事実としての家族が出来なくても、永遠の理念としての家族が、存在するor存在可能である。
 一方で、この世に生きる妹ちょうちょ、他方で、あの世に生きる姉ちょうちょ、両者にとって、事実的家族は成立しないが、各々の思いのうちに。理念的家族が存在し、存在し続ける。
 
 姉ちょうちょが、「自分が自殺して神に会う。そして、神に頼んで、妹ちょうちょを生き返らせてもらう」と決断し実行したことは、間違いでない。
 彼女は、「永遠の理念としての家族」に、殉じた。

 「神」は偉大である。非事実的な理念的家族を、再び、事実的家族として復興するのだから。

 初めに、姉ちょうちょと妹ちょうちょの事実的家族。
 次いで、(観客のわたしの見解では、)永遠の理念的家族の出現。
 最後に、偉大な神が、理念的家族に、再び、事実的家族の形態を付与する。

 かくて、「もういちど、バタフライ」の題の通り、事実的家族の復興の物語が、完成する。

“エル・グレコ El Greco”展(東京都美術館)2013.2.14

2013-02-15 21:44:14 | Weblog
 エル・グレコ(1541-1614)は“あのギリシア人”といった意味。“エル”はスペイン語の男性定冠詞、“グレコ”はイタリア語でギリシア人の意味。クレタ島生まれ。彼は、生地でキリスト教の図像を描くイコン画家としてスタートする。1567年(26歳)、イタリアのヴェネツィアへ渡り、ルネサンス的な絵画様式を習得。ローマへ短期間移動した後、1576年(35歳)、スペインに渡る。翌年、トレドに定住。没するまで、そこで過ごし、画家として成功する。

「受胎告知」(1576頃)ティッセン=ボルネミッサ美術館、マドリード
 ヴェネツィア、ローマなどで習得したルネサンス的絵画様式の集大成的作品。左に、青い服を着て、驚く聖母マリア。右に、黄色い服の大天使ガブリエル。中央上に、精霊の鳩、そして天使たち。古典的調和。(エル・グレコ、35歳頃)
            

「悔悛するマグダラのマリア」(1576頃)ブダペスト国立西洋美術館
 マグダラのマリアは、磔にされたイエスを遠くから見守り、その埋葬を見届けた。そして復活したイエスに最初に立ち会う。画中のガラスの壺が、マグダラのマリアを象徴する。彼女は、イエスの遺体に香油を塗るため香油壺を持参した。マグダラのマリアは「罪の女」であり、イエスの死後、隠遁し悔悛する。(エル・グレコ、35歳頃)
                       

「フェリペ2世の栄光」(1579-82頃)エル・エスコリアル修道院
 エル・グレコがスペインに渡り、彼の工房が初めて、国王に売り込んだ作品。最後の審判の情景に似る。上方に、光に包まれたキリストのイニシアル、HIS、そしてそれを取り巻く天使たち。中央下に、ひざまずき祈るフェリペ2世、またそれを取り巻く聖職者と貴族たち。左中は、審判を恐れる地上の人々。右下は、怪獣の口の中の地獄。大スペクタクル!(エル・グレコ、38-41歳頃)
          

「聖アンナのいる聖家族」(1590-95頃)メディナセリ公爵家財団タベラ施療院、トレド
 対抗宗教改革のカトリックの熱情の時代。聖家族がしばしば描かれる。この絵では、聖母マリアがキリストに乳を与える。彼女は美しい。祖母の聖アンナが、キリストの頭をなでる。父の聖ヨセフが、キリストの足に触れる。幸せな聖家族!(エル・グレコ、49-54歳頃)
          
  
「無原罪のお宿り」(1607-13頃)サン・ニコラス教区聖堂(サンタ・クルス美術館寄託)、トレド
 高さ3メートルを超える大作。今回の展示の最後に、登場。色鮮やか。感動し敬虔な気持ちになる。キリストの母マリアは、汚れなき存在であり、「情欲の交わりなしに」母アンナの体に宿る。マリアが、手を胸に当て、足を三日月に載せ、天空を降りてくる。鳩が精霊。マリアは12の星の冠をかぶる。エル・グレコの死の前年に、完成。細長くデフォルメされた人体や、超自然的な光の効果を特徴とする。(エル・グレコ、66-72歳頃)
   

“奇跡のクラーク・コレクション:ルノワールとフランス絵画の傑作”展、三菱一号館美術館、2013.2.11

2013-02-11 18:45:20 | Weblog
A カミーユ・コロー「ボッロメーオ諸島の浴女たち」(1865-70)
 コローは神秘的。木々が風にそよぐ。あたかも、この世界ではない場所。女性はニンフたち。
     

B クロード・モネ「エトルタの断崖」(1885)
 水色・青色が、鮮やかで綺麗。印象派らしく光を分析的に描く。現実の光でなく、理念化された抽象的な光。
   

C クロード・モネ「レイデン付近、サッセンハイムのチューリップ畑」(1886)
 赤や黄色のチューリップ畑が美しい。春が輝いている。明るく楽しげ。
     

D アンリ・ファンタン=ラトゥール「鉢と皿に生けたバラ」(1885)
 きりりと鋭く描かれたバラ。華麗で、生きている。小さな画面に、バラが溢れる。
       

E カミーユ・ピサロ「ポントワーズ付近のオワーズ川」(1873)
 木と草の緑の中を流れるオワーズ川。蒸留工場がほとんど自然の一部。穏やかな田舎の風景。気持ちが和む。
        

F ベルト・モリゾ「ダリア」(1876)
 絵の主題はダリアというより、中央左に位置する花瓶。均衡でなく、動きがある静物画。画家の挑戦的姿勢を思わせる。
           

G ピエール=オーギュスト・ルノワール「シャクヤク」(c. 1880)
 華麗な多くのシャクヤクの花が、画面の中でほとばしる。赤色、白色の鋭く量感ある重なりが、自己を主張し、輝く。とても贅沢な絵。

“特別展、書聖 王羲之”東京国立博物館(2013.2.7)

2013-02-10 09:33:20 | Weblog
 王 羲之(オウギシ、303-361)は、中国東晋の政治家・書家。魏晋南北朝時代を代表する門閥貴族。書の芸術性を確立した。書聖と呼ばれる。末子の王献之と併せて二王(大王、小王)。日本では奈良時代から書の手本とされた。
 唐の太宗(李世民)が王羲之の書を愛し、崩じた時に「蘭亭序」(真筆)を一緒に昭陵に埋めさせた。王羲之の書で今、残るのは摸本と拓本のみである。
 唐摸宋拓と称されるように、唐時代には摸本、宋時代には拓本が、多数作成された。なお双鉤填墨(ソウコウテンボク)は摸本の技法でまず文字の全体の輪郭を取り、次いで内側に髪の毛ほどの線を重ねる。

A 「行穣帖」(コウジョウジョウ)(原跡:王羲之筆、1巻、唐時代・7~8世紀摸、プリンストン大学付属美術館)
 2行15字の断簡であるが、古くから知られた王羲之の名品である。王羲之が若い頃に書いたもの。唐時代の双鉤填墨(ソウコウテンボク)による摸本。宋時代の徽宗のコレクションでもあった。
     

B 「喪乱帖」(ソウランジョウ)(原跡:王羲之筆、1幅、唐時代・7~8世紀摸、宮内庁三の丸尚三館)
 王羲之の手紙三通の断片を集めたもの、計17行。最初の8行が「喪乱帖」。縦に簾目(スダレメ)のある白麻(ハクマ)紙に、双鉤填墨(ソウコウテンボク)で模したもの。奈良の聖武天皇の遺愛品。王羲之の晩年54歳、永和12年(356)の手紙。
     

C 「定武蘭亭序-韓珠船本-(テイブランテイジョ‐カンジュセンボン‐)」(王羲之筆、1帖、原跡:東晋時代・永和9年(353)、台東区立書道博物館)
 王羲之が、353年(永和9年)3月3日に、名士41人を別荘に招いて、蘭亭に会し曲水の宴を開く。その時に作られた詩集の序文が蘭亭序。王羲之はこれを書いたとき酔っていたと言われる。28行324字。
 「蘭亭序」を愛した唐の太宗は、その在世中、能書の臣下(初唐の三大家:虞世南・欧陽詢・褚遂良)に蘭亭序の臨本を、宮中の専門職人に摸本を作らせた。拓本のなかで、古来最も貴ばれたものが、五代~北宋時代初期に碑石が定武郡で発見された定武本である。下の写真は「定武蘭亭序-韓珠船本-」。
          

D 「蘭亭図巻-万暦本-」(王羲之等筆、1巻、明時代・1592年編、東京国立博物館)
 「蘭亭図巻」は蘭亭序と、北宋の李公麟(リコウリン)の描いた蘭亭図を刻したもの。353年(永和9年)の曲水の宴の図、及び参加した42人の詩と蘭亭序からなる。王献之は当時まだ10歳で、姿が描かれているが詩はない。
   

E 国宝「真草千字文」(智永筆、1帖、隋時代・7世紀、個人蔵)
 智永は王羲之七世の子孫で、隋代一の書家。王羲之の書を後世に伝えようと、異なる1000字を選び、4字1句として250句の千字文を作った。「真草千字文」は真書(楷書)と草書を併記。永欣寺の閣上に30年閉じこもり、800余本を臨書し、諸寺にそれぞれ1本を奉納した。智永の「真草千字文」は、刻本が中国に2つの残るが、唯一の真蹟本が日本に残る。国宝!
         

『山崎バニラの活弁大絵巻、お茶目な国策映画特集! 』全労済ホール/スペース・ゼロ主催、2013.2.03

2013-02-04 20:26:22 | Weblog
         

山崎バニラさんの活弁を初めて聞いた。

ユーモアが温厚。
声がユニークで楽しい。

はじめの活弁の歴史が、親しみやすく分かりやすい。(プレ上映『活動写真いまむかし』約15分、山崎バニラ)

山崎バニラさんの踊りが、可愛いい。(『白石よござりす』踊り(4分))

朝顔と少女のアニメは、懐かしさを感じる。(『アサガオ少女』(5分)、2012年、山崎バニラ)

『三公と蛸』(20分)、1933年、逓信省簡易保険局
「保険は大事です」との宣伝映画。
大正琴弾き語り活弁。
6本足で歩く蛸が愉快。

『帽子箱を持った少女』(68分)、1927年、旧ソ連映画
宝くじ付国債の宣伝映画。

ピアノ弾き語り活弁。
無声映画であることを忘れさせる名演。

ネップ(新経済政策)当時、モスクワの小金持ち(帽子店)の様子がよくわかる。
片思いの駅員の純情。帽子を縫製して売る少女のたくましさ。彼女が惚れた苦学生志望の青年は、希望に生きる。

月給90ルーブルの時代に、2万5000ルーブルの宝くじが当たるとはすごい。
90ルーブルを30万円とすれば、2万5000ルーブルは8125万円に相当する。

これからも、山崎バニラさんに、がんばって欲しい。

“特別展、飛騨の円空、千光寺とその周辺の足跡”東京国立博物館(2013.1.18)

2013-01-19 10:14:31 | Weblog
円空は美濃国に生まれた修験者。生涯12万体の仏像を造ると願を立てた。現在でも5000体以上が残る。近畿以東、北海道まで各地を行脚した。1695年没。「円空像」(大森旭亭筆、江戸時代、1805年、千光寺蔵)が残る。
          

さて会場に入ると、まず背が高い「護法神立像」(千光寺、江戸時代17世紀)2躯が立つ。神々しい。
  

「三十三観音立像」(千光寺、江戸時代17世紀)は、たくさんの観音像が並び、壮観。正確には31体。信者が家の病人の枕元などに持って帰り、戻されないものがある
       

「両面宿儺(リョウメンスクナ)坐像」(千光寺、江戸時代17世紀)。両面宿儺は『日本書紀』において、仁徳天皇の時代に飛騨にいた凶族・鬼神。計八本の手足に首のない二つの顔を持つ。朝廷によって討たれるが、在地伝承では英雄であり救世観音の化身とされる。円空の両面宿儺(リョウメンスクナ)坐像は丁寧な作品。
       

「金剛力士(仁王)立像、吽形(ウンギョウ)」(千光寺、江戸時代17世紀)が巨大。生きた立ち木に円空が上って彫った。木が枯れたので像だけ保存された。
  
「近世畸人伝」伴蒿蹊(バンコウケイ)著(江戸時代、1790年) に、この時、木に登り金剛力士像を彫る円空の絵がある。すごいお坊さん。
       

「千手観音菩薩立像」(清峰寺、江戸時代17世紀)は腕がたくさんある。背が高い。腕を1本ずつ別に造り、本体に取りつけた。一木彫りの他の作品と、趣が異なる。