広島におじゃましました。
さあ 秋の安芸、満喫します。
旅のタイトルは『来んさい安芸へ』です。
『来んさい安芸へ日程』
11月22日(日)
JR新幹線のぞみ12号・東京行 08:04発~09:12着
●宮島
11月23日(月)
●地御前神社
●平和記念公園
●広島城
●縮景園
JR新幹線のぞみ39号・博多行 18:09発~19:11着
途中移動は、広島電鉄です。
レポは、
その1≪厳島神社編≫
その2≪てくてく宮島編≫
その3≪とことこ広島編≫・・今日です。
その4≪グルメ&お土産編≫
・・へと、続きます。
内宮である「厳島神社」に参拝させていただくからには、
外宮の「地御前神社」も参拝しないわけにはいきません。
お伊勢さんでも、まず外宮、そして内宮に参拝しましたので
今回も、そうするつもりでした。
けど
なにしろ、22日、広電は東京の満員電車並みでして、
地御前で途中下車。は、不可能でした。
翌、11月23日 宮島を後にして、宮島口につき、再び 広電で
念願の「地御前神社」に到着です。
宮島は、島全体が信仰の対象としてあがめられていました。ですので
人々は上陸が許されず、対岸のここ、地御前神社から拝みました。
三女神をはじめとする祭神も厳島神社と共通しています。
厳島神社の入り口そばに客神社(まろうどしゃ)がありましたが、
地御前神社にも本殿・拝殿のほかに客人本殿(まろうどほんでん)があり、
厳島神社に似せて造営されたことが伺えます。
江戸時代の様子を描いた「厳島図会」には、海の中に厳島神社の大鳥居が描かれています。
鳥居の向こうは、瀬戸内海です。
宮島の厳島神社の方に向かって、この鳥居は立っています。
こちら側の道路はかつて海だったそうです。
確かに、「厳島神社外宮」の文字が見えます。
1945年(昭和20年)8月6日8時15分 広島市に原子爆弾が投下されました。
戦争を知らない世代は、国民の8割を超えました。
第二次世界大戦・・世界恐慌後,世界再分割をめざす後進資本主義国である日・独・伊のファシズム枢軸国と,米・英・仏・ソ連・中国などの連合国との間に起こった全世界的規模の戦争。1939年ドイツのポーランド侵入が発端となって開始され,41年日本の対米開戦による太平洋戦争の勃発とドイツの独ソ不可侵条約破棄による独ソ戦争により戦乱は一挙に全世界に拡大した。当初は枢軸国が優勢であったが,42年後半から形勢は逆転し,43年スターリングラードの戦いでドイツが大敗して以後,43年9月イタリアが降伏,45年5月ドイツ,続いてソ連の対日参戦とアメリカによる広島・長崎への原子爆弾投下によって、同年8月に降伏し、戦争は終結した。
原爆ドームと広島平和記念公園を結ぶ橋の1つ。
見えますか。宮島弥山のあの「消えずの火」が、元火のひとつになっています。
「安らかにお眠り下さい。過ちは二度と繰り返しませんから。」
憲法九条は、なんとしても守らなければなりません。
元安川のほとりの公孫樹です。綺麗に黄葉しています。
植えてもぎんなんが実るのは孫の代になってからだとか。ですから「公孫樹」です。
孫のまた孫、そのまた孫の代まで
黄色く、輝いてほしいです。
元和6年(1620)に、茶人で知られる浅野藩家老の上田宗箇により、浅野藩主の別邸として作庭されました。 中国の世界的な景勝地"西湖"を模してつくられたと伝えられている園内は、山川の景、京洛の態、深山の致を庭の中に縮景していることから、「縮景園」と名付けられました。
山渓谷や橋を巧妙に配し、園路でそれをつないだ回遊式庭園です。
手前から望春橋、昇仙橋、映波橋。
濯纓池と跨虹橋と清風館が見えます。
園内最高峰の小山で標高約10m。樹木がほぼなく、かつてはここから遠方の広島湾の島々を望むことができたと伝えられています。
山陰・山陽9ヵ国120万石を領する毛利輝元(もうりてるもと)が、1589年(天正17)に太田川河口のデルタ地帯に着工した。五重の大天守と三重の小天守のほか、45基におよぶ櫓(やぐら)を擁する壮大な近世城郭は、10年後に完成、地名を広島に改めるとともに、城を広島城と名付けた。しかし輝元は、翌1600年(慶長5)の関ヶ原の戦いに敗れたため、替わって福島正則が城主となった。正則も1619年(元和5)、洪水で被害を受けた城を無断で修築したことから改易され、その後浅野氏が入り幕末まで続いた。天守や櫓などは明治の破却を免れ、日清戦争の際には大本営が設置されたが、第二次世界大戦末期の原爆投下ですべての建築物が破壊された。
広島城は、別名「鯉城」といいます。
一説には、この付近一帯が己斐浦(こいのうら)にあたり、
己斐の音が鯉に通じることからそうと呼ばれるようになったともいわれています。
どうやら、毛利元就さんと、吉川元春さんのようです。
広島カープは、広島城の別名「鯉城」からきています。
23日は、広島カープファンの集いが行われた模様。
カープ女子だあ。かわいい。
けど、ホークスファンの「鷹ガール」の方が、歴史は古い。のですよ。
特産の牡蠣と瀬戸内海でのカキ養殖のカキいかだで牡蠣を水揚げする漁師さんが描かれている。上部に「あめ」下部に「はつかいち」「かき」の表記。
広島市章(旧芸州藩の旗印であった「三つ引」(三)にヒントを得て、これに川の流れを表現するカーブをつけて、水都広島を象徴したもの)を中心にしたデザイン。
広島市の由来は1589年(天正17年)の毛利輝元の広島城築城の鍬入れの時に遡ります。
まず、城主の毛利氏の祖先である大江広元から「広」の字を取りました。そしてこの地の豪族で普請奉行をしていた福島元永が城地の選定に際し手助けをしてくれたことから彼の名前から「島」の文字をとり「広島」としたと言われています。
もう一説では先に想像したように、広島市が太田川の三角州に位置することから「広い島」という意味でこの地名となったとされています。
なぜ、広島に地下鉄がないのか。
地盤の緩いこの三角州に原因があるのですね。
『来んさい安芸へ』
レポは、≪グルメ&お土産編≫へと、続きます。
のぞいてください。
よろしくお願いします。
さあ 秋の安芸、満喫します。
旅のタイトルは『来んさい安芸へ』です。
広島県
『来んさい安芸へ日程』
11月22日(日)
JR新幹線のぞみ12号・東京行 08:04発~09:12着
●宮島
11月23日(月)
●地御前神社
●平和記念公園
●広島城
●縮景園
JR新幹線のぞみ39号・博多行 18:09発~19:11着
途中移動は、広島電鉄です。
レポは、
その1≪厳島神社編≫
その2≪てくてく宮島編≫
その3≪とことこ広島編≫・・今日です。
その4≪グルメ&お土産編≫
・・へと、続きます。
はじまり
内宮である「厳島神社」に参拝させていただくからには、
外宮の「地御前神社」も参拝しないわけにはいきません。
お伊勢さんでも、まず外宮、そして内宮に参拝しましたので
今回も、そうするつもりでした。
けど
なにしろ、22日、広電は東京の満員電車並みでして、
地御前で途中下車。は、不可能でした。
翌、11月23日 宮島を後にして、宮島口につき、再び 広電で
念願の「地御前神社」に到着です。
≪地御前神社≫廿日市市地御前 11月23日
≪地御前神社≫
宮島は、島全体が信仰の対象としてあがめられていました。ですので
人々は上陸が許されず、対岸のここ、地御前神社から拝みました。
三女神をはじめとする祭神も厳島神社と共通しています。
厳島神社の入り口そばに客神社(まろうどしゃ)がありましたが、
地御前神社にも本殿・拝殿のほかに客人本殿(まろうどほんでん)があり、
厳島神社に似せて造営されたことが伺えます。
≪絵馬≫
江戸時代の様子を描いた「厳島図会」には、海の中に厳島神社の大鳥居が描かれています。
≪鳥居≫
鳥居の向こうは、瀬戸内海です。
宮島の厳島神社の方に向かって、この鳥居は立っています。
こちら側の道路はかつて海だったそうです。
≪額≫
確かに、「厳島神社外宮」の文字が見えます。
≪平和記念公園≫広島市中区中島町 11月23日
≪原爆ドーム(旧広島県産業奨励館)≫
1945年(昭和20年)8月6日8時15分 広島市に原子爆弾が投下されました。
戦争を知らない世代は、国民の8割を超えました。
第二次世界大戦・・世界恐慌後,世界再分割をめざす後進資本主義国である日・独・伊のファシズム枢軸国と,米・英・仏・ソ連・中国などの連合国との間に起こった全世界的規模の戦争。1939年ドイツのポーランド侵入が発端となって開始され,41年日本の対米開戦による太平洋戦争の勃発とドイツの独ソ不可侵条約破棄による独ソ戦争により戦乱は一挙に全世界に拡大した。当初は枢軸国が優勢であったが,42年後半から形勢は逆転し,43年スターリングラードの戦いでドイツが大敗して以後,43年9月イタリアが降伏,45年5月ドイツ,続いてソ連の対日参戦とアメリカによる広島・長崎への原子爆弾投下によって、同年8月に降伏し、戦争は終結した。
≪元安橋≫
原爆ドームと広島平和記念公園を結ぶ橋の1つ。
≪平和の火≫
見えますか。宮島弥山のあの「消えずの火」が、元火のひとつになっています。
≪原爆の子の像≫
≪原爆犠牲者慰霊碑≫
「安らかにお眠り下さい。過ちは二度と繰り返しませんから。」
憲法九条は、なんとしても守らなければなりません。
≪公孫樹≫
元安川のほとりの公孫樹です。綺麗に黄葉しています。
植えてもぎんなんが実るのは孫の代になってからだとか。ですから「公孫樹」です。
孫のまた孫、そのまた孫の代まで
黄色く、輝いてほしいです。
≪縮景園≫広島市中区上幟町(かみのぼりちょう) 11月23日
≪濯纓池と超然居≫
元和6年(1620)に、茶人で知られる浅野藩家老の上田宗箇により、浅野藩主の別邸として作庭されました。 中国の世界的な景勝地"西湖"を模してつくられたと伝えられている園内は、山川の景、京洛の態、深山の致を庭の中に縮景していることから、「縮景園」と名付けられました。
≪石橋≫
山渓谷や橋を巧妙に配し、園路でそれをつないだ回遊式庭園です。
手前から望春橋、昇仙橋、映波橋。
≪迎暉峰(げいきほう)≫
濯纓池と跨虹橋と清風館が見えます。
園内最高峰の小山で標高約10m。樹木がほぼなく、かつてはここから遠方の広島湾の島々を望むことができたと伝えられています。
≪被爆樹木大銀杏≫
≪紅葉≫
≪ソテツ≫
≪広島城≫広島市中区基町 11月23日
≪広島城≫
山陰・山陽9ヵ国120万石を領する毛利輝元(もうりてるもと)が、1589年(天正17)に太田川河口のデルタ地帯に着工した。五重の大天守と三重の小天守のほか、45基におよぶ櫓(やぐら)を擁する壮大な近世城郭は、10年後に完成、地名を広島に改めるとともに、城を広島城と名付けた。しかし輝元は、翌1600年(慶長5)の関ヶ原の戦いに敗れたため、替わって福島正則が城主となった。正則も1619年(元和5)、洪水で被害を受けた城を無断で修築したことから改易され、その後浅野氏が入り幕末まで続いた。天守や櫓などは明治の破却を免れ、日清戦争の際には大本営が設置されたが、第二次世界大戦末期の原爆投下ですべての建築物が破壊された。
≪門≫
広島城は、別名「鯉城」といいます。
一説には、この付近一帯が己斐浦(こいのうら)にあたり、
己斐の音が鯉に通じることからそうと呼ばれるようになったともいわれています。
≪安芸ひろしま武将隊≫
どうやら、毛利元就さんと、吉川元春さんのようです。
広島カープは、広島城の別名「鯉城」からきています。
≪カープ女子≫
23日は、広島カープファンの集いが行われた模様。
カープ女子だあ。かわいい。
けど、ホークスファンの「鷹ガール」の方が、歴史は古い。のですよ。
≪廿日市市のマンホール≫
特産の牡蠣と瀬戸内海でのカキ養殖のカキいかだで牡蠣を水揚げする漁師さんが描かれている。上部に「あめ」下部に「はつかいち」「かき」の表記。
≪広島市のマンホール≫
広島市章(旧芸州藩の旗印であった「三つ引」(三)にヒントを得て、これに川の流れを表現するカーブをつけて、水都広島を象徴したもの)を中心にしたデザイン。
おしまい
広島市の由来は1589年(天正17年)の毛利輝元の広島城築城の鍬入れの時に遡ります。
まず、城主の毛利氏の祖先である大江広元から「広」の字を取りました。そしてこの地の豪族で普請奉行をしていた福島元永が城地の選定に際し手助けをしてくれたことから彼の名前から「島」の文字をとり「広島」としたと言われています。
もう一説では先に想像したように、広島市が太田川の三角州に位置することから「広い島」という意味でこの地名となったとされています。
なぜ、広島に地下鉄がないのか。
地盤の緩いこの三角州に原因があるのですね。
『来んさい安芸へ』
レポは、≪グルメ&お土産編≫へと、続きます。
のぞいてください。
よろしくお願いします。
広島11月22~23日訪問
・・・
日本三景の一つ宮島。
地御前神社のjこと知りませんでした。
今度機会があったらお参りしたいと思います。
勉強になるな~。
勉強になります。
日本・・・まだまだ行くところいっぱいあるのになあ~
うちの旦那様は・・・(笑)
広島・・・懐かしい場所が出てきて。
随分、ご無沙汰をしている広島ですよね。
次はグルメ、土産編ですね。
楽しみ(⌒▽⌒)。
しりませんでした。
広島はまだ2回しか行ったことがなく、
宮島と原爆ドームと広島平和記念公園だけです。
他にも沢山の良い場所がありそうですね。
次回の旅の参考にします。
ここが一番、心に刺さりました。
この状況で、憲法九条が少しずつ削り取られている。
何としても修復せねば。
何としても、アイツを降ろさねば。
世界に誇れる九条ですから^^
したっけ。
土産と言えばもみじ饅頭ですかね?
牡蠣味のりも好きです。
広島お好み焼き屋さんもおおいそうですね~
食べることばかりで失礼いたしました^^
広島にはおだしの自販機があるとか。
ラッピング電車もおおいですね。
そう言えばエヴァンゲリオンの新幹線も走っているようですね。
原爆ドームは行ったことが無いんです^^;
どうしても近寄ることが出ないんです^^;
広島城のお堀のたもとに焼け残った気があるんですよね^^;
何と言う木だたか忘れましたが^^;
この庭園は入りましたよ^^。
常に手入れがされていてきれいでした^^。
確か梅園があったような気がするのですが^^?
に、改めて 再認識しました。
若い頃 モット 神社 仏閣 等
見て置くべきでした。
でも 今わ はなこころさんが
この様に 美しい 宮島 等
色々 見せて 頂き 有難う
ございます。