文中に、興味深い文言が出てきます。
「『敬意を払う』なんて口ではいくらでも言えますけど、その相手のために一生懸命、面倒くさいことをやってみせて、はじめて、敬意を払ったことになるのかな。とは思いました。」
『敬意を払う』
まさに、この物語に登場する「死神」は
いま、死を迎えようとしている人間に、こころから敬意を払います。
その人間の死をみとどけるため、真摯に7日のあいだ対象の人間を観察します。
その死に意味を持たせて、「可」か「見送り」を判定。「可」の場合8日目にその人間の死を見届けます。
人の死に敬意を払う死神。
ですから、この物語の主人公死神の「千葉」は、ちっとも、怖くないです。
前作の『死神の精度』では、千葉役には金城武さんが演じておられましたので、
この物語の千葉も、金城武さんで、読み進めました。

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≪主人公 死神の千葉≫
死は怖いが、残された大切な人が死を忌み嫌うのは悲しい。
だから、「先に逝って、死は怖くなんだ。」と、確かめるために、
人は、旅立つ。
この本を読んで、「死」に対する概念が大きく変わった気がしています。

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【主な登場人物】
死神・千葉
・・・音楽をなにより愛する。彼が仕事をしている間はいつも雨が降っているため、まだ晴天を見たことがない「雨男」。
死神・香川実夕子
・・・千葉の同僚女性。
山野辺遼
・・・小説家。テレビ出演もこなす人気作家だったが、三年前から新作を発表しておらず、作品の売れ行きも下がっている。一年前、殺人事件により十歳だった娘の菜摘を失う。
山野辺美樹
・・・山野辺遼の妻。
箕輪
・・・山野辺遼が作家デビューした当時の出版社担当編集⇒週刊誌の女記者。
本城崇
・・・山野辺家の近くに住む無職の青年。十代の頃に両親を亡くし、その遺産で暮らしている。山野辺夫妻の娘・菜摘の殺害容疑で逮捕されたが、証拠不十分により一審で無罪判決を受ける。
轟
・・・盗撮常習犯の引き籠り男。
【あらすじ】
一年前、一人の少女が殺された。犯人として逮捕されたのは近所に住む二十七歳の男性、本城崇。
彼は証拠不十分により一審で無罪判決を受けるが、被害者の両親・山野辺夫妻は犯人が本城だということを知っていた。
人生を賭けて娘の敵を討つ決意をした山野辺夫妻。
死神・千葉の調査対象は、一人娘を殺された小説家の山野辺遼。
「25人に1人」の割合で良心を持っていない人間が存在するといいます。
その1人は、社会に紛れて、平然と生活しています。
この1人が、まさに加害者の本郷です。
とても、こわいデータです。
25人の中の1人が支配ゲームをやる。
サイコパス役の支配者が機械を操作すると、別の1人が電気ショックを受ける。苦しがる様子を見て躊躇(ちゅうちょ)するものの、支配者がもっと強くと命令すれば、23人の6割(14人)がそれに従った。人は拙いのではないかと思いつつも、支配者に命令されれば半数以上がそれに従う。
更には命令に背いた4割(9人)は、良心がありながら劣勢と感じ、恐怖や不安から勝ち馬に乗ろうと考えてしまう。半数以上が乗り替えたとしたら、良心ある人間は25人のうちの5人以下となってしまう。
1人のサイコパスが共同体を乱すと、1対24であった構図が、脅迫状況下では15対10になり、場合によっては20対5~24対1となる新たな共同体が生まれる。
1人の力が逆転する。
そんな光景は、世の中に多くあることも、確かです。
ただ、
終始、不思議に思っていたことは、被害者の山野辺をなぜ、千葉は観察しているんだろ。
なぜ、被害者の方に、「可」をくだすのだろう。と
いうことでした。
で、読み終えて、分かった気がします。
「死は怖いが、怖くない。それを確かめに先に逝く。」
大切な人を残して旅立つとき、
こんな物語が存在するのですね。
タイトルの『死神の浮力』の「浮力」ですが、
おもしろい説明がしてあります。
水が入ったグラスの中で氷が浮いているは浮力が働いている。物には水の中で浮かぶ力、水の押す力が上に作用する。その浮力の強さに重さは関係せず体積によって決まり、量の大きい物ほど強い。氷が溶けたら水の量が増えてグラスから溢れる気がするがそうはならない。なぜなら浮力が消えて水位は変わらない。
氷は姿を消すけれど全体の量は変らない。これは人間の死と似ている。たった一人の人間の死は、社会からは気に留められず、そして総体としても影響がない。
但し、氷が溶けて水に混ざるように、誰かの記憶となって溶けて覚えられているから減らないとも言える。
死神「千葉」が、目の前から姿を消しても、ただ淡々と人々の営みは続く。
けど、その存在が消えても、かかわった人間の潜在意識の中に
こっそり、「千葉」は、潜んでいるのかもしれない・・・。と
いうことなのかな。
最後に
【著者からのメッセージ】です。
前作「死神の精度」を発表した時には、「これで千葉君の物語は完結したぞ」という達成感がありました。
ただ、唯一の心残りは、長編で千葉君を掛けなかったという点でした。
ですので、当時から「長編を書こう」と考えてはいたのですが、ただほかにも書きたいお話がいくつかあり、順番にやっているうちにいつの間にか八年が経っていました。
八年とはそれなりに長い時間です。
僕の小説に対する向き合い方はもちろん、生活に対する考え方もいろいろ変わりましたし、それこそ読者の人の環境も変わっているのではないかと思います。
ただ、いざ書いていると、死神の千葉君は特に変化もないように思えました。
世の中には本当にいろいろなことがありますし、何が起きるのかまったく分からないものですが、とにかく、こうして、千葉君の長編が読んでもらえる時が来たことがすごく嬉しいです。
『秋思の頃』
とても素晴らしい本に出会えました。
感謝・・感謝。
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今日はこの辺で