青龍神界鏡

次はまた首相してみんかお前。
https://www.youtube.com/watch?v=CsI7GSs4d1s

京今新在家西町とらくああ三-一-二十二

1534年01月21日 00時00分00秒 | 投稿

京が、例えば、厠の洗練に向かい続けずであったとの総意は、京の市井、一人ずつに正解を言い当てられ続けていた。
“さような、つまりは贅沢企画を追及する素振り、瞬時量がすぐさま向かうべき先は、人間が世に、住まい、在ろうとする作為の困難性の霧散が常識。
丁寧、清潔言語が触れざる、つまり人に云われざる、・・・つまりは人未満の恐れを素早く浴びいく・・・文盲・・・あばら家住まい・・・破れ衣服まとい、が多し町ならぬ、ただの土地。”
右京方々や、某区、某所、京方々は、高層建築物どころか、まともな家とは無縁領域だった。
京の洗練息吹を日々自覚し生きる人数、まとも派は誰もが知っていた。
如何にして、最大能率にて、他者の現在を豊かさで侮辱する事無く、最大速度手続きにて、・・・傲慢であるが・・・お救い致すべきか、を。
挨拶回り、これの歩み、思春期女子が勢い良く腹から沸かせる文化的雅量存分なる、歓びの声の大きさ、あるのみ。
え、本当ですか、次あちらの方面に向かってみます、御教え下さり有り難く思います。
明日が楽しみです。
人の理性、準備済みである景気指標、いずれにも、正確予期は不可能であり、また人の手は直接触れてはならぬ、女子の声の、しなり。
これが、肝要也。
これには、理性と情動を裂帛で毎瞬、連結したる思春期男子の熱誠が虚ろにしか知らぬ今、これへの没入あるのみ。
京は、今に勤しむ他は無し。

京の料理は、変なのが多く、思考負荷への即応意匠を唱えるまでだった。
不評。
まず、量が、京人にとっての少なし。
小振りな丼、米とは画像の六・五割量に、ササミがどれか一切れのみ、福神漬け七切れが載る小皿が一つ、温かい宇治茶、量は一・七倍。

茶は好評。
一軒梯子する、が彼らの普通だった。
“全然足りん”だって。


軍艦に載るネタが、ナス。
八貫、ナスのみ。
醤油無し。
善峰川ぜんぽうがわ、の水有り。

またはショウガのガリ。
十五貫、ガリのみ。
醤油と茶有り。

これらが、中京各地の街路で軒のき、を構えし、上品め料亭、及び五カ月派トゥアウリュが、味わいし料理、中央印象。
“どこかに、量と味へ非忌避な店舗は無いか、知らないかそちらは。”
“あっちの方に多そうだ、との、以前噂を耳にした段階から変わっていない。
こっちは昼には二軒梯子し、三軒訪れている。”
“あちらに向かっても、指標展示施設が無さそうだ、それに食事に足を引っ張られるのは避けたいところだ。”
“同意見だ。
あっちは繁華街だ。”
滞在日数が過ぎ、京で竹製水筒を買い、滞在先旅館で水を入れ、歩き出す者多数。

滞在先、高級旅館、ここで出される夕食は、質、量共に豪勢だった。
朝食は上品系。
京で、非忌避な店舗は、烏丸御池辺りの五軒のみ。
真鯛マダイ、画像の突っ張った目付き、体付き、七十糎大、の煮付けが、甘味まとい。
ツユの色は中央画像の色と、京が好む薄目。

“あほうわろうい”系有り。
キウイ、リンゴ、蜜柑、葡萄、マスカット、ミニトマト、レンコン、サイダー、黄色パプリカ、赤パプリカ、ピーマン、唐辛子、キュウリ、ウリ、。
ぶつ切りマグロのワイン煮、

イワシの開き、

アジの開き、

京産米に山芋とろろ、アオサ少量、素麺タレと酢、

これは好評だった。

“出自は知らず、口伝に従いし、恐らくは創作料理の筈”ではなく、難波に届きしイタリア産冷凍ピザの模倣品。
“とっくに飽きているんだが”。
全、京一級品による、大型茶漬け、皮肉である隠喩は籠らず品、
締めにバナナ、でかいのが一本、

締めにみんきん、輪切りが二切れ、

締めに、寿司下駄、脚の長さは画像の二・三倍、と竹すだれに載る砂氷と山梨産葡萄、


画像の一・四倍の大きさの鶏肉の照り焼きに、シラウオが狭い“乙”の字を描き、十五往復している。
“知的負荷が、霧散されいき、とのご事態にお仕えする、一品”。
“何を云っているのか、皆目分からん”。

皿は真っ白、一・三倍で縁が上へ盛り上がっている。
中央へ豊かさが尖りいく、円状しつらえ。
レタス、二種、三角形が反対を向かい合い続けて円周を形成し、この内側にミニトマトが円状、七個、この内側にこの切り方なキュウリが五切れ、その内側に千切りな人参が少量、立っている。
客人、三十五名分を各派が五軒への来訪で数えている。

烏丸御池に無数軒存在した高床式料亭は例えば、右から三組目の柱の高さに支えられていた。
その他は右から二組目から三組目の間が柱の高さ。


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