青龍神界鏡

次はまた首相してみんかお前。
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京今新在家西町とらくああ三-一-二十八

1534年01月27日 00時00分00秒 | 投稿


和歌山沖のギンダラの切り身の蒸し焼きが、縁が盛り上がっておらず、真っ平な月製大皿に、円を描くべく、二十四切れが盛られている。
福井産アユを焼いて絞れる、透明な油が密かにかけられている、のみ。
純白な、画像の一・七倍の長さの菜箸さいばし、で御取りになって下さい。

ボタモチの表面に別の菓子の表面と思われる茶色の粉末が、埋め込まれている、または、まぶされている。
この意匠は、料理人は思い付かずべく、らしく、製作時とは毎度、自己の即興着想に任せ切っている、らしい。
曰く、“らしい”との伝聞系に、製作との主体的営為を任せいく、その推移を克明に覚える事は、料理人のみならず、挨拶回りには禁断との事。
では、“らしい”にお任せし、はしたなさが、はしたなく、主体的営為による立派製作物の表面を、乗っ取っていく様を、どう御取り計らいすべきか。
ある時の自己の、即興着想にお任せする他は無し。
ここまで、言い切る左脳が、配剤しいく、今、最もはしたない“らしい”とは如何に。
我が正統言語索引は、一度として知らず続け。
これ系の菓子の意匠は、毎度違っている。
そして必ず、不快感を誘っていた。
埋まり込みと、まぶされ、配剤力にとっての仕手と受け、二者の相互離反と、その成立時間量により必ず。
“理性の奥に訴えてくる汚らしさ”が、感想の中央帯。
不快感と共に、客はボタモチを食す。

湯呑みの表面は、均一に灰色で何も模様無し。
温度はぬるく、濃く、緑な宇治茶が、湯呑み、七割前、まで満ちている。
“苦し。
しかし、高級品質さで、味覚を襲う茶の重量、毎瞬分が、呑み残し判断を避けさせる毎瞬を過ごさせてくる。
全く、くつろげん。”
ところで、ボタモチに乗りし、“らしき”のはしたなさとは、視野上、凄まじきだった。
それが、竈の間により、確かに配剤されていた、手籠めにて。
料理人の立派左脳が普段は動くその間には、言語が識別不可能なる、亜空間は一切無し、だった。
“菓子の製作途中、料理人はどこに頭を突っ込んでおった。”
宇治茶の濃さと量は、必ずかくなる、ご推測始め文を、御客の腕に書かしめゆく。
“過去の間抜け揮毫きごう、中途半端仕舞いに終わりし草書体での自署名、あ、御署名は必要では御座いませぬ、おお、済まぬ、我が芳名の最終画よ、これらの記憶全てが書きなぐる文章について、雑誌掲載への打ち切りに処す。”
克明思考、所掌履歴が、自在、奔放に回復しいき、高品位物への検分意欲や、高品位品目並列思考が、いつぞやかの間に、額すぐ裏に殺到する直参と化す。
実情は以下。
“ただ、頭が疲れた。”
“操作言語が違うならば、ここでは不憫さを感じるべくが、まずは義務との視座が浮かぶ。”
“何を云っているのか、意味不明よ。”

福井産サンショウウオが土器製七輪しちりん、の淵に串を刺され、十五匹が焼かれている。
炭火が燃えているが、長い串を手で御取りになって下さい。

中は、右側画像であるキンツバ、長方形が土佐和紙ほど薄い和紙に包まれ、捩じられ、同じ和紙製の紐で、ねじり元を結ばれている。
宿泊中である自室に、出掛け先から戻ると、机の上に一個から四個が置かれていた。
数の違いは、部屋の広さが、説明を、胃に、下品に隠している、らしい。

表面は平で、もっと台形が明瞭な、牛乳製氷結菓子が、透明な袋に入っている。
同じく台形である、みんきん味、葡萄味、そしてイチゴではなく、スイカではなく、何者でもない、意味不明な味がする、薄い赤色が、氷が満ちる土器状器に、十四本刺さっている。
夕食の締め、らしきこの菓子は、全て既に、京製、烏丸御池南西の工場群、発と言えた。
柄、棒は丸く、樫であり、透明な袋には月製機械が用いられている。
意味不明味、は野イチゴ、赤キャベツ、葡萄の皮等が原料であり、製作現場でも味が不評であったが、出荷を止める力は無し続け品、だったでつまりは事故商品だった。
“何を云っておられるのか、分からん。
最後の一手は、こちらか。
実に面白いぞ。
この、失敗品、出荷消費企画物との、工場の影、一人歩き事態は。”

ハマチ一切れのみ、刺身こんにゃく、二切れのみ、菊の花一輪いちりん、が緑釉りょくゆう色の小皿に盛られている。
小皿がもう一枚と、薄めのポン酢。
高速なる頭狙い。
頭は高速故、だと。

炭酸が強い麦茶が、細身な月製グラスに入っている。

上半分のプラスチック容器に、清滝の水の氷と、煮沸しゃふつ、されし貴船川の水が入っている。
人数分、配られるは、月製、高級プラスチック製の器。

鳥のレバー煮、にもやし、のみがあえられている。
レバーは四切れ、もやし量は、そこそこ。

画像ほど、盛られたる五分割可能レバーが、サニーレタスの葉一枚に乗っている。
下には、縁は盛り上がっていない、平ら、円形の皿。

新潟、魚沼うおぬま、産炊いても、灰色な高級米が、おひつで、播磨灘はりまなだ、産の粗塩あらしお、をかけられている。
しゃもじで、茶碗におよそい、になって下さい。
“量が多過ぎて喰えん”、“・・・・・・・・・”、絶望との一泣き事、想念でも言葉で唱えずべし、眉間の凍り付き意外では。
竈の間は、“客人、配膳を残さずべし”との慣習の尊さ、厳しさを知っていた。
無視していた、のではなく、無言の強さに、負けていた。
当該配膳は、一瞬としてお止めする事は、何者も能わずべし、との議決への服従義務に。
一人に、勧められていた、一つのおひつには、高級米“きゅうい くん あん ぅあん”、二キロ価格、一万四千yenが。二キロ、千三百十円、魚沼産コシヒカリ。
おひつ、レバーレタスで箸が進むとして、まだ、水が無し。
“何を考えているのだ、ここは。”

寒天、高濃度飲料に黒ゴマ混ざり、との実質寒天、氷結気味飲料が出される。
プラスチックの器の九割五分、に満ちている。
“全然足りん。”
“何考えてんのここ。”
何も、考えられず、について、深く、不覚、無言。


みんきん、のまぶた上、ではなく頭頂部近隣を切断し、内部をくり抜き、蜜柑状だけを、咲かせる。

あほうわろうい、には、栃木産イチゴ、球体であるナルト、まま画像の魚のすり身、寒天、白玉、蜜柑寒天、牛乳寒天、小豆寒天、スイカ種除かれ角切り、皮剥かれ種有りマスカット、飾り扱いらしき皮有り葡萄、カステラが小さな球体、月産ハッカミント味飴玉、乾燥させた梅、ヒマワリの種状、は実は飾り、

これしか小さいおひつ画像は無いの。
この細さの麺、のみ、に薄め昆布一枚、ワカメ二、三切れ。
ダシは、薄め。
竹製、腹が太く、画像より七糎長い箸。
麺は香川産の一級品、難波での取引時に冠したる敬称は“とおりすだれ なきや あぬあぬ”、何者にも、左脳にて吟味させぬは、左脳を高速で敗北せしめる、高速なる、上品感得強要力。
このうどんの準拠先は、難波の上品志向料亭だった。
これは、好評を博していた。
このおひつ入りうどんは、一杯二千五百yen。

焼き魚、焦げ具合、これの五倍との失敗告白中料理。
仕えの存在、これは人也、との事実を、御客はある時、全く容易に、御覧になる。
料理へのご耽溺が形成されし、外界との無接点を盲信する思考傾向、こちらとの一、移動型庵、に風穴をお開け致すには、仕え役の腕がまとう料理服の燃け焦げを、御視野、御領収を突如、お勧めする他は無し。
さすれば、御客は、料理へのご耽溺の重さを、縄跳び運動に処す事無く、ご軽快なお足取りに至りいくと、ご推察致すは、我が腕と、料理服、焼け焦げへの警戒意識量、これらの相談後結論。
“高尚告白、衒学なる急須表面紋様とお見立てする。”
“数学的真剣結論が匂う。”
“火薬の残り香が、これを視認せずままなるは、ここ京ではすべからく、・・・あの猫の人形の首の動きだ。
あれが思い浮かぶ。”

首が縦、横、斜めにバネで揺れる
“物事を分かっておらずながら、取引を、周囲に、成立して貰い、その状態に察知せずである、静かな経営店舗が存在する、と浮かんだ。”

真っ白なヨーグルト、金星株がこの容器、無地に満ちている。
“追及されしは酸味と、原材料の上品化、二点な様子だが、過程があまりに、厳しいと感じる。
如何にして・・・。
そして保存法とは・・・”
上賀茂神山こうやま、の倉、中京の冷凍食品企業に備え付けられし月製冷蔵庫。
現代では、冷凍マグロ保存倉に、この機能が存在する。
電源内蔵式で、冷凍維持力が強力。

ヨーグルトに、マスカットジュレがかけられている。
月製凝固剤、月産ガラス製器、着想源はイタリア産マスカットアイス。
“甘味を、装填すべし、とのサジに、不介在決意が、無言君臨の相。
その角度は、何故を問わず。
あまりにも。
サジを握る腕に、歴史を経て、君臨してきたる、外星人との交際上の慶びは、いずれ・・・重量で、腕を地に落とし潰す。
間違い無い。
イタリアだ。
着想源はここだ。
軽量意匠、高速実践が集める評判の地、ここを、京は今、ここ、京と、勘違いなされる、とのご選択にある。
菓子業界のみに非ず、政経も、突如、地に高速落下する危険を宿しておられる。
確かに、その相を、長く、お咎めであろうか。
この料理の品目数、そして二時の仕出しのそれ、これらとは、如何にご実現か。
構わぬ、のであろうか。”

絹屋町の料理、

ナマズ、一匹が丸焼き、大皿の上

オナガ、の絵、写実的描写

カンナのくず、五糎程度が一枚、小皿の上

右側、銅色である画びょうが一本、小皿の上

もちきびご飯、の三割ほどの米に、これ程黒い線が中央分割線の三割に走っている
秋田産米にまつわる、取引上指標、云わば、無意味露呈が、今、やや恥なる、ちょんまげ、“うぅぅん いぅぅうん くぅぉぉう ぅおぅ”に、難波の高級料亭へ納入さるあらゆる米にとっての、取引上指標、家庭の賢妻ぶりを怒鳴り気味主張し続け銘柄、“ぬなぁん はぁぁん たぁぁん”を、混ぜる。
二者の割合については、一度として、作為配剤せずべし。
秋田産、新潟産の米、業界内、非倫理的配合、世のいずこにも存在せず家庭のおひつ、が顕現する。
 小さめおひつの画像は、これしか無かとよ
これの七割五分に二銘柄が満ちている、ので客は全てを、世から消すべし。
この料理に出会いし客、十割、つまり全員は感得していった。
“皇族用駕籠かご、に乗りての、難波の出来立てタコ焼きの湯気を浴び知るは我が眼球。
描画を強いられしは、天幕内寝台の内、湯気により焼かれる、恥なる食欲上焦燥感。
あれが今、食べたい、このような姿勢で味わっていきたい。”


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