青龍神界鏡

次はまた首相してみんかお前。
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京今新在家西町とらくああ三-一-一

1533年11月17日 00時00分00秒 | 投稿

現在の九号線から大枝西長町、おおえにしながちょうに走る道一帯には、道沿い西側に自然石を加工した謎の造形物が放り置かれていた。
造形者への依頼ならぬ、指示をまといしの裁量、これ系をやれ、は“造形技術への資しゆき、ただ、との捉えを、時間錯誤的に資しゆき評価が強欲に、ただをつまり調律搾取しゆくとの怖れが露呈しつつ”等。
かなりの奇怪さとは、朴訥さが造形苦労を調伏し、否、巧妙に内部から頓服しつつの遂には、人格への君臨主張の露呈が立札。
十六もの、巨石。
十五屯から、三百屯。
そして西京区のここら一帯から山を越えた西とは、言及意欲からして論外たるべくの論拠らしきが長くの、つまりはべく、のべく、強べくの地。
巨石の製作依頼の正体とは、霧散とはならなかった、京偏くの思考疲弊の圧縮、析出物。
視認を過ぎし、京の公家理性とは不在のまま。
傍を行き交う行商人に謎を与えゆくのみ。
京の最果てそこらが、誰ぞにより、ですらなく、とにかく誰も不介在のまま、選ばれ、投げ置かれていった。

あ、今の京都駅南の九条新町には、天井の無い、非公園とは強固主張の家具置き場風体が広がっていた。
縦九十六、横四十二米で床とは楓製材の板が敷き詰められており、乱雑に佇むのは、途中製作段階らしき二階建て寝台、そして現代の洋式便器四・五倍大、二米大の巨大な筆記具は漆塗りで中は毛筆状、椅子の底が三角に抜け、直立している高さ三米の巨大な壺が口から斜めに溶け。
壺が視認者の社会風体維持意識に、即座に問いしは、“京の玄関近隣にて、即座にお溶けをお認めとの、人生の社会風体の詩歌い役にして下品玄関、あなたの口とは、強力君臨額縁を前にいかに。
視認から即座に頭に流入しゆく、含意解釈意欲以前の、機とはこたびは巨大な壺、初めからお溶けを具象以前からお認めらしき、への故への到達への罠、理性と下品双方を統べる玄関具象をお選び。
溶解の術とは、薬液。
溶解、これ、立った、の影たる、在りの佇みへの無言の尽くし、風雨、無謬理性、空間概念の捉えてしまい力への、非自然の豪雨。
薬液の塗布量から知る術、の介在をこたび露呈とは、知的介在衝動、自己叱咤への非滑稽の様ありきとの影。
薬液、これ断じて、社会風体、下品玄関双方にとっての胃の広げゆきへの無言なる、間抜け固定資本の維持人生、無意味交際、演技の微笑を内に深く認めし京の残忍理性共にとっての刻印知見。
いつぞやの必罰を、無言の尽くしへの、無言の貪り認む、その唇が知り舐めゆく、をお前は今、成文をいかに知りゆきたるか。”
壺は家具置き場の奥にしつらえられており、視認者たる奇怪風体への強欲内在属性姫とは、出会いへは、必ず程度を問われていく。
軽量、高速の予定消化意欲そのもの状態殿向けの宿が、近くに三軒あった。
宿を利用する、のではなく宿の品格の見聞との、蜂密集めの蜂との時、花への無意味、不要の刈り刃を認めずとの、意識らしい外星人はここらの宿の内外を見て回る。
利用はせずのまま、中を見るのは常識の内。
地理は京側から渡された手書きの地図の複写、十代の子供から文化視察意欲とは適当散歩意識から励起は不可能だったらしい七十代の普通の爺さんまで広く頒布済みとなってしまったらしい、を通じ知りは容易だった。
近くに無料風体機構、淫乱花壇があるわ。
公園にして粗雑ね。
そしてどうして人を誘いつつながらの入念さとはこうも知的陰湿さを速く、深く流し込んでくるの。
彼女ら、密の直吸いの針とは無縁意識のままの、蜂蜜の瓶浸かりの文明人とは、即座に壺周辺に群がっていた。
お宝含意とはここに流し込まれ状態に間違いないわ。
溶解面を素手で触る、中に頭挿して覗く、声を響鳴させてレスを待つ。
溶解面は薬液の成分からして危険ですぞお嬢さんら。
あ、偶然雨が危険性を溶解させとった、らしい。
ここで最近得た新鮮なる璽奥の理解を詠唱すれば、何らかはしたなき学び過程が、剛毅な無理矢理洗練を見るのよ。
京側は、蜂蜜の瓶側に、誠実、潔癖確信し切りの地図を渡した。
そして、京各地の構造、街並みの敷設に向かいゆきては、自己の理性資源に自己前後の尽くしゆき資源への、固定資本状態、最も頑迷に嫌う愚物、悪の根源の介在、近しへ風が吹きつけられゆく。
京で、京由来の構造物へ得た知見の量、そしてこれらへの安易に安価印象、認定量、これらの相関関係を描画しゆく放物線とは、彼女らを確実に壺の前との深み座標にいざないゆくべしとの係数を備えていた。
京人とは誰も壺の前には足を進めなかったが、そうあったとして家具群から喰らいゆく、口周辺の価値への各種重量、陰湿のパイセとは、彼女らに訪れていった。
地図と、地図内闊歩の後の見分快楽がきっかけの刺激だった。
誰も論難などは経験してはいない。
京との街を訪れ、そして感想とは、“彼らの品格維持脊髄にとっての絶対なる価値目盛を掌握したとの告白は出来ない”。
深み、統べ力何らかを分からんかった。
そして見分快楽量とは自認。
“京で得た知見を運用しての各種鋭利視野の拡充が、日用品快楽に囲まれていると、上手く進まない。”
京の理性量にとっての日用品快楽量を、本当に誠実に掌握出来てはいなかった、との俯瞰上の指摘を行う者が居た。
それは、京人、家具的公園、ここに登用されし捉えや理を、外星人文明の強欲視野で勝手に収めている、理と快楽の相関地図。

あ、西京区の山の月人との宴場はな、やぐらは登られての踊り子をお待ちには設計時は無かった。
また生糸結んでの提灯揺らしも同様。
やぐら設計意欲姫とは、京の最重量政務、うんぎいが、あゅいわあはあじいき状態におありによる、多くの侍従の内一人。
とにかく、宴場でやぐらは立つべしや一切の前振り無きままのやおらの踊り子への囃子、はやしとは、誰も知らずのままの建築の仕手開始。
うんぎい、はそして、あゅいわあはあじいきの内実と輪郭を一切、眺望の経験
とは無い。
二者とは、“慶び事の取り仕切り、への尽くしのお力、への起立、筋肉血流”たるべし、との概観なら共有する。
宴の候補地とは誰ぞ、選定関連分野、間、に於ける鋭利力そのもの状態殿によりいつぞや、選定行為疲労が霧散されていく事で、決定されていった。
爆薬での発破作業も同様。
うんぎいはそして、やぐらの生えゆきを見知る。
その前に、やぐら資材の包み、紫雲ぶりを決定せし者とは、公家誰ぞの鋭利力を消費せしか。
答えは、人間の理性と情動、混濁ながらの自然にして真剣時の応対の内。
難波で検分の仕事にあった月人、理性の敗北、感動平衛無言の後に、月人の固定電話会話の声質が月に帰星した別の者により月に伝わると、透明、無言、人間間の情報融通態度が決定を下す。
平衛無言の命令力にとっての物流的姫、近隣の民生の健全度をお調べし、次の手を打つべき。
京都駅近隣を調査対象と選択済みの月人の一団が、複数回、京を訪れてくる。
報告が上に伝わる。
別象限の眼力者が目隠し帽と私服にて三人乗りの宇宙船で京都駅のずっと南に降りてから馬車に乗る手筈は、融通され済み。
京都駅近くの卸屋に入り、店員に穿ち事、理性尖らしめられの慨嘆を正直に告白する。
再度的、な出会い的な約束的、を伝え合う。
店員は同じだが、これで月側は当該卸屋を再び訪問しての声色を楽しむ事が出来る肉体血流を現在から未来にかけて形成していってよくなった。
再会を果たしていくと、卸屋は“片言のみやこしゃべりにて、両方言、ごと、理解されゆきへは頭を温かく押さしめゆきが上手き事、理性遠きの腹の底より”な方一団の来訪を知ると、準備していた箪笥奥の一反をすぐさま無数に広げる。
卸屋側には紫雲素材融通役たる、素材への紫雲認定云々との強欲無礼、回避力状態姫が含まれている。
お客は別の素材にもご関心とお見え。
別の卸屋を紹介する。
その予定を、事前より抱えてはいた。
この卸屋に別の時刻に来れば、その卸屋にお連れ致しますわ。
先には大勢の公家が応接を待っていた。
二者は烏丸北大路から南の小山堀池町、こやまほりいけちょう辺りの小奇麗さのみそのもの過ぎな事、二十台前半の希少家系の女子のみが客設定との成文筆記意欲そのもの、の高級居酒屋等での歓談の時を過ごし始める。
複数回の面会を経て、うんぎい、あゅいわあはあじいき、となる。
歓談の慶び姫は、いちいちの指南との無駄作法とはご無縁。
紫雲素材融通役からして、西京区の山拓き推移を眺望した者は一人として居なかったが、ねおの開館計画の察知人間具象の存在推移も同様の捉え、紫雲融通に満つ、尊きべしなる理性と情動の混濁、の内だった。
雑多なる利益感慨の雷雲の内にて、仕えのみに在りらしき理、これを雷雲の快楽を吸いつつ、お捉えしゆくとの脳内、論外推移。
言及せざるべき事永遠なる、人間の手首の血の青き事汚れらしきと指の精妙動作利益、医療辞典の紙めくりの収受先とはまずは指と夫婦なる目、頭。
慶び各種の辞典を舐め知りゆく公家とは、以下に立ちし者。
そは、雷雲快楽を確かに吸いつつ、雷雲快楽が大衆に伝達されゆくべく、理の駆動利益に忠節に振る舞いし大衆の人生を侮蔑する事無く、上役に君臨しつつ、雷雲が理に、無駄に尽くしている間抜けな様を、強欲に舐め見し者。
かくして理を捉えし理性は、紫雲快楽各種を知り舐めゆく。
公家、知的眺望とは、身分の死を予定しゆくのみの、成人後に知る精管知見がこれ。
公家の一考え事。
西京区の山拓きだねおだのの以前の、公家理性、紫雲快楽のみへ、への推移。
理、捉え理性の生成。
主体意識が理を捉う、の前の、捉えゆきの力、たる捉えてしまいそのもの、の成立へ仕えし無言利他状態、とは無数の理と捉え、捉えられ、雑多混在、饅頭自動走行製造機であるが、これへの自然微笑が、捉えるの快楽を生む。
公家曰くの捉え、こそ人間にとっての至上、無謬、無限の力とは、公家曰くの捉えの正統性と、周辺の正統快楽が主張を支えている。
そして、“我、あなたの着物奥の財布柄を見知ったり”の快楽とは、第一層を、“あなたの街での私的行動範囲、見分視野、角度、長らくを断定してしまったわ”とする。
彼ら公家上流はこう捉える。
奥を見知ったなら、何を喰い学びいきたるや、との断定から自他は逃れられぬ、を。
嬉しいか。
面白い、らしい。
心内に、深い知り合いが増えた、と。
彼らは参考にしゆく事長期。
見分や、人生選択に於いて。
私的微笑領域にて、捉える、を快楽登用するとなるとこうなる。
“好みの異性の行動範囲をたどれる、筆記具の人気の方向性を断定可能な会話の間合い、へ滑り込めそうな女子会があるが、開陳可能な捉え事とは、現在以下無数。”
捉え事から、異性の行動範囲を掌握出来た、快楽とは以下。
好みの異性、せしめられ領域、への知的接近済み状態なるあたし、とは頭領域がつまり、せしめられ済み状態そのもの。
にして、二十台前半の同年代の異性が整髪料の頭ごと、流しを着つつの仕草とは一人での腰を振り。
嬉しいか。
嬉しい。
今出川が好きな時に知見を想起してからその度にいちいち濡れおる。
男はこの手の傾向とは極めて少ない。
知性ば溶かしゆく力を睡眠ごとに根から太しめゆく、。
女だと十台後半から三十代前半まで皆溶かしおる。
三十前後となると知るだけへの虎がことわざの掛け軸に乗る。
二十五、六の男にとっての身なり、世慣れへの風体、目つきの生理的強さの漏らし傾向、これら貫通の捉え、四条河原町界隈向け、への、への、へのはは必ず猛り群がる。
璽奥への到達者とはしこたま毛筆の書の前で濡れおった。
我、二十五、六期は知的骨格、の性的成分はこれ也。
露出せしめたる血管とは、何故、への自己想起状態へあたしを至らしめる事二十五、六期、大勢の男の知的骨格が。


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