青龍神界鏡

次はまた首相してみんかお前。
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京今新在家西町おあふかあ二十九-五-十六

1533年11月16日 00時00分00秒 | 投稿

あ、鴨川沿い、川端通りの丸太、今出川間には現在立ち並びが見える料亭ではなく、無機能との人間の捉えを浴びゆくが役目の家屋が並んでいた。
中は空、または箪笥や化粧鏡。
一階建てまたは二階建てで、入口を仕切る扉は無い。
要り用ありしの者は、入りなん、が京での捉えられ。
入っていく者は例えば居酒屋業界の連絡役、化粧の小物問屋の挨拶回り役。
中で、書類仕事をするのではなく、物の配置を動かしたりはしない。
立ったまま思案に耽るのみ。
これらの家屋群、こたびはどれぞ、選ばしめとの頭の中での、行為せしめ力、の繁茂しゆき、一切横暴視認せず、の貫徹とは身を置く務め上、地下言及が大いに厄介なりき、と後程の気付きがある。
この気付きがもたらしてくる厄介さとは、当然いかようかにして消すべし。
務めに身を置く。
これがこのような業風体以前の、厄介な手触り雑音をもたらしてくる、とは容易に確信可能だった。
これらの家屋群、こたびはどれぞへ身を入れいきなん、との自己発露の義務か他者の指示かは不明の時がかつてありしの予定がある。
自己発露の義務とは、これ自己の立身出世欲望との弁別は済みしかとの問い、答えはまだ。
他者の指示への服しゆき時の、自己の行為貫徹欲望は弁別管理され済みかとの自認もまだ。
しかし、これは既に分かる。
予定殿のご品格への、一切の強欲誰何無きままの、予定駕籠のお運び抱え、への服し意欲とは潔白。
川端通り並びの家屋群は過去、いつぞやに自然視認を経て存在を察知済み。
近隣に於きしの風体からして、流れお呑み続けしの風の色の量からして、推測をお望みの他の可能性を枯らして、そは、近隣殿万象在りしのご風体の維持力お呑み意欲そのものがお色。
京で、この手の風体何らか、素なる立ち、枯れ前、後か分からんとあるらしき非、藪規格のお口、お呑みとは以上の推論を呑み始め、遂には思案との佇みを喰らう、という事、との主張を成らしめゆく、事群。
発注に従い、確かに建築家がまず、川端に三軒立てとる。
そしたら、いつぞやに同業が六軒並べる。
眺望者は不在。
以下の眺望者も同様。
それは、挨拶回り役の思案力とは、主体意識者の記憶の明瞭度を無視し、呼吸が長いが故、色々と闊達な意見を持ち易かった。

こうした川端の無人家屋群といったお佇み的機能、四種が組み合わさる事で、ねおの人事計画は常に堅牢だった。
人事計画の堅牢性に加え、ねお周辺の無数の因子が組み合わさり、かつこの野放図交わりを無眺望という点を、絶対必要の皿として、ねおのみならず、近隣一帯の担当者誰ぞは、酒という、理性溶解銘柄、手収まり意欲とは剛毅銘柄を解釈可能だった事、事前通達無きままの突如の交歓歓談の場の提案、金星人の日常歩行の平民、三十代女性が木マス。
和菓子の衒学なる木製の器並べの問屋を、青白い蛍光灯を天井から照らしとると見るや、平日午前にご訪問の婦人とは通訳を介して質問攻めの後には、これまた千畝系に再会の機の臨時提案。
今度どこかでお会いしませんか。
詳細は手紙でやり取りする事になる、とは二者は知る。
これつまり、酒級の理性溶かし飲料を手に収め、と自認しゆきや今から、が意。
千畝は困り気味。
木製用品への興奮から、これは技術への褒賞を前に照れているのね、との解釈を呼ぶのみ。
京、理性溶けの後の回復には、例えば無人家屋での思案が要る。
実際に二者が再会していた場は、中京区の無国籍風体の居酒屋が多い。
問屋側四名は高級整髪料、高級おしろいから全て、超絶のろうみいに状態。
文化関心団十一名は平民状態、交際上の品格衣服。
向こうは製法や技量の維持意欲、技術の継承法を知りたい。
問屋側は返答時に向こうから漏れ聞こえる、技術の維持法周辺の民度の説明に、本心から関心を持って耳を傾け、満足を堂々と露呈していた。


月人との交際初期に西京区の山に京側が設けた交歓場には、無数の大小のやぐらが立っていた。
やぐら間は、非意図性そのものの稚児のかいな、無邪気な手毬つき時の玉の跳ねへの懸命さ、かいな操作理性のみならず頭部内の全人生駆動型、を乗らし揺らす、濃い白の太い生糸、練り編み式が高さを設けつつ、我が今の理性垂らし揺らしを、提灯、ちょうちん、複数とかつて選んだと同意したらしい。
和紙が硬質化剤ののりを塗られ、内にだいだい色の電球の明かりを灯しつつ、風無きまま揺れる。
しつらえし工芸人とは、本当に、揺れの理を知らん。
各種、放り投げ式の理、への尽くし事の捉えの実践の結果。
生糸とやぐらの結び目の根には、工芸人の計画無きまま、鈴、軽銀、真鍮から成るばねが結ばれておりこれはやぐら内部で、複雑なからくりと連結していた。
コムアイ形象の男曰く、“理への知的強欲眺望を遠ざけつつ、生糸無視を肉感捉えの内とする、非権能、踊りの被登用がここ、やぐら内では駆動をお望み。
踊りとは、脳の血管と灰白質の二者、理を捉える、力そのものらしき、とこれらが外部、視認者へ頑迷主張にありながらも無言の間抜け尽くし共、二者双方の和睦の様が、敷居の溝と襖の音走りの二者の便益と耳障らしめ迷惑の根源の相関の内に収まる様そのもの業態の捉われの姫の帯の主張力。

やぐらお立ち、への純朴尽くし権能の数々、これらの冷徹計算なら明確に自覚していた。
月よりの客人を心底歓ばせようとしている。
“うんぎい”、一字がお動き事、忙しきの様、ご最近より、を選ばしめられらしき。
横鍛冶町、讃州寺町、的権勢のみが字の内の意味、内部音響に値しゆく。
うんぎいとは京の最重量政務。
うんぎいの周囲とは今あ、ゅ、い、わ、あ、は、あ、じ、い、き、が、おあり。
これはご言及に会われしとして、やはりあ、ゅ、い、わ、あ、は、あ、じ、い、き。
何が、どう、人を、人の捉え事を、最重量政務、うんぎいは、あゅいわあはあじいき。
最重量政務の一瞬未来への全力懸命、の捉えを誰ぞ一人の一瞬に関する、非意図的捉えてしまい量にすら、許さんとご主張が、最重量政務そのものの帯内の内部の刺繍への濃密感激、公家の頭内。
非漢字の五文字、あゅいわあはあじいきとはとにかく、これの存在を察知したとして、察知者懸命の尽くしを感動事に関する人生了見を通じて強いてくる。
搬入されしやぐらの材料とは、包みからして紫雲和紙。
横讃奥方の娘の嫁入りへの駕籠棒品格。
本心からの人生渾身の笑みを漏らすコムアイ。
御苑の皇族周辺の仕事に向けて卸される素材品格は既に知っている。
“自己の鋭敏理性への嘘を自認、これを相手への失礼として漏らさぬようだけに、懸命にせしめてくるのは、相手、江戸たる、挨拶強いし方、との評価は京では成立してはいるが、御苑側は自己起立努力とはもはや歴史的に、ダリを露呈。”
銀座中央に、利便性とは公知力十分過ぎの大型イオン店舗、への無言ぷげら。
最近ではイオンシックスとか何でとや。
アホな江戸が最近、イモ武士の征夷をしっかり発揮して知的に頑張っとるが、京へは来んでおませ、と云いたいとの伝え、本心のまとい着物の素材品格の察知力ぐらい知っとけ、といちいち云わせんでおませ。
江戸がアホでから、耳が無いでから、京が無理矢理エヴァンゲリオン系ば通じて、音ば聞かせつつ、征夷の鎧内のアホ理性ば、無理矢理江戸で正座させおる、がコムアイの解釈。
無理矢理エヴァンゲリオン系だけん、卸素材の捉えが頭の奥に失笑的疲労を蓄積してきとる、とのいちいちの捉えとは、他の捉え理性ば確実に、イオンとシックスの間の連結力の強さで、パイセしてくる。
我、西京区の山、非公言の火薬にて、拓きしの果て、非、イモをこたび連結に邁進。
コムアイは猛る。
そして猛り力姫、とは既にやぐら素材の包み、が、紫雲和紙事実、との成文中の、“が”。
これが、紫雲和紙、嫁入り事実への、包み誠意としたとして、我、ただ猛りいき、一切の無謬の理。
そしてとにかく、やぐらは稚児の無邪気状態の肉体感を宿しいく事となり、ついでに生糸に生る提灯も揺らした。
からくり設営しゆきに関する知的眺望とは一切描かぬまま。
やぐら内の歯車、織機、しょっき構造は“これらは、ただこれらだけではやぐらへの尽くし事無きままの儚き風揺れの木立そのもの”。
やぐらではなく、やぐらの素材から全てを動かせし、あゅいわあはあじいきの奥、たる手前による、歓びへの捉えられ、への尽くしに、やぐら内は仕えている。
やぐら内のからくりは、外部の電気発動機やらに糸で繋がっていたのか。
違う。
今回、そして次回も同様。
月の音波爆弾でしつらえられし、池の水の中をいつぞや泳ぎし亀、に自然水流を感じて頂くべく、ただ仕えへの徹しにおありし、水流発生機、への電源に繋がっていた。
亀の肉体的無謬の喜び、これ提灯の揺れ。
電源に糸を繋げたのは、亀の放流係、そしてコムアイ、やぐら側の二者とは一切無関係の、宴場の管理役。
これ、たるや、ここに繋げられしめべく、とのご風体。


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