◎自由から善へ
(2014-05-05)
人間の本性は善だと信じ込んでいたが、そうでもないということを知るに至った。
人間は、善悪のバランスの中で成長していくことで、本当の自由な意志を得て、悪を去り善を植えることができるようになるというのだ。この立ち位置のことを天の浮橋と呼ぶのだろう。
教派神道の教祖である出口王仁三郎によると、
1.人の精霊(アストラル体やメンタル体のことか)は、善悪両方の要素を含んでいる。出生後子供の時分までは、人は概ね悪の要素の方が旺盛であり、長ずるに従って善の要素が強くなるものである。
2.人の精霊には、別途2種の精霊(アストラル体以上の存在のことを言っているようだ)が同伴しており、一体は、天国と交流している善玉精霊(正守護神)であり、もう一体は、地獄と交流している悪玉精霊(副守護神)である。
3.ところがこの正守護神、副守護神も、自分のついている人間が自分とは別のものであるという認識がなぜかなく、人間が自分のものであると信じ込んでいるがために、一生懸命その人間を守護するという。
4.特に出生してからは、人間は直ちに悪の裡(うち)に落ちるため、その後の幼少期は、この両守護神がいなければ、肉体を維持していくことができない。(体主霊従でないと肉体も成長しないということか)
5.また長じては、善玉守護神がいなければ、悪を脱して善に覆(かえ)ることができない。
6.人間はこの両者の徳によって、天国と地獄の圧力を受けながらそのバランスを保持できることで、真の意志の自由を得ることができる。
(参考:出口王仁三郎全集二巻/あいぜん出版)
正守護神と副守護神は、どちらも人間のサポーターであり、アストラル以上の微細身の次元に分類されると思われる。より肉体物質に近いほうが地獄的であるから副守護神とし、想念主体とは天国的だから正守護神とする説明のように思われる。だからといって単純に副守護神がアストラル体次元のサポーターであり、正守護神がメンタル体次元のサポーターであるという説明ではないように思う。
人間にとってこの両者は更に密接な隣人というべきものであるような感じだが、なぜだかそのからくりをきちんと明かした説明は見かけない。
いずれにしてもこの天国と地獄のバランスにおける自由、天の浮橋をもって初めて善に進むことができるのだ。