昨日、午後3時過ぎに、カメラとケーナを持って家のまわりを散歩した。
公園があり、私はそこでケーナを吹いた。
私と女房は、この**ニュータウンの町並みが気に入って、ここに住むことを決めました。
前回、私が埼玉の家から軽井沢に帰るときに、1階と2階の和室の畳をどうしようということになった。
女房は、「畳替えをするとお金がかかるから、御座でいいかな」という。
私としては、私たちがあと何年暮らすか分からないが、畳替えをすればいいと考えていた。
いくら貧乏だからといって、御座はないんじゃないの、と思った。
ホームセンターで畳替えの料金を見ると、だいたい1枚5000円~8000円だった。
畳全部交換だともっとかかる
うちの畳はおそらく30年は使っているので、かなり傷んでいる。
もし、見積もりなどしてもらうと、全部交換ということになると予想した。
やっぱり、私たちにお金はない。
「それじゃ御座にすっか」となった。
それで本日、それを実行した。
いつものカインズホームに行って御座を見た。
6畳の御座が5000円弱だった。
これでいい、と2人の意見は一致した。
私たちは、こういうことには必ず気持ちが一緒になった。
もともと1階の和室にあった御座を2階に敷いて、買った6畳のを1階に敷くことにした。
なぜか前のこの家の持ち主は、6畳の和室に4畳半の御座を敷いていた。
なので2階の和室の御座のないところは、フローリング模様の樹脂のものを敷くことにした。
この敷物はこの部屋に敷いてあったものです。
おそらく前の持ち主の息子さんが、和室にこれを敷いてフローリングの気分を味わっていたと思われます。
こんな感じです。
1階の和室には、カインズで買った6畳の御座を敷いた。
御座はちょっと悲しいですが、私たちには似合っていると思います。
いっちょまえにイグサの匂いがして良い気持ちです。
私と女房は大満足です。
御座は、1畳のカタチになっていればよかったのですが、そうじゃないのです。
これでは、“なんちゃって畳替え”がバレバレです。
私は昨日から62歳になりました。
「62歳」というのは重い年齢ですよね。
ま、99歳の人から比べると軽いでしょうが…。
昭和27年(1952年)生まれです。
小学6年生のときに東京オリンピックがあった。
学校で日の丸を作って、聖火の通る国道まで行ってそれを振って聖火を見送った。
中学生になり私は吹奏楽部に入った。
それで音楽に目覚めた。
ギターを中学3年生のときに買い、高校3年生の文化祭ではフォークグループを作りステージで歌った。
日本一のギターを作るんだと、東京のギター工房に高校を出てから弟子入りした。
が、2ヶ月ほどで挫折、茨城に戻った。
金物屋の店員をしていたが、教師になるため大学に行こうと翌年上京した。
しかし、それも挫折。
昼間働いて夜の予備校では眠たく、授業がまったく理解できなかった。
会社の友人と酒を飲むようになり大学進学を諦めた。
ま、そのころからタバコを吸い、よく酒を飲みました。
それで私の人生はうまく行ったこともあり、まずかったことも少々ありました。
しかし、私は何回転職をしてきたことか!!
そのことを書いていくと今夜は眠れません。
なにしろ私はこれまで15回以上転職してきました。
まぁ、自分でも呆れています。
大学生協を辞めてから、行くとこ行くとこが潰れて行った。
大学生協のあとに仕事をした会社で残っている会社はありません。
いや、51歳以降で仕事をしたところは残っています。
NPOの福祉作業所、足場機材レンタルの会社、警備会社、コンビニは現在でもあります。
これまでは、38歳から45歳まで勤めた会社が一番長かった。
でもそのときは社名が3回変わり、勤務地も5回移った。
親会社が変わったということが原因です。
同じ会社にいたという気がしなかった。
そういうことで、現在の職場が一番長くなりつつあります。
同じ職場にいるということはありがたいですね。
これまで私はいろんな仕事をしてきた。
つくづく私は損してきたと思う。
62歳になってこう生きようと思います。
それをここには書きません。
これまで九想話に書いてきて実行してこなかったからです。
実行出来たら、書きたいと思います。
ダメだったら、嗤ってごまかします。
今夜の「クローズアップ現代 戸籍のない子どもたち」を観た。
これは大問題です。
日本に生まれて戸籍がない。
そのことで、普通の人が当たり前に出来ることが、日本国民として受けられない。
無戸籍になる原因は、父親のDVというのが多いらしい。
母親が、父親のDVから逃れるため別居する。
その生活で新しい男性と知り合い、一緒に暮らすようになる。
そして子どもが生まれる。
しかし、その子どもの出生届を出そうと思うが、戸籍的には離婚していない前の男の籍になってしまう。
前の夫の暴力が怖い母親は、出生届を諦めざるをえなかった。
そんなことで無戸籍の子どもが毎年500人ぐらい産まれるという。
明治時代に作られた法律が現代に合っていないということも、原因の一つにあるようだ。
こんなことは早く法律を改正して解決して欲しい。
おかしいです。
今年、初めて見つけた。
おれの誕生日を祝ってくれるように咲いていた。
今日のウォーキングにはカメラを持って行かなかったので携帯電話で撮った。
ケーナを持っていたのです。
湯川でめいっぱいケーナを吹いた。
誕生日をむかえるごとに自分の小ささを知っていきます。
なんの能力もないことに気づく。
(これでも、少しは才能があると思っていたときがありました)
こんなことだったら生きてこなけりゃよかったのかな?
なんて思ったり。
将棋で負けが分かって投了するときにカタチづくりをする。
あまりみっともないカタチを残さないようにして投了する。
おれもそろそろカタチづくりに入ろうかな、と思ったり…。
いや、まだまだ、これからが勝負だ、と、往生際悪くなるときもある。
あまり真剣に自分を見つめないほうがいいのかな…。
能天気に暮らしていたほうが楽だ。
いや、おれはそんな無神経な人間ではない、ということをまわりの人にちらつかせて生きようか。
しかし、どうつくろったって、おれはおれだ。
どうかっこつけたって、スマートには生きられない。
タバコをやめてから小太りじいさんになってしまった。
あぁ…、なさけない。
今夜は、なに書いてんだか…。
今日も、湯川ふるさと公園をウォーキングした。
天気は快晴で気持ちよかった。
小さな花たちがたくさん咲いていた。
でも、1周間前とは花が少し違う。
マムシグサも伸びていました。
湯川ふるさと公園が、少しづつ変化していくことが楽しみです。
17日にバースの持つ球団外国人最多安打数に並んだ阪神・マートンが18日、
8回の第4打席に左前打を放ち、バース超えとなる744安打目を記録した。
阪神がここまでなんとか2位にいる。
セパ交流戦でがんばって欲しい。
なでしこ7発でW杯出場決めた(日刊スポーツ) - goo ニュース
今夜は8時頃家に帰ったので、女子サッカーの試合が観られた。
久しぶりにニセビールを飲みながら女子サッカーを観戦した。
これだけゴールが決まると楽しいですね。
ぜひ、アジアで優勝して欲しいです。
村下孝蔵 初恋
村下孝蔵のこの曲を聴いたのはどのラジオ番組だったろう?
ラジオ深夜便だったか?
2階和室の壁の塗装をしていたときに聴いていた「午後のマリアージュ」だったか?
この日の「午後・マリ」は、3時間、日本の懐かしい楽曲が流れた。
私は今日、村下孝蔵のCDを仕事で世話になっている女性に贈った。
そのひとは今日誕生日だったんです。
毎年、誕生日にCDを贈っている。
これまでは、坂本冬美、徳永英明、中島みゆき、などをプレゼントしてきた。
今年も誕生日にはCDを贈ろうと決めていた。
逆に、CD以外にプレゼントは考えられなかった。
今日は悩んだ。
これまでは、その年に話題になるCDがあった。
この1年間は私の年齢で気に留めるCDがなかった。
じつは今年、一番贈りたいCDがあった。
私は、ピアニストの小原孝が好きです。
NHKFMで「弾き語りフォーユー」とい番組を長年やっているピアニストです。
小原孝のCD、特に「ハナミズキ」の演奏があるものを探していた。
ところが、今日行ったCD屋には小原孝のものが1枚もなかった。
それで途方に暮れたのです。
サザンオールスターズ、高橋真梨子、松任谷由実などを検討した。
でも、なにかしっくりこなかった。
そのとき見たのです、村下孝蔵のCDを。
そういえば最近このひとの「初恋」を聴いた。
この歌、おれは好きだったな、ということを思い出した。
♪ 好きだよといえずに初恋は
♪ 振り子細工のこころ
♪ 放課後の校庭を走る君がいた
♪ 遠くて僕はいつでも君を探していた
♪ 浅い夢だから胸を離れない
私の初恋は、小学6年です(5年だったかな?)。
同じクラスのひとを好きになった。
私が好きになったくらいだから、多くのクラスメートからも好かれた。
中学生になってそのひとはバレー部に入った。
私は、吹奏楽部です。
彼女とは同じクラスになれなかった。
私は、放課後に校庭に出た時にはいつもバレーコートのほうを探した。
彼女の姿を見たかったのです。
あのひとを見つけると幸せでした。
それだけです。
あとはなんにもなかった。
2階和室の壁の塗装をした。
女房が仕事なので1人で始めた。
1階の和室は2人でやった。
今日は1人だ。
全部1人でやるのはなにかと大変だった。
おまけに今日は、私の家のある区画のゴミ当番だった。
ゴミを町の清掃車が持って行ったあとにそこを片付ける仕事があった。
この町ではそれがルールだった。
私は壁を塗りながら、ゴミ捨て場を気にしていた。
12時近くにゴミ捨て場に行くと、まだゴミは置いてあった。
13時に行ったときにはキレイになくなっていた。
私は、そこを片付けて壁塗りの作業をした。
女房は今日半休をとっていて3時頃帰ってきた。
とにかく、壁の塗装はした。
それなりにキレイになった。
それにしても、自分でリフォームをやることは大変です。