仕事終え西友に行く午後10時40分。
晩飯としておにぎり2ヶ食べているが、
家に帰ってからのニセビールの肴が欲しい。
それに、明日はツルヤが休みだ。
外はかなり寒い。もうすっかり冬だ。
そろそろスタッドレスタイヤに換えなくてはと思う。
店に入って目に飛び込んできたのが柿だった。
(あ…、柿だ)と思った。
私は、果物で一番好きなのが梨だ。
その梨を今年は1度しか食べてなかった。
女房が軽井沢に来たとき買っただけだ、。
食べたいと思っているうちに店の棚から梨が消えた。
1人ではどうも買って食べようとは思わない。
今になってなんだが、もっと梨を食べたかった。
柿は、私にとって梨の次に好きな果物なんです。
その次が、林檎かな。
西友の棚には、種なし柿、筆柿、富有柿があった。
どうしても今夜買わなければならないという強迫観念に襲われた。
今買わなかったら、今シーズンは食べられないのではと思った。
富有柿を選んだ。4ヶで398円だった。
さっきニセビールを飲み、日本酒を1杯飲んでから柿を食べた。
うまかった。
すごく美味しいというわけではないがうまかった。
思い出を食べたような気がした。
私の生家の庭には、「あおそ」という柿の木があった。
直径20センチほどのその柿の木は秋になると沢山実をつけた。
家族でも食べたし、友だちが遊びに来たときも一緒に食べた。
それほど大きな柿の実ではなかった。
縦に長細く4・5センチの柿だった。
子どもの頃よく食べた柿はその他に、豆柿、百目柿というのがあった。
豆柿は直径3センチほどの丸い柿です。
小さくて食べずらかったが甘かった。
そしてなんといっても柿の王様は、百目柿だった。
実際、この字を書くかどうかも知りません。
ひょっとしてと思い、今ネットで検索したら百目柿が出てきました。
それじゃと思い、豆柿も検索したらありました。
なんとあおそ柿もありました。
でも串柿にすると書いてある。私の食べたものと少し違うような…。
子どもの頃、干し柿、樽柿も母親と一緒に作りました。
あの頃の柿を食べてみたいなァ~。
だから,柿は「庭にあるもの」で
「お店で買うもの」ではありませんでした。
「おやつ」や「食後のデザート」として,
その季節にはよく食べました。
渋柿もありましたが,焼酎で渋抜きしました。
同様に梅の木も「梅干」や「梅酒」を作り,
食べたり飲んだりしていました。
今考えると「食料の足し」というより,
贅沢な自然愛好家の生活をしていた?
けっしてお店で買う物ではありませんでした。
いや、店で買いたくても置いてなかった。
私の生家にも梅の木がありました。
柿の木は20年ほど前に切ってしまったが、
まだ梅の木は残っています。
そういば、あけびの木もあったけど、
あれはまだあるのかな?
私の家は、ただの百姓の家なのでいろんな木があっただけです。
でも、あのような家にまた住みたいです。
私の住む埼玉の鶴ヶ島も朝晩は大分寒くなってきました。
七日のブログで虚子のことを書いているのを読み、シンパシーを感じました。
私も虚子が大好きで、一番はと聞かれたらやはり、去年今年・・・の句を迷わず挙げます。
いかに年月が過ぎようとも決して色褪せることのない天下の名吟でしょう。
数年前、大岡信もこの句については大変評価をしている記事を読んだことがあります。
虚子は写生句もいいですが、観念句に傑作が多いように思います。
ですから、その後継者が何故写生とか伝統とかを金科玉条のごとく掲げているのか理解できません。
虚子は革新的であり、前衛的というのが私の私見です。
ここから先は余談ですが、私もにせビール(ビールもどきと呼んでいますが・・・)を愛好し毎日ささやかな晩食を楽しんでいます。
こんな自虐的短歌を以前つくりました。
人生は勝てば官軍生ビール負けて賊軍嗚呼発砲酒
お粗末・・・。
。
でも、「去年今年・・・」の句は好きですね。
碧梧桐との関係は面白いですね。
ちょっと調べてみたいと思います。
私にとって、発泡酒は官軍のほうです。
以前は第3のビール、
現在は、ホームセンターなどで売っているリキュールです。
24本で1880円のを愛飲しています。
これがなかなかおいしいのです。
でも、現政府は、この酒税さえも値上げしようとしています。
旗坊さん、団結して闘いましょう。