自分で生きる老い

2001年10月05日 | ラジオ

今週の午後5時5分からの
「いきいきほっとタイム」(NHKラジオ)は、
「自分で生きる老い」というテーマだった。
私は仕事が終わって、会社を出て車に乗り、
聴きはじめるのが5時半ぐらいなんですが、
毎日楽しみにしていた。
徘徊のことや、介護、老後の生き方などを、
ゲストを招いて話していた。
木曜日までの話は、ちょっと辛かった。
歳はとりたくないなァ、という想いだった。

しかし、今日のゲストの塩田丸男夫婦の話を訊いて、
まんざら歳をとるのも悪くないな、と思った。
歳をとれば老人はわがままになるんだ、ということで、
70歳になったとき、いっさいの年賀状をやめたという。
…………………………………………………………………
ここまで書いて、昨夜は寝てしまった。
11時過ぎだった。
さっき(10/6の5時半)目が覚めて、
あれ、昨日の九想話は書いたかな、と思った。
隣の部屋のパソコンを見ると消えている。
パソコンがついていないということは書いたんだ、
とほっとしたが、何を書いたか覚えていない。
確認しようと思い、
蒲団から抜け出しパソコンのスイッチを入れた。
パソコンが立ち上がる間にトイレに行った。
すると女房が「早く出て」と追っかけてきた。
何も、夜は長いのに夫婦そろって
同じ時間にトイレに入らなくてもいいじゃないか。
と、ムッとした。
パソコンを見ると、秀タームのUploadに、
「久寝ている.TXT」というファイルがあった。
女房らしいなと私は笑いながらそのファイルを開いた。
女房がトイレから出てきて話す。
「『5分間だけ寝る』といって、あなた寝たけど
 起きてこないので、『起きないの、パソコンはどうするの?』
 と訊いたら『今日は寝る。パソコンは消してくれ』
 というから、その名前で書いてた文書保存しといたのよ」
といった。
そんなこと私は覚えていない。
なんで起こしてくれなかったんだ、とまたムッとした。
しかし、起きなかった私がわるいのだと、反省。

昨日は1週間ぶりに楽家に行った。
行ったときは、カウンターに誰もいなかった。
そのうちSさんがいつものひかえめな姿でやってきた。
そして、Kさんが来た。Kさんと会うのは久ぶりだ。
Nさんも来た。
楽しい時間を過ごして10時半頃帰ってきた。
時間も早くそれほど飲んでいないのに、
パソコンに向かい九想話を書きはじめたら、
すごい睡魔が襲ってきた。
1週間の寝不足の影響ですかね。
私は何うだうだ書いているのだろう。
所詮、昨夜九想話をUPできなかったいいわけだ。
九想話を締めくくらなければならない。

女房に塩田丸男のいったことを話した。
「葬式はやらない。墓はいらない。
 散骨なんてこともしなくていい。
 人間死んだらおわりです。
 骨なんか、どうでもいい」
私も女房も、葬式なし、墓なし、散骨あり、
の考えだった。
自分の骨なんてどうでもいい、という考えにはなってない。
散骨には未練がある。
このへん、まだ人間が出来てないかな。
介護の問題もある。
私か女房がどちらか先に痴呆症などになったら、
残っているほうが介護するんだろう。
残ったほうがそうなったらどうなるか。
息子たちに見てもらうのか。施設に入るのか。
正直、そこまで突き詰めて考えていない。
今を呑気に暮らしている。
いや、呑気というわけではない。
今を生きるのに必死です。
でも、あるていど考えなければならない、
と思っています。
(まとまらない九想話ですみません)


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