薔薇、そして向日的

2006年05月07日 | 健康・病気
  近景に薔薇遠景にニヒリスト  喜田礼以子

私の愛するウェブサイト「増殖する俳句歳時記」で、
5月7日に清水哲男さんが取り上げられた句です。
この句を読んで、まいりました。
こういう句を私も作りたい。
私の句は、貧乏臭くて、垢抜けなくて、教養がない。
そんなことは分かっているのだが、
生まれがいやしいせいかいけません。

今朝、仕事に行くとき聴いたラジオ、
「イルカのミュージックハーモニー」(ニッポン放送)8時台の、
「イルカのMUSIC畑」では薔薇を歌った曲を流していた。
五月のバラ / 塚田三喜夫
バラ色の雲 / ヴィレッジ・シンガーズ
バラが咲いた / マイク真木
野バラ咲く路 / 市川染五郎
百万本のバラ / 加藤登紀子
何年かぶりにそれぞれの曲を聴いたが、よかった。

薔薇という花が私は好きです。
ただおもてだって「好きだ~」とはいえない。
なんかテレます。

話は戻って、「増殖する俳句歳時記」の清水哲男さんの解説文がいい。
薔薇の花に対する想いを始めに書き、
> その情熱的な花を作者は近景に置き、
> 遠景にニヒリストを置いてみせた。
> すなわち近くの情熱に配するに、遠いニヒリズムだ。
> ニヒリズムとは何か。ニーチェによれば、

私も昔、ニーチェを読んだ。
私の数少ない本棚にこんな本がある。
「ツァラトゥストラ」ニーチェ 手塚富雄訳 中公文庫
昭和四十八年五月二十五日印刷、六月十日発行と奥付にある。
本に挟まってコンサートのチケットがあった。
'73 都民の日記念 ベートーベン第九交響曲[合唱付き]、エグモント序曲 
上野/東京文化会館 4階1列28番
これはおそらく都響の友人にもらった券だろう。

あのころ、ニーチェに憧れていました。
友人と話すときは、いつもニーチェのことをいっていた記憶がある。
何も分かっていないのに…。

若かった私はニヒリストに憧れていた。
ニヒリストなんかに私はなれないからですね。
でも、ニヒリスト風に生きていた。
> 掲句を読んだ人の多くは、
> おそらくこの遠近景を試しにひっくり返してみるに違いない。
> ひっくり返してみたくなるような仕掛けが、
> この句には内包されているからだ。
> ひっくり返して、また元に戻してみると、
> そこにはくっきりと作者の人生に対する向日的な明るい考え方が
> 浮かび上がってくるというわけだ。
> なかなかのテクニシャンである。
(清水さん、勝手な引用、改行お許しください)

「向日的」か。いいな。
今の私は、「ニヒリスト」より、「向日的」に憧れる。

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