たしか8月18日は、私の親父の命日だったと思う。
「思う」と書くぐらいだから情けない。
よく覚えていない。
私が40歳ぐらいだったから、今から17・8年前に父は亡くなった。
いつも実家に帰って墓参りするときに、
墓石に書いてある、父と母の命日をメモしてこようと思うのだが、
なぜかいつも忘れます。ダメだ、ダメだ。
その年の始め父は糖尿ということで入院した。
黄疸が出たからです。顔が真っ黄色になっていた。
でも、本当のところは膵臓癌で手術で開いてみたが、
手のつけようがなくてそのまま何もしないで閉じたという。
まもなく治ったという形にして父は退院した。
7月になり、父の体調が悪くなった。
再び入院した。
もう手のほどこしようがなかった。
私は、旧盆の頃、1週間ほど会社に休みをもらった。
そしてほとんど父の病室に泊まり看病をした。
看病というより介護です。
親父の下の世話がほとんどでした。
薬臭い緑の大便の処理が大変だった。
父は80歳を過ぎていたと思う。
情けない。はっきり父の歳を知らない。
このあたりのことは、九想話の元になった
ASAHIネットの「かしの木亭談話室」に書いてあるはずです。
私は、親父のベットの横に布団を敷いて寝ていた。
親父は喋らない。
私は病院で、親父の寝顔を見ているか、本を読んでいた。
有給休暇の最後の日、私は所沢に帰った。
所沢の家に着いたとき、兄から親父が亡くなったと電話が入った。
「思う」と書くぐらいだから情けない。
よく覚えていない。
私が40歳ぐらいだったから、今から17・8年前に父は亡くなった。
いつも実家に帰って墓参りするときに、
墓石に書いてある、父と母の命日をメモしてこようと思うのだが、
なぜかいつも忘れます。ダメだ、ダメだ。
その年の始め父は糖尿ということで入院した。
黄疸が出たからです。顔が真っ黄色になっていた。
でも、本当のところは膵臓癌で手術で開いてみたが、
手のつけようがなくてそのまま何もしないで閉じたという。
まもなく治ったという形にして父は退院した。
7月になり、父の体調が悪くなった。
再び入院した。
もう手のほどこしようがなかった。
私は、旧盆の頃、1週間ほど会社に休みをもらった。
そしてほとんど父の病室に泊まり看病をした。
看病というより介護です。
親父の下の世話がほとんどでした。
薬臭い緑の大便の処理が大変だった。
父は80歳を過ぎていたと思う。
情けない。はっきり父の歳を知らない。
このあたりのことは、九想話の元になった
ASAHIネットの「かしの木亭談話室」に書いてあるはずです。
私は、親父のベットの横に布団を敷いて寝ていた。
親父は喋らない。
私は病院で、親父の寝顔を見ているか、本を読んでいた。
有給休暇の最後の日、私は所沢に帰った。
所沢の家に着いたとき、兄から親父が亡くなったと電話が入った。