大阪市立桜宮高校の男子生徒が自殺したことや、
女子柔道暴力告発問題などで、体罰が問題になっている。
私が高校生のときの話をします。
私は、吹奏楽部に所属していた。
運動部のようなキツイ体罰はなかったが、
私が2年のときの吹奏楽部では、何かというと先輩に正座をさせられた。
練習を休む者が多いときとか、練習の始まる時間に遅れた者がいたときとか、
3年生以外全員が正座をさせたられた。
3年生にも練習に来ない人もいたのに…。
私は正座させられながら、はらわたが煮えくりかえっていた。
3年、2年、1年が話すときの言葉遣いにもうるさかった。
気楽に話すと怒られた。
そんな3年生が3学期、吹奏楽部を卒業していった。
そのあとみんなの推薦で私が部長にさせられた。
私は部長なんてやりたくなかったが、断れなくやるしかなかった。
私が部長になってまず最初にやったことは、
1年も2年も3年もない、みんな同じ吹奏楽部の仲間だということでした。
私のことを後輩も「キューさん」と呼ぶようになった。
私の本名が「久」でみんながそう呼んでいたからです。
練習時間には遅れない、練習は休まない、などルールは守るようにはいっていた。
だけどそれをやぶったからといって正座などはさせなかった。
遅れてくる人には一対一で話して納得してもらった。
私が3年になったときに新しい顧問の先生が来てくれた。
大学を卒業したばかりの先生だった。
大学では吹奏楽部でフルートを吹いていて、茨城交響楽団にも所属していた。
先生の指導は魅力的だった。
中学生から吹奏楽部をやってきた私にとって、画期的な指導をしてくれた。
合宿には、先生の大学の後輩が4・5人指導に来てくれた。
練習は厳しかったが、休憩時間の話が面白かった。
エッチな話も人生論もしてくれた。
吹奏楽部の雰囲気は最高に楽しくなった。
そんなこともあり、高校になって初めて出場した夏の吹奏楽コンクールには銅賞に選ばれた。
私は中学のときにコンクールに出ていたが、それが初めての受賞だった。
私は体罰は絶対してはいけないと思う。
体罰で悪い行いを直そうとか、技術を向上させようというのは間違っている。
吹奏楽部の雰囲気が良くなれば、練習を休まないし、遅れない。
部員同士が仲良くなれば、一所懸命練習に励むし、互いに切磋琢磨して技術も向上する。
その結果、素晴らしいハーモニーが生まれ、いい演奏が出来る。
私が高校3年のときがそうだった。
ところが、私たちが卒業して1つ下の後輩たちが3年になったときに、
また何かあると正座をさせるようになったらしい。
私たちと楽しい1年間を過ごしたのに、なぜあいつらは戻ってしまったのだろう?
もう一度書きます。
体罰は絶対してはいけない。
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1月の九想話
1/1 迎春
1/3 筑波山
1/4 久しぶりのウォーキング 雪道や浅間を連れてウォーキング
1/5 同窓会 それぞれの心の高さ同窓会
1/6 えいちゃん
1/7 えいちゃん 2 年明くる一杯呑んでばかになる
1/8 えいちゃん 3
1/9 えいちゃん 4
1/10 夕暮れの湯
1/11 とんぼ
1/13 ウォーキングの途中
1/14 雪道4時間
1/15 12月の句会の結果 生き下手を直し切れずに年暮るる
1/16 女房がいる休日
1/17 雪ふとん
1/18 芥川賞・直木賞
1/19 水に流して
1/20 カメラ青年J
1/21 メモリーカード
1/23 ライブ前練習
1/24 ウルバンバの流れ
1/24 万里の河
1/24 ひまわり
1/25 タブレット端末 1
1/26 ライブ・イン・パンカーラ
1/27 第12回わいわいがやがやコンサート
1/28 冬の一日
1/29 タブレット端末 2
1/30 レ・ミゼラブル 寒つづくこの町に来て老いてゆく
1/31 体罰に思う それなりに燃やしつづけた夢凍る
もっと知恵をしぼらなくてはいけないと思います。
成果主義も体罰の温床です。
吹奏楽部での九想さんのような成功例を,
たくさん集めたいですね。
そうしないと,ただの「首の据え替え」に
終ってしまうのではないでしょうか。
人間に“圧力”をかけて何かさせようというのはへんです。
その人のやる気を引き出して成長させなければならないと思います。
このことを機会に、日本から体罰はなくしたいです。
しかし、今までにもこういうことがありましたが、なくなりませんね。
相撲でも亡くなった人がいましたよね。
昨日、サッカー日本代表・ザッケローニ 監督が、
「今朝の新聞を通じて知ったが、なかなかイタリアでは起こりえないこと。とても残念」
といっていた。
日本人としてとても恥ずかしいです。