9月7日は、私が最初に九想話を書いた日です。
ま、九想話の誕生日ですね。
1998年です。
私が45歳でした。
現在、私は59歳になってしまいました。
なんの成長もありません。
世の中の59歳といったら“ものすごい大人”なのに、私はいつまでもみっともないままです。
大人になれないんですね。
九想話に書いていることは、“情けない”ことばかりです。
そうです文字通り“クソ話”なんです。
もうちょっとましなことを書けばいいのに、教養の少ない男には書けません。
だったら、九想話など書くのをやめればいいのに、それもできない。
“さびしい”のです。
「おれは、ここで生きているんだぞ」ということを、形として残していないとさびしいのです。
私の書く情けないことを誰も見なければ、きっと書くことはやめるでしょう。
でも、毎日何人かの人は読んでくれる(アリガトウゴザイマス)。
なので、眠い目をこすって日々続けています。
自分に自信がないから、毎日書いているんでしょうね。
自分に自信があったら、黙って何もしなくてもいいと思う。
あの頃は、双子の息子たちと女房とで所沢で暮らしていました。
彼らは高校3年生だった。
息子たちは現在、31歳です。
ふたりとも結婚していてマイホームも手に入れた。次男のKには娘もいる。
あいつらと暮らしていたときは、「おれは親なんだ」という自負もあった。
息子らがいけないことをしたときは、きちんと叱っていたのです。
しかし、今じゃそれもない。
息子たちにずいぶん会ってない。
(孫とも会ってないな~。9月は彼女が5歳になる誕生日があるんです)
たんなる、一人暮らしの薄汚いオヤジです。
しかし、なんとかして薄汚いオヤジは、光輝きたいです。
年末に向けて小説を書きます。
(ここに書いたからには、書かなければならない。おれは男だ)
がんばります!!
これまで何回もこんなことを書きながら、小説を書いてこなかったな…。
今度こそ書きます。
いや、書かなければなりません。
なんとか、書きます。
そうです、書くでしょう。
はい、書くはずです。
書くよね~
もう、5時なんですね。
おはよう、ですね。
さっきまで寝ていました。
午後11時過ぎに仕事から帰って、食事をしてからパソコン立ち上げたのですが、
気がついたら寝てました。
そして4時に目が覚めて“8日”の九想話を書きました。
眠たくて眠たくてしょうがありません。
そんな思いしないで布団に入ってしまえばいいんですよね。
こんな自分が哀しいです。
私の10年後は、生きていないでしょうね。
自分の家も持てず、家族には会えず、1人暮らしでさみしく死んでしまうのでしょう。
私は、できるなら、家を持って暮らしていて、
そこに息子たち家族が年に1度ぐらい来るなんてことを夢みます。
しかし、そんなことは今の私にはありえません。
小説の文章修行にと書きはじめた九想話。
正直なところ“小説の書けない自分”ということはうすうす(いや、ハッキリ)感じています。
でも、心の奥底に“自分の小説”を書きたいという気持ちが未練たらたらあります。
だって、小説というものはいろんな形があっていいと思います。
しかし、これまでの私はあまりにも努力が足りません。
いや、努力というものをしてません。
それを深~く反省して、年末に向けて小説を書こうと考えています。
今年、これをしなかったら、ホントに私はダメですね。
薄汚い還暦ジジイになっていくでしょう。
旗坊さんは、毎日十句を作っている。
すごいことです。
これを努力といわないでなんというのでしょう?
私は、俳句を毎日一句作れません。
9月21日に東京に行く予定です。
21日か22日の夜、付き合っていただけるとありがたいです。
池袋の夜空に吠えたいです。
ありがとうございます。
“心がほっこり”していただければ嬉しいです。
読んでくれる人がそうなってくれることを願って書いていますがむずかしいです。
これからも、ほどほどに力を抜いて“クソ話”を書いていきます。
ブログを読んでいて何故か悲しくなってきました。
私は自分を駄目なやつとは思っていません。
ただ目指そうとするところに到達するには
あまりに努力が足らないだけです。
その努力ができるか否かが凡と非凡の分かれ目だと思っています。
私は10年先も「今にみていろ!}とうつろに叫んでいるでしょう。
さて九想さんはいかに????
私は九想話を見ない日は殆んどありません。
九想話には何か惹かれる物があるからでしょう。
心がほっこりするんですね。優しい思いやりのある
方だと思っています。人として一番大切なあったかい
心が伝わってくるのです。
これからも九想話に小説に頑張ってくださいね