今日は妻の入院の日でした。
今朝私は新潟のホテルにいた。
じつは、9月8日に新潟に行くということは2週間前から決まっていた。
茨城の友人と〝大人の休日倶楽部〟で行くことになっていた。
妻が5日に膝蓋骨骨折になり、私は旅行に行くことを諦めた。
私と友人は、9月8日に新潟に行って泊まり、9日は福島の会津若松に行き、
喜多方によってラーメンを食べるという計画だった。
ところが妻は、旅行には行ってくれなくては困るという。
自分のせいで私が旅行に行けなくなるのはイヤだという。
といって、9日に入院するのには私が付き添って行かなければならない。
それで考えた結果、私は8日に新潟に行くが、
9日に福島には行かず、13時の入院時間に間に合うように家に帰ってくる、
ということにした。
といっても、もし台風で新幹線が止まったりしたらどうしよう、と思った。
そのときには、妻が自分でタクシー会社に電話して病院に行けるか、と妻に確認した。
「行ける」と妻はいう。
考えれば今の妻の状態で、タクシーを呼んで病院に行くことは難しいと思う。
それでも、そういってしまう妻なんです。
私は新潟に行くことにしたが、残された妻は普通の身体ではない。
歩けないのです。
移動するには腰を床につけたままギブスの足をのばして、両手で少しづつ前に動いて行く。
高いところのものは取れない。
妻はそういうかたちで自分でトイレに行き、シャワーも浴びた。
それが私としては心配だった。
もしアクシデントがあり動けなくなったら、という心配だった。
それを妻にいうと、「旅行には絶対行って」という。
私は、ヨーグルトとレーズンバターロールパンとお茶のペットボトルを、
妻の手の届く冷蔵庫の下のところに置いた。
8日の朝、私は妻の食事の用意をして家を出た。
今朝、新潟は台風の影響もなく快晴だった。
7時にホテルのバイキングの朝食を食べて、7時半に呼んだタクシーに乗り新潟駅に行った。
7時56分の上越新幹線「とき」に乗り、9時39分に大宮駅に着き、家には11時20分に着いた。
それから妻の入院準備をして12時20分に家を出た。
12時45分に病院に着いて、妻はコロナの検査を受けた。
陰性だった。
それから入院の手続きをした。
9月11日(月)手術は13時半からとなり、私は12時半までに病院に行くことになった。
病院で入院手続きをして、私は家に15時ぐらいに帰ってきた。