双子の息子が生まれた頃

2015年08月25日 | 健康・病気

今週の連続テレビ小説「まれ」は、希が双子を妊娠したことがわかった。
何も知らなかった私は、月曜日に観ていて驚き、むかしの女房と私を思い出した。

1979年の秋(何月だったろう?)、女房が妊娠した。
そして、何度目かに病院に行ってそれが双子ということがわかった。
私は驚き、そして喜んだ。
うちと女房の家系には双子の人はいない。
自然妊娠だと遺伝の影響が大きいと聞いていた。
どうしてうちが双子なんだ?
その頃、私は最低な仕事環境だった。
東京の御徒町の小さい(6人だった)広告代理店に勤めていて、毎日求人広告の電話営業をしていた。
新聞、アルバイトニュースに求人広告を出している会社に電話して、
「広告の反響はありましたか?だめでしたか?それでしたらうちの企画はどうでしょうか?」
などと電話して、「ぜひ我が社の企画の説明をさせて下さい」と話して、その会社を訪問する。
私の会社の企画とは、読売新聞の西部本社版の日曜日の全二段に求人広告を載せるというもんだった。
西部本社版は、九州地方に販売されている。
「東京、神奈川など関東の寮・社宅完備の優良企業で働きませんか?」という求人広告を出すのです。
私は、その広告代理店の面接に行ってその企画を聞いたときに、これはいいんじゃないかと思った。
地方で都会に憧れている若者は多く、私もその1人だった。
その仕事をやってみたいと考えた。
そのことを女房は今でもバカにする。
「求人広告の営業なんてあんたには向いてないのに、あんな会社に就職したから苦労したのよ」
そうなんです、私はこれまでの人生であんなに苦しんだことはなかった。
仕事が取れず、社長には毎日怒鳴られ、生きていることが厭になり、山手線に飛び込もうかと考えたこともあった。
もう電話機を見るだけでも厭だった。
求人広告に載っている会社に電話しても、98%は最初に出た人に切られた。
「うちはいいです」といってくれるならいい。
何もいわずに切られることが普通だった。
電話をするのが厭になった。
私と一緒に入った同じ歳の男がいて、そいつは、毎日、淡々と電話営業をしてた。
そして1週間に1・2回は、電話した会社に出かけていって、そこそこ広告が取れていた。
私は、まったく「来てくれ」といってくれる会社もなく、1人厭な電話営業をしていた。

                                    -つづく-


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