プライベート・ライアン

1998年12月07日 | 映画

 土曜日、「プライベート・ライアン」という映画を観た。スピルバーグ監督
の映画だ。
 ノルマンディに上陸しようとするアメリカ軍の若い兵士が、つぎつぎに機関
銃に撃たれ、爆弾で手足が吹っ飛び、それでもドイツ軍に突進していく。
 映画の最初から、その戦闘シーンが20分か30分続いた。
 新聞である人が、「なぜあれだけの戦闘シーンが必要なのか」と書いていた
ことを思い出した。
 私もそう感じながら、瞼を半開き状態で観ていた。そのうち掌でスクリーン
をときどき覆わなければ観ていられなくなった。
 戦闘シーンが終わって、ほっとした。
 アメリカの、ある片田舎の家の中にいる女性が写った。この女性が、ライア
ン兄弟の母親だ。そしてまもなく、4人息子のうち3人の戦死の知らせが…。
 軍の偉い人(役職名を書けないのが情けない)が、「末息子は死なすな」と
命令を出す。その任務を受け、8人(だったかな)が、残った息子を捜しに行
く。
 その後は、書くのをよします。これから観る人のために…。
 スピルバーグは、これでもかこれでもかと戦争のむごたらしさ、みじめさ、
むなしさ、をスクリーンいっぱいにあらわした。
 つくづく戦争は厭だ、と思った。
 自分もそうだが、息子たちも戦争というものに行かなくていい時代に生まれて
よかった。
 しかし、地球上ではまだまだ…。
                               
 映画が終わってから、あの戦闘シーンは必要だ、と思った。

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