久米宏の話し方

2018年01月16日 | 健康・病気

昨日の久米宏の本のことを書いた九想話に、肥さんがコメントを書いてくれた。
> 私はどちらかというと,久米宏は苦手なたいぷなんです。
> (しゃべり方が速すぎる!)
私もその考えに納得する部分がある。
久米宏があのような話し方になったのには理由があった。
あの本で久米宏がこんなふうに書いている。

 アナウンサー以外の俳優やナレーターたちの話し方を聴いているうちに思ったのは、
自分は「久米宏の話し方」を見つけなければいけない、ということだった。
 僕はそれまでアナウンサーという職業に、どこかで違和感を覚えていた。アナウン
サーはみんな判で押したように同じ話し方をしている。まるでトーキングマシンだ。
それなら誰が話しても同じではないか。
 みんなと同じような話し方ができれば、みんなと同じようなアナウンサーにはなれ
るだろう。しかし、それでは自分がなる意味はない。大事なことは、多くのアナウン
サーがいる中で、いかに自分の個性を出して、久米宏というアナウンサーの商品価値
を上げるかだ。
 基本的な技術を習得したらその後は、聞いた瞬間に「これは久米宏がしゃべってい
る」と、みんながわかるような話し方が必要だと思った。では「久米宏の話し方」と
はなんだろう。
(略)
 ラジオでもテレビでも、僕は自分の家庭のことをほとんど口にしたことがない。話
し方も家庭的ではない雰囲気、よく言えば「クール」、悪く言えば「冷たさ」とも受
け取られる。
 そうは言っても、人間の話し方は幼少のことから家庭で培われるものだ。もともと
自分の中にないものをゼロからつくり上げることはできず、自分の中に根付いた要素
を拡大していくしかない。そういう意味で言えば、僕は昔から感情的にならない子ど
もだった。話している途中で涙ぐんだりしないタイプであることは、自分でよく理解
していた。
 しかも僕は子どものころから恐ろしく早口だった。これには多分、小学3年までを
過ごした東京・品川の土地柄が関係している。宿場町、漁師町、色街だった品川の言
葉は、下町言葉よりも乱暴で早口だった。漁師の息子たちと遊んでいた幼いころの僕
には、自然とその品川弁が入っていった。それに加えて、繰り返し聞いた志ん生の語
り口と息継ぎ、間の感覚。
 話し方は自分の声質と合っていなければならない。超低音でペラペラ話されると耳
障りだし、野太い声の女性が可愛らしくしゃべっても可愛くならない。声質と話し方
は表裏一体だ。
 録音した自分の声を聞くと、それほど特徴のある声だとは思えなかった。となると、
しゃべり方で勝負しなければならない。僕の声は「軽快」なしゃべり方が合うと判断
した。

肥さんは、次のようにも書いている。
> ただし,彼のプロ意識はすごいと思ってます。
まったく同感です。
久米宏のプロ根性が、それまでなかった夜の10時台に「ニュースステーション」という
報道番組を成功させたのだと思う。

肥さんのコメントへの返事を書こうとしたら、とても短く書けないと考え、
九想話にしてしまいました。

コメント (2)
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