「オール讀物11月号」に載っていた「ちょっといい話」を読んだ。
演劇評論家矢野誠一のエッセイです。
「東京やなぎ句会」という会名は、宗匠入船亭扇橋の当時の芸名
「柳家さん八」にちなんだものだそうです。
幼少の頃から俳句に親しんできた扇橋は、その頃すでに高浜虚子編「季寄せ」に、
俳号光石で詠んだ句が載っていたそうです。
落語家になりたての時分の俳句に、次の句があった。
炭熾す前座は屈むことばかり
> 発足時は十二名いたこの句会だが九四年に神吉拓郎が六十五歳、三田純市が七○歳、
> 九七年に江國滋が六二歳でそれぞれ新世紀を見ることなう鬼籍に入った。○六年に
> 永井啓夫七九歳、一二年に小沢昭一が八三歳で、さらにことしにはいって三月に桂
> 米朝八九歳、七月には四年間病床にあった宗匠入船亭扇橋が八四年の一期を終えた。
> その二○日後に、いちばん元気だった加藤武の八六歳での急死という衝撃を受ける
> のだ。
現在、永六輔、大西信行、柳家小三治、矢野誠一が残っているという。
> こうなったら何人残されたら散会するかが目下の重要課題だが、二人というのが有力だ。
> 婆婆抜きと句会は二人じゃできない。