昔の仲間からのメール

2011年07月08日 | 健康・病気

おととい、一通のメールが来ていた。
私が45歳のときに退職した会社の仲間だった人からだった。
辞める1年前に私は東京の本社から山梨工場に移っていたから、
彼とは15年ぶりになるのだろうか?
懐かしさで胸がいっぱいになった。
昔の会社のやつと会って私のメールアドレスを聞いたと書いてあった。

私が45歳のときに東京本社が山梨に移ることになり私は会社を辞めた。
1年の約束で山梨に単身赴任したのに、戻る東京本社が消滅してしまった。
そのときの会社に未来があるなら辞めずにいたかも知れないが、長くは続かないと思った。
私が山梨工場に行ってから新製品の装置10台分の部品を先行手配していたが、
1年たってもほとんど契約がなく残っていた。
新製品の性能があまりよくなかったことに加え、
客先の半導体メーカーの景気が冷え込み、受注が少なくなっていた。

所沢にいた家族は山梨に住む気はなかった。
それならということで私は会社を退職した。
45歳で課長職という立場を捨てるのは辛かった。
しかし、結果として退職してよかった。
10ヶ月後ぐらいには、その会社は消滅してしまった。
親会社が会社を売却してしまったのです。
たしかその会社は、山梨から静岡のほうに移ったかと思う。
そのとき、ほとんどの社員は退職したと聞いている。

東京本社で働いていたときは楽しかった。
私は資材課で、彼は品質保証課だった。
もともとは別会社だったのが私が40歳のときに合併した。
私がいた所沢の会社は、半導体製造の後工程に使われる装置を製造していた。
彼がいた会社は、半導体製造の前工程で必要な装置を造っていた。
こう書いていて自分でも記憶があやふやになってしまっている。
遠い昔のことです。
合併した頃は半導体業界のバブルのときで景気が良かった。
毎月、装置を10台ほど出荷していた。
1台5千万円前後の装置だった。
あの頃は良かったな。
あの会社が続いていれば、私の人生はどうなっていただろう?

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする