2年ぶりの作業所

2009年02月17日 | 健康・病気
昨日、2年前の1月に退職した福祉作業所に行った。
なんとなくわだかまりがあり、これまで行く気がしなかった。
3月から長野に行くので、ひとつのけじめとして行こうと思った。
しかし、少し気が重かった。

作業のじゃまをしないようにと昼休みに行った。
12時15分に市場に着き、駐車場に車を停めた。
すぐに作業所に入って行けなかった。
しばらく車の中にいた。
30分になる頃、車を出て作業所に向かった。

食事を終えたOくんが出てきた。
「元気?」と声をかけると、ニヤっと笑った。
Oくんは、数をかぞえることがちゃんとできるので、
いつも袋詰めした野菜の箱入れを担当してもらっていた。
いろいろ訊いたが、私のいうことがよくわからないようで、
駐車場のほうに行ってしまった。

作業所の入口に I さんがいた。
66歳になった I さんは、現在は老人ホームにいるという。
私がいたときは、所沢のアパートでひとりで暮らしていた。
あの頃は体の具合が悪いといってよく仕事を休んでいた。
「糖尿になっちゃった」と汚い髭面でいう。
少し太っていて、すっかり老人という感じになっていた。
今もおもに袋へ産地シールを貼る作業をしているらしい。

男性の職員がいたが、施設長は外出していていなかった。
その方に自己紹介をして、持ってきたお菓子を渡した。
私がいたときに一緒に働いていた
シルバー人材センターから派遣されているMさんがいた。
(Mさんは、なんどか「いろり端」に書き込みをされている)
私が退職してからの作業所のことを聞いた。
2年間だからいろいろ変化はあった。
私は、私のこれからのことなどを話した。

奥の食事をする部屋から I さんが出てきた。
プラダ・ウィリー症候群の女性で、
たしか25歳になっていたと思う。
相変わらずの肥満体だった。
私のことを覚えていてくれていた。
「**さん、こんにちは」といってニヤニヤ笑っていた。
「I さん、ちゃんと家に帰ってる?」と訊くと、
「ウ、フフフフ、帰ってるよ」という。
よく彼女は作業所の帰りにどこかに行ってしまった。
夜遅くおまわりさんから家に電話があり、
交番に家族が迎えに行ったりした。
2日ぐらい帰らないこともあった。

I くんも出てきた。
Mさんと私の話している近くのイスに坐った。
彼は、38歳になったとMさんがいう。
「I くん、休まないで来ている?」と私が訊くと、
「う、うん」と愛嬌のある笑顔でいう。
「そんなことないだろ」とMさんがいう。
彼は、休むと1ヶ月以上も来ないときがあった。

ダウン症のAくんが、大きな体で踊りながら来た。
41歳になったとMさんがいう。
Aくんがよく私になついてきたので一番接していたと思う。
しかし、Aくんは私のそばを何事もなく通過して行って外で踊っていた。
彼のことは、2~5年前の九想話に一番書いたと思う。

私の知らない人もいた。
私が退職してから入所してきた人らしい。
作業所の中は雑然としているのは同じだが、
私のいたときと少し変わっていた。
1時になり昼休みが終わり、B作業所にみんな行った。

I さんと一緒に歩いていくと、
「こんどカラオケに行くんだ」とうれしそうにいう。
「そしてドナサン(ジョナサンのことだろう)で
 おいしいもの食べるんだ。ウ、フフフフ」

職員の男性がフォークリフトに乗る。
ずいぶんキズがついていた。
私がいたとき新車で買ったものだ。

作業所のみんなに会って、
なんかこれで自分の気持ちが吹っ切れた。
私は、これからの自分の仕事を一所懸命やろうと思った。

コメント
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