加藤和彦

2006年03月23日 | 健康・病気
私は、この人のことをあまり知らない。
しかし、高校生の頃は夢中になっていた。
なにしろフォーククルセーダースが好きだった。
彼の音楽が気に入っていた。
今夜、「音楽・夢くらぶ」(NHK総合 23:15~23:45 )最終回に、
加藤和彦と坂崎幸之助が出てフォークルの歌をうたった。

私がギターを弾こうと思ったのは、フォークルの歌をうたいたかったからだ。
本当はクラシックギターをやりたかったんだが、中3で挫折していた。
それでただコードをジャラジャラ弾くことを覚えた。
「イムジン河」のコードがFから始まっていた。
今考えれば移調して弾けばいいのだが、
ムキになってFやB♭を押さえていた。

「悲しくてやりきれない」
この曲が世の中に流れたのは、私が高校1年の春だった。
「イムジン河」が発売中止になり、かわりに発売された。
入学したばかりの高校に絶望していた私はよくうたっていました。

「あの素晴らしい愛をもう一度」
この曲はフォークルの歌ではない。
71年に加藤和彦と北山修が2人でうたって出したレコードだった。
その年、私は高校を卒業して手工ギター製作所に弟子入りし、
3ヶ月で挫折し、田舎に帰っていた。
その前の年の秋に私は失恋していた。
同じブラスのアルトサックスの1年生にみごとに振られていた。
このことは過去の九想話に書いています。
この曲を聴くと、あのときの2つの挫折感がよみがえる。

「イムジン河」をうたう前に、
映画「パッチギ!」の監督、井筒和幸氏が出てきた。
映画に登場した人物は、加藤や坂崎をモデルにしたそうだ。
子どもたちと一緒にうたってとてもよかった。
中学3年の冬、寒かった実家での深夜を思い出す。
囲炉裏の火を消し、熾きに灰をかぶせ、
その上に炬燵櫓を載っけたコタツが唯一の暖房器具だった。
今、あらためて思い出したら、あの頃電気コタツがなかったのだ。
私が一人になれたのは、深夜だけだった。

こんなことをテレビを観ながら思い出していました。
加藤和彦は、いい歳の取り方をしているな、と思った。

コメント
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