ねつ造

2000年11月08日 | Weblog

 東北旧石器文化研究所の藤村新一副理事長のことを考える。
 彼は、なんで、あんな、こと、したんだろう。私と2歳ちがいだ。
「藤村が歩けば、そこに旧石器がある」
「神の手を持つ」
 そういわれるほどの実績を残した人が、そういわれ続けたいと願ったから捏
造をしたのか?
 そんなことをしていて、心は安らかだったのだろうか?
 もし、捏造がばれないであの世に行けたとしても、彼はそれで「いい人生だ
った」と思って死ねただろうか?
 藤村さんのこころの中を想うと、私は、哀しくなります。
 彼は、高校を卒業後、考古学を独学し、これまで180ヶ所以上の旧石器時
代の遺跡発掘にかかわり、石器の年代を次々と塗り替えてきた、という。
 私も高卒なので、なんか、彼のこころの奥底が分かるような気がする。
 ただ私は、これまでなんの栄光もなかったから(ハズカシイ)、なにをも“ねつ造”
する必要がない。これからもないだろう。すっぴんのおれで生きていく。
 それにしても「ねつ造」という表現は、だれが捏造したんだ。

コメント
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