絵は好きでしたね。
小学5年のとき、学校の代表に選ばれて郡展(西茨城郡だったイナカダナ)に絵
をだしたこともありました。
中学のとき、美術はいつも5でした。
高校では、音楽クラスだったので絵とは縁のない生活だった。
上京して住んだ駒込のアパートに、美大を受験して落ちた人がいた。その人
は、週に1度山谷で日雇いの仕事をして、あとは油絵を描いていた。その人か
ら、いろんな絵に関する話を聞き影響された。現在、台湾に行っている友人で
す。
そのアパートの彼の部屋には、彼の高校時代の友人で武蔵野美術大の学生、
マンガ家志望で背中まで髪を伸ばし、いつも着流しで一本歯の下駄を履いた人
とか、デザインを勉強している人とか、が来ていた。彼の恋人(現在の奥さん)
も、冬日雇いの仕事が少なくて、キャバレーにバイトにいったとき知り合いに
なったホステスとか、なんだか分からない女性も来ていた。
私の友人は、建築を勉強している奴、ボクサーを目指してプロテストに合格
した者、小説を書くんだと息巻いてた早稲田大学の学生、こっちも負けずに雑
多な人間が訪ねてきた。
毎日、入れ替わり立ち替わり人が来て酒を飲んでいた。文学、美術、映画、
その他世の中のあらゆることを酔っぱらって話した。どうやって、あのときは
会社に行っていたんだろう。
そのアパートのことは、いつか小説に書こうと思っています。いや、15、
6年前書いて、初めて文學界新人賞に応募して一次予選に通ったことがあった。
なぜか、21歳のとき、原宿のデザイン学校に入ったことがありました。昼
間バイトして夜行ってたのですが、お金がなくて半年でやめてしまった。笑っ
ちゃいますが、私は学生委員長なんかに選ばれたのに、半年で学校から消えて
しまった。あのあと、どうなったんだろう?
こうして過去を振り返ってみると、いい加減な生き方していたな、としみじ
み反省し、また、落ち込みそうです。
一番好きな画家は、ルオーです。