2015年9月22日(火)
14時半頃、盛岡駅到着。
東北新幹線の改札→
そろそろ帰省先から帰る客で混み始めそうな頃ですが、まだそんな気配はなし。
在来線ホームへの跨線橋→
人っ子一人いません。気味悪すぎ。
東北新幹線が終点だった頃ですら在来線ホームは列車が発着する以外はひっそり閑散とした印象を持っていましたが、途中駅になってからは一層過疎化が進行している感じ。
列車本数に比べて明らかにホームの数が多すぎる。
ホームに降りたら少しは人がいたけど→
それでもひっそり感満載。
これより盛岡市南にあるベットタウンである2町を廻りますが、今まで経験だと「ベッドタウン」なる所は街巡りにはあまり魅力的でないケースが多く(特に駅周辺は)、結果的にはここもそれでありました。
矢幅(やはば)駅→
今年7月にここであたら若い一つの命が失われました。その報道を聞くにつけ、可哀そうでやるせない思いを抱かずにはいられなかった人もきっと多かったでしょう。冥福を祈り手を合わせる。
岩手のシンボル・岩手山(2,038m)→
盛岡から見ると富士山のように見える事から「岩手富士」とも呼ばれている火山。
たまたまだとは思いますが、本家富士山同様300年程マグマ噴火なし。
健康になろうとするのはいい事→
だけど、1日平均の塩分摂取量が男女ともに全国堂々第1位の岩手県。まずはそこからだな。
駅東側→
再開発中らしく、道路も大掛かりな拡張工事中。
一方の駅西側は駅付近こそ再開発したばかりの感はあるけど、ちょっと奥に進むと旧態然の町並み。
↓敢えてしているのか分からないけど、ズーズー弁丸出し看板。
↓あたかも歯の治療に来るのが楽しそうな錯覚に陥りそうだ。
↓(551)岩手県紫波(しわ)郡矢巾町(やはばちょう)役場
これで幾つ目の紹介なんだろう、町名(矢巾)と駅名(矢幅)の表記が違うケース。
人口は増加傾向の約27,000人で、財政力指数も県内第3位(平成22年)と、岩手県でも恵まれた町。
今ではベッドタウンの町の感ある矢巾町ですが、元々は稲作が盛んな地域。
弘仁3(812)年に征夷大将軍文室綿麻呂により築かれた、蝦夷征伐の最前線基地となった律令制度最後の柵城である徳丹(とくたん)城の跡があります。
紫波中央駅(盛岡方向)→
↓出口は西側だけ
平成10年3月に開業した新しい駅で、平成13年に駅舎が完成。
地方自治体や地域住民らの要望で開設されたいわゆる請願駅で、寄付金を集めて建設したという。
JRにしてみたら利用客も増え、「町所有」の駅なので券売機のショバ代だけで維持管理費を払わなくていいからね、いい事ずくめ。
↓駅前には「オガールプロジェクト(詳しくはここのサイト参照)」に基づく施設があります。
↓「10の民間テナント(飲食・物販・医療・教育系)と、紫波町が運営する情報交流館(図書館・地域交流センター)で構成される『官民複合施設』」オガールプラザ
↓「オガール地区の中央に位置する、紫波町のシンボルとなる空間 来街者を迎え入れる庭園ラウンジのような屋外空間」オガール広場
こうした種の街づくりは、これからの日本には有効なのかも知れません。紫波町のこの取り組み、成功して他の自治体が倣うようになるといいけど。
(552)岩手県紫波郡紫波町(ちょう)役場→
人口は34,000人近くある盛岡のベッドタウンである一方で、もち米・そば・フルーツ栽培などが盛んな農業の町。
それにしても、年を食えば食うほど(特に女の人は)あまり好きになれなくなる地名かもなあ。
古くは「斯波郡」と書いていたものが、天正年間まで治めていた斯波氏の最後の当主、詮直(あきなお)が「今日よりは紫波と名付けん。この川の石にうつ波紫に似て」の句を詠んだことにより「紫波郡」になったというようです。
駅東側にも街が広がっているようですが、大回りしてJRの線路の下を潜って行かなければならないし、それ以上にクタクタでその気が全く起こらず。
先に紫波町を「農業の町」と書きましたが、駅東側には国道4号線が通っているので、恐らく例のロードサイト店と住宅が並んでいるだけの町並みと勝手に想像して、北海道~東北と続いた旅を強制終了。
一ノ関駅から新幹線に乗って帰ります→
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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→
14時半頃、盛岡駅到着。
東北新幹線の改札→
そろそろ帰省先から帰る客で混み始めそうな頃ですが、まだそんな気配はなし。
在来線ホームへの跨線橋→
人っ子一人いません。気味悪すぎ。
東北新幹線が終点だった頃ですら在来線ホームは列車が発着する以外はひっそり閑散とした印象を持っていましたが、途中駅になってからは一層過疎化が進行している感じ。
列車本数に比べて明らかにホームの数が多すぎる。
ホームに降りたら少しは人がいたけど→
それでもひっそり感満載。
これより盛岡市南にあるベットタウンである2町を廻りますが、今まで経験だと「ベッドタウン」なる所は街巡りにはあまり魅力的でないケースが多く(特に駅周辺は)、結果的にはここもそれでありました。
矢幅(やはば)駅→
今年7月にここであたら若い一つの命が失われました。その報道を聞くにつけ、可哀そうでやるせない思いを抱かずにはいられなかった人もきっと多かったでしょう。冥福を祈り手を合わせる。
岩手のシンボル・岩手山(2,038m)→
盛岡から見ると富士山のように見える事から「岩手富士」とも呼ばれている火山。
たまたまだとは思いますが、本家富士山同様300年程マグマ噴火なし。
健康になろうとするのはいい事→
だけど、1日平均の塩分摂取量が男女ともに全国堂々第1位の岩手県。まずはそこからだな。
駅東側→
再開発中らしく、道路も大掛かりな拡張工事中。
一方の駅西側は駅付近こそ再開発したばかりの感はあるけど、ちょっと奥に進むと旧態然の町並み。
↓敢えてしているのか分からないけど、ズーズー弁丸出し看板。
↓あたかも歯の治療に来るのが楽しそうな錯覚に陥りそうだ。
↓(551)岩手県紫波(しわ)郡矢巾町(やはばちょう)役場
これで幾つ目の紹介なんだろう、町名(矢巾)と駅名(矢幅)の表記が違うケース。
人口は増加傾向の約27,000人で、財政力指数も県内第3位(平成22年)と、岩手県でも恵まれた町。
今ではベッドタウンの町の感ある矢巾町ですが、元々は稲作が盛んな地域。
弘仁3(812)年に征夷大将軍文室綿麻呂により築かれた、蝦夷征伐の最前線基地となった律令制度最後の柵城である徳丹(とくたん)城の跡があります。
紫波中央駅(盛岡方向)→
↓出口は西側だけ
平成10年3月に開業した新しい駅で、平成13年に駅舎が完成。
地方自治体や地域住民らの要望で開設されたいわゆる請願駅で、寄付金を集めて建設したという。
JRにしてみたら利用客も増え、「町所有」の駅なので券売機のショバ代だけで維持管理費を払わなくていいからね、いい事ずくめ。
↓駅前には「オガールプロジェクト(詳しくはここのサイト参照)」に基づく施設があります。
↓「10の民間テナント(飲食・物販・医療・教育系)と、紫波町が運営する情報交流館(図書館・地域交流センター)で構成される『官民複合施設』」オガールプラザ
↓「オガール地区の中央に位置する、紫波町のシンボルとなる空間 来街者を迎え入れる庭園ラウンジのような屋外空間」オガール広場
こうした種の街づくりは、これからの日本には有効なのかも知れません。紫波町のこの取り組み、成功して他の自治体が倣うようになるといいけど。
(552)岩手県紫波郡紫波町(ちょう)役場→
人口は34,000人近くある盛岡のベッドタウンである一方で、もち米・そば・フルーツ栽培などが盛んな農業の町。
それにしても、年を食えば食うほど(特に女の人は)あまり好きになれなくなる地名かもなあ。
古くは「斯波郡」と書いていたものが、天正年間まで治めていた斯波氏の最後の当主、詮直(あきなお)が「今日よりは紫波と名付けん。この川の石にうつ波紫に似て」の句を詠んだことにより「紫波郡」になったというようです。
駅東側にも街が広がっているようですが、大回りしてJRの線路の下を潜って行かなければならないし、それ以上にクタクタでその気が全く起こらず。
先に紫波町を「農業の町」と書きましたが、駅東側には国道4号線が通っているので、恐らく例のロードサイト店と住宅が並んでいるだけの町並みと勝手に想像して、北海道~東北と続いた旅を強制終了。
一ノ関駅から新幹線に乗って帰ります→
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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→