2016年1月31日(日)
2年間行方不明だった女の子、無事で良かったですね。
ところで、監禁されていたとされている千葉大学裏のマンションですが、大学とマンションの間の道路はしょっちゅう車で通っているし、以前1階にあったコンビニにはよく立ち寄ったのもあって当然知っていたので、とてもビックリしたわ。
まさか犯罪の現場だったとはね・・・。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ようやく糸満市を脱出し、お隣の八重瀬町(やえせちょう)へ。
(572)沖縄県島尻(しまじり)郡八重瀬町役場→
平成18年に東風平町(こちんだちょう)と具志頭村(ぐしかみそん)が合併して成立した約3万人が住む町。八重瀬岳という山が町の由来。
さて、この町が所属する島尻郡ですが、本島南部の他、東は台風が来た時によく聞く南・北大東島、西は久米島、北は本島最北端よりはるか北にある伊平屋(いへや)・伊是名(いぜな)の2島に及ぶ、異常すぎるほど広い郡。正直この大きさには驚きだわ。
↓役場前に立っていたガードマンに「無料なのでいかがですか?」と、この演劇を熱心に勧められるも無下に断る。
スマンのお・・・。
八重瀬町出身の沖縄自由民権運動の先駆者である謝花昇(じゃなはのぼる)の生誕150周年を記念した喜劇のようですが、興味がなかったのもあるけど、劇より是が非でも見たいものがあったからで・・・。
それは富盛(ともり)地区にあります。
↓案内に従って進んでいくと急坂になり、それを登っていくといきなり目の前に階段が現れて車道は行き止まり(私が立っているのは階段)。
あたりに駐車場はないし・・・。それに降りていくのは難儀だぞ、こりゃ。
私のお目当てとはコレ!→
沖縄で最大かつ最古のシーサー「富盛の石彫大獅子」(高さ約140cm、長さ約175cm)。
村火事が多かったので、それを治めるべく風水師の助言を受けて作られ、1689年にここに置かれた火除けの獅子。
ところで、像を間近に見ると所々に小さい穴があいております。
理由はこれ→
旧海軍司令部壕に飾られていた写真。
沖縄の守り神というより、あたかも米軍の守り神になってしまっているかのように見えるのが何とも切ない。
それに70年ほど前にここで激戦が繰り広げられていた事自体も信じられませぬ。
シーサーからほど近い「八重瀬公園」へ→
この日の一週間後(2月7日)に「やえせ桜まつり」が開催されるというので、どんなもんか咲き具合を見に来てみました。
ところで、ここにもひっそり戦争遺跡があります。
左側の階段を登って奥にある「白梅学徒看護隊之壕」で、前々編でお話しした「白梅学徒隊」が活動していた「第24師団第一野戦病院」跡。
ピンボケですみません→
岩が黒ずんでいるのは、米軍によって火炎放射を受けたかららしいです。
階段を登った先の上からの眺め→
↓ヒカンザクラはまだチラホラ咲きでござんした。
ま、こんなもんだろうね。
公園でガードマンをしていたおっちゃんに「夜、ライトアップされるよ」と言われ、「何時くらいになると暗くなるんですか?」と聞くと、「6時半くらいかなあ」という。
えっ?、そんなに日が長いの?
この日の那覇の日没は18時11分。その頃の東京は17時を過ぎるともう暗くなっていたのでね、それに慣れきっている身としてはビックリなのですよ。
18時半まであと1時間近くもあり、ここでずっと待っているのも苦痛なので、車を走らせ南城(なんじょう)市へと向かいます。
閉園後の「おきなわワールド文化王国・玉泉洞」→
人のいないテーマパークというのはとっても寂しすぎ。
でも、国内最大級規模を誇る鍾乳洞「玉泉洞」や、世界で唯一のハブの博物館「ハブ博物公園」、沖縄の古民家を移築した「琉球王国城下町」があったりと一度は行ってみたいお遊び処。
糸数入口交差点→
この先をまっすぐ行くと「糸数アブラチガマ」という戦争遺跡があります。
それは南風原陸軍病院の分室として、「ひめゆり学徒隊」も配属されたガマ。
(573)沖縄県南城市役所→
沖縄では「城」を「ぐすく」と呼ぶのですが、何でだかここは「じょう」。
ここも平成18年に4つの町と村が一緒になって誕生した人口約4万人の市。
ようやく暗くなり始めましたし、行けたらいいなと思っていた琉球一番の聖地とされる「斎場御嶽(せーふぁうたき)」や雄大な眺めが売りという「ニライ橋・カナイ橋」は次回の楽しみに。
↓そこで、磯釣りの名所で一周約1.6kmの奥武島(おうじま)へ。
この島の名物は「沖縄風天ぷら」→
でも閉店してしまっていて、いと虚し・・・。
↓再びの八重瀬公園。
那覇市へ行きレンタカーを早々に返却します。
あれっ?、残り2日間車なしでどうするの?なのですが、どうしましょうかね?
参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→
2年間行方不明だった女の子、無事で良かったですね。
ところで、監禁されていたとされている千葉大学裏のマンションですが、大学とマンションの間の道路はしょっちゅう車で通っているし、以前1階にあったコンビニにはよく立ち寄ったのもあって当然知っていたので、とてもビックリしたわ。
まさか犯罪の現場だったとはね・・・。
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ようやく糸満市を脱出し、お隣の八重瀬町(やえせちょう)へ。
(572)沖縄県島尻(しまじり)郡八重瀬町役場→
平成18年に東風平町(こちんだちょう)と具志頭村(ぐしかみそん)が合併して成立した約3万人が住む町。八重瀬岳という山が町の由来。
さて、この町が所属する島尻郡ですが、本島南部の他、東は台風が来た時によく聞く南・北大東島、西は久米島、北は本島最北端よりはるか北にある伊平屋(いへや)・伊是名(いぜな)の2島に及ぶ、異常すぎるほど広い郡。正直この大きさには驚きだわ。
↓役場前に立っていたガードマンに「無料なのでいかがですか?」と、この演劇を熱心に勧められるも無下に断る。
スマンのお・・・。
八重瀬町出身の沖縄自由民権運動の先駆者である謝花昇(じゃなはのぼる)の生誕150周年を記念した喜劇のようですが、興味がなかったのもあるけど、劇より是が非でも見たいものがあったからで・・・。
それは富盛(ともり)地区にあります。
↓案内に従って進んでいくと急坂になり、それを登っていくといきなり目の前に階段が現れて車道は行き止まり(私が立っているのは階段)。
あたりに駐車場はないし・・・。それに降りていくのは難儀だぞ、こりゃ。
私のお目当てとはコレ!→
沖縄で最大かつ最古のシーサー「富盛の石彫大獅子」(高さ約140cm、長さ約175cm)。
村火事が多かったので、それを治めるべく風水師の助言を受けて作られ、1689年にここに置かれた火除けの獅子。
ところで、像を間近に見ると所々に小さい穴があいております。
理由はこれ→
旧海軍司令部壕に飾られていた写真。
沖縄の守り神というより、あたかも米軍の守り神になってしまっているかのように見えるのが何とも切ない。
それに70年ほど前にここで激戦が繰り広げられていた事自体も信じられませぬ。
シーサーからほど近い「八重瀬公園」へ→
この日の一週間後(2月7日)に「やえせ桜まつり」が開催されるというので、どんなもんか咲き具合を見に来てみました。
ところで、ここにもひっそり戦争遺跡があります。
左側の階段を登って奥にある「白梅学徒看護隊之壕」で、前々編でお話しした「白梅学徒隊」が活動していた「第24師団第一野戦病院」跡。
ピンボケですみません→
岩が黒ずんでいるのは、米軍によって火炎放射を受けたかららしいです。
階段を登った先の上からの眺め→
↓ヒカンザクラはまだチラホラ咲きでござんした。
ま、こんなもんだろうね。
公園でガードマンをしていたおっちゃんに「夜、ライトアップされるよ」と言われ、「何時くらいになると暗くなるんですか?」と聞くと、「6時半くらいかなあ」という。
えっ?、そんなに日が長いの?
この日の那覇の日没は18時11分。その頃の東京は17時を過ぎるともう暗くなっていたのでね、それに慣れきっている身としてはビックリなのですよ。
18時半まであと1時間近くもあり、ここでずっと待っているのも苦痛なので、車を走らせ南城(なんじょう)市へと向かいます。
閉園後の「おきなわワールド文化王国・玉泉洞」→
人のいないテーマパークというのはとっても寂しすぎ。
でも、国内最大級規模を誇る鍾乳洞「玉泉洞」や、世界で唯一のハブの博物館「ハブ博物公園」、沖縄の古民家を移築した「琉球王国城下町」があったりと一度は行ってみたいお遊び処。
糸数入口交差点→
この先をまっすぐ行くと「糸数アブラチガマ」という戦争遺跡があります。
それは南風原陸軍病院の分室として、「ひめゆり学徒隊」も配属されたガマ。
(573)沖縄県南城市役所→
沖縄では「城」を「ぐすく」と呼ぶのですが、何でだかここは「じょう」。
ここも平成18年に4つの町と村が一緒になって誕生した人口約4万人の市。
ようやく暗くなり始めましたし、行けたらいいなと思っていた琉球一番の聖地とされる「斎場御嶽(せーふぁうたき)」や雄大な眺めが売りという「ニライ橋・カナイ橋」は次回の楽しみに。
↓そこで、磯釣りの名所で一周約1.6kmの奥武島(おうじま)へ。
この島の名物は「沖縄風天ぷら」→
でも閉店してしまっていて、いと虚し・・・。
↓再びの八重瀬公園。
那覇市へ行きレンタカーを早々に返却します。
あれっ?、残り2日間車なしでどうするの?なのですが、どうしましょうかね?
参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→
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