ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

148日目 観光客の訪れない昭和的那覇(2)

2016-04-24 00:59:01 | 南西諸島
2016年2月2日(火)


前編の最後に載せた「壺屋うふシーサー」は、窯元が軒を連なる観光名所「壺屋やむちん通り」の入口にあります。
平成25年に設置されたこのシーサー、口や台座からミストが噴き出るらしいけど、冬の時期もそうなのかどうかは知りません。

↓シーサーから南東に向けては一本の通り「神原大通り」が走っています。

一見ごく普通の道路。
つい最近までは道幅はもっと狭い上に、建物が両側にひしめいて建っていたらしい。
さて、変哲もないこの通りがどうしたの?と思うでしょう。

戦後、那覇中心部はアメリカ軍に接収されて市民は生活の場所を失ったのですが、それが最初に解かれたのがここら一帯。
必然この通りは繁華街となり、デパートや映画館、商店が立ち並ぶようになり、今となってはウソみたいですが、沖縄一の繁華街だったという。
1950年代後半にその座を「国際通り」に譲ったのですが、いくら50年以上も前の事とは言え、ちっとはその名残りがあってもよさそうなものだけどねえ。

↓上の写真の左手にある、鮮やかな(?)青色の、継ぎ接ぎだらけで今にも壊れそうな、戦後の昭和そのままのバラックがイヤでも目に入る。



これは素晴らしい!文化財にしてもいいくらい(と個人的に思う)。
驚くべきは営業しているらしきお店が数軒あること。
しかも、正面左側にある「おでん六助」は、かの筑紫哲也氏が贔屓にしていたお店らしい。

↓ネコもたくさんいて、彼らの格好の雨露しのぎの場にもなっています。


↓この周辺は「神里原(かんざとばる) 社交街」という赤線地帯だったようで、嬉しいことにまだその名残りを感じさせてくれます。






↓そば屋は営業しているようで、実際安いのですが、でもこんな中じゃあ食欲沸かんがな・・・。




↓上の怪しく汚いウラ通りの先を左に折れると、それまで暗渠だったガーブ川が顔を出します。

この両岸にはこれまた最近まで、今にも川に崩れ落ちんばかりに小汚いバラックがひしめいていたという。

↓そのバラックとは「農連市場」の建物で、幸いにしてまだ残滓があるので、周辺と中を見てみましょう。


↓入口前の道路を挟んだ正面にあった自販機。
 
安すぎるが故にかえって怪しいのですが、売り方も怪しすぎる。

建物脇の路地→

↓市場の中ですが、既にもぬけの殻状態。



とにかくボロボロ。その一言に尽きます。でもこれがいいんだな!
深夜1~2時頃始まって夜が明ける頃には店仕舞いしてしまう「沖縄一朝(?)の早い市場」なんだそうですが、さすがにその時間に市場の様子を見に来る気は起こりません。
でも、もしかしたら面白い或いは驚きの光景を見ることができるんじゃないかなどと思ったりもします。

↓再び暗渠「ガーブ川」沿いの商店街を抜けて、「国際通り」の方に向かいます。





全国どこへ行ってもシャッター商店街ばかりが目につくので、賑やかな光景はとってもいい気分にさせてくれます。そして、有名観光地に行くよりも、こうした住民の日常を見ている方がやっぱり楽しいわ。

ところで、ガーブ川流域一帯は再開発を計画しているらしく、実際「農連市場」も一部破壊されております。
ガイドブックに載っている那覇しか知らない人にはカルチャーチョックを受けるだろう、こうしたディープな那覇を残して欲しいなあと思っているのはきっと私だけではないハズ?。

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