ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

166日目 企業城下町・日立市へ

2017-03-20 23:45:46 | 北関東
平成28(2016)年10月9日(日)


※予めお断りしておきますが、写真は当日・翌日撮影分でゴチャ混ぜとなってます。

↓「この~木何の木、気になる木」とはよく知られたCMですが、その木があるという噂の・・・ウソです、そのCMを世に送り出した企業の創業地である日立市に降り立ちました。

その企業とは市名の字面から分かるでしょう、国内最大の電気機器メーカー日立製作所。

↓ですので駅前に出ると、日立製作所から寄贈されたというでっかい「タービン動翼」のモニュメントがイヤでも目に飛び込んできます。

そんなシンボル的タービンですが、これを恥ずかしがっている日立市民が少なからずいるやに聞きます。
意外ですな。なんでだろう?

日立市観光はのっけから駅にて始まります。
↓1番線(駅だけに)、「SEA BIRDS CAFE」(正面右側のスペース)。

「日立駅絶景天空カフェ」が謳い文句の喫茶店。
優雅にここで天空気分を味わいながら絶景を堪能するのもオツなのですが、時すでに16時近く。
お茶をすると晩酌がマズくなりそうなのでやめます。

2番線、駅通路→
これはたまたまだったのですが、当時は「茨城県北芸術祭」真っ只中で(昨年9月17日から11月20日まで)、駅通路がカラフルに覆われておりました。
なかなか幻想的、見られて超ラッキー(今行っても見ることができませんので悪しからず)。

3番線、この人だかり→
何だろ?と思い、近づくと・・・。

見た目フツーの望遠鏡→
何でこんなものに人が群がるのか意味不明でしたが、翌朝駅に来てみたら誰~もいなかったので覗いてみる。

 ナニナニ?! 上から腕がニョキッーと伸びてきたゾ!!→
てっきり望遠鏡だと思っていた物は「風景幻灯機」といって、海を背景に色々な映像が流れてくる装置。
もう半年も前の事なので何を見たのか忘れましたが、伸びてきた腕は何かを海から拾い上げていたような気がする。

他にこんな催しがあったりと、日立市はイベント三昧→

駅前にはナント!お台場某テレビ屋さんがあったりする!!→
とは、ガセネタですんで・・・。
これは「日立シビックセンター」という、プラネタリウムがあったり科学館があったりする多目的施設。
丸い部分がプラネタリウムで、天球劇場と呼ばれています。
何だパクリかよ、などと決して思わないで下さい。こちらの方が先輩建物なのですから。
街巡りを優先するので、中を見る時間を確保できませんでした。ここも今度リベンジじゃ。

この日の宿泊は駅前の某ホテルチェーン店。
↓ホテルの窓から(市街地の北方向)は「日立セメント」の工場が目を引きます。

特に左の建物は夜には輝いてキレイだったので、窓から撮影を試みましたがうまくいかず(私の持っているデジカメがショボすぎた)。
なお、このセメント屋さんは日立製作所とは何ら関係ないようです。

こちら「かねみ公園」の遊園地→
特におすすめは「ジェットコースター」なんだそうです。
何でも設備が古い上に、山の急斜面に沿って造られているので角度が急で、お墓の中に突っ込みそうな感じになったりと、かなりのスリルを味わえるのだと。
動物園もあったりします。

市内散策に出ます。
駅前から伸びる、だだっ広い「平和通り」→
ただ、人車ともに極めて少なく持て余し気味。

↓駅を背にして「平和通り」をひたすら歩くと、国道6号線に突き当ります。

こちらは逆に、人はともかく、片側一車線で捌くのはちと辛すぎる位の車の量。
うまくいかないもんだ。

↓北方向へ歩を進めると、一部字が消えかかり、「平」が消えた?元々ない?こんな看板があります。

助川とは日立の市街地の古い地名で、駅も助川と呼ばれていたそうな。
随分昔から助川本陣の復元を声高にしているけど、賛同を得られていない様子。

その左隣には、同じ方が訴える実に哀しき看板→
日本創成会議発表「消滅可能性都市」との中に確かに日立市は入っていますし・・・。
今回初めて日立駅に降りたのですが、正直、駅前は寂れた感があるのにビックリしたのも事実。
減っているとは言え約20万人を抱える市なので、勝手にかなりの都会だと思っていましたんで。

(625)茨城県日立市役所
現在新庁舎を建設中で、来年度供用予定。

かつては茨城県でも1位の人口数を誇っていましたが、今では3位に滑り落ちてしまっております。
日立製作所はバブル期には約8万人いた従業員が現在は37.000人余りで、かなりのリストラをしたのが祟ったんでしょうかね?

昭和14(1939)年に助川町+日立町で今の日立市は成立したのですが、その日立町とは明治22(1889)年に「宮田村・滑川村」が合併して成立した日立村の後身。
ところで、日立製作所は大正9(1920)年に日立鉱山から独立した企業。
その日立鉱山は明治38年に創設されたので、実は「日立」は鉱山や製作所から起因する地名ではない。
では、日立地名の由来は?

名付け親は茨城県とは切っても切れないあの超有名人
さすがに全国を廻ったというのはウソっぱちですが、領内視察には熱心だった黄門様はこの地に来ての一言「この村は朝日が立ち昇るが如く繁栄するだろう」、これが由来だとか(本当に言ったかどうかの真偽の程は知りませんが)。
確かに大当たり。でも昇った太陽はやがては沈みます。日立市は今はそんな状況になりつつあるのだろうか。

因みに私の生まれた愛媛県新居浜市も鉱山が元に発展した住友の企業城下町。
そういう意味では個人的にはどこか親近感の湧く町なんですけどね~。廃れた感じも似てますし。

↓見た目明らかに苦しそうな昔からの商店街。
 

↓30年前には「いきいきとした楽しい街並み」で、賞を受けているのだけど・・・。

今の様子をその当時の誰が予想できただろう。

↓まだまだ人で賑わう日立シビックセンター前の新都市広場辺りに戻って参りました。


↓スーパーでダラダラと酒つまみを物色している間に、一気に夜の帳が下りてしまいました。

そして人も一気にいなくなってしまい、急に寂しくなった新都市広場です。

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→