2015年9月20日(日)
9回表、則本が続投でマウンドに上がった瞬間、あっ、これは負けるかもと思い、実際そのとおりになって試合終了の瞬間すぐにテレビを消してしまった私であります。土曜日の楽しみがなくなってしまったがな・・・。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
この日の「旧炭鉱都市を訪ねてシリーズ」、3番目は上砂川町(ちょう)。
14時20分頃、このバス停で下車→
↓旧炭鉱都市であった証しは、イヤでもすぐに分かります。
ここを後ろに目を向けるとある高く聳える塔がそれ。近くに行ってみましょう。
↓上砂川町のシンボル的存在の「旧三井砂川中央竪坑」
「センタ」となっているのが、ちと笑える。
昭和62(1987)年に炭鉱が閉山した後の平成3年に「地下無重力実験センター」の実験棟として平成15年の廃止まで使われました。
実験内容は文科省HPによれば「710mの縦穴を地下にむけて真空カプセルを落下させることで、約10秒にわたって10-5Gの微小重力状態を10秒間作り出すことができる設備を利用して各種実験が実施された」という。何のこっちゃ?? とにかくこれは当時世界一だったという。
塔のちょっと先には「上砂川炭鉱館」→
平成17年からの無期休館が一転、昨年から期間限定で開館するようになり、今年は原則5~9月の土日が対象、というのを旅から帰ってきて知りました。
まさにこの日がそうだったワケですが、残念ながら、上砂川町では充分な滞在時間を確保できなかった事情もあり入館を一顧だにせず。嗚呼、痛恨の極み・・・。
↓下車したバス停近くには昔の駅舎が見えます。
平成6年に廃止された函館本線上砂川支線の終点・上砂川駅、歌志内市の時も紹介したテレビドラマ「昨日、悲別(かなしべつ)」で」では、この駅が「悲別駅」という設定で登場。
昭和59年のドラマですが・・・、このドラマが放映された事は全く記憶になく、「山河燃ゆ」「心はいつもラムネ色」程度しか知らんがな・・・。
鉄道が走っていた頃でも私はここに来た事はなく、その当時は、下車したバス停前に駅舎があったようで(下車したバス停は「上砂川駅前」という停留所だったらしい)、今は100m程奥に引っ込み、しかも向きも90度回転させております。因みに増毛でも触れた映画「駅 STATION」でも使われたという。
砂川駅方向→
昔はいっぱい線路が敷かれていたんだろうね。石炭満載の貨物列車で埋め尽くされた様子が目に浮かぶようだ。
町のメインストリート(道道114号線)→
人はほとんど見かけず、寂しい限り。かつて国を支えた炭鉱都市がかくなる姿になってしまうのは非常に忍びない。安倍さん、石破さん、早く何とかして下さい・・・。
(545)北海道空知郡上砂川町役場→
日本で一番人口の少ない市である歌志内市とたいして変わらない3,400人程が住む町。
明治32(1899)年に福井県鶉(うずら)村(現在の福井市、現在でも上砂川町には「鶉」という集落があります)から来た9名による開拓が町の始まり。
昭和24(1949)年に当時の砂川町と歌志内町の一部を分割して成立。
またもバスで砂川市に入ります。
近くの遥か彼方まで一直線の函館本線を眺める→
この直線区間は約20kmはあるでしょうか、線路を敷設した当時は全く障害物がなかったんでしょう、ただただひたすら真っ直ぐ。
ところが道路の方には更にこれを上回る29.2kmの、道路としての日本一の直線区間(美唄(びばい)市-滝川市)があります。
国道12号線のこの区間です→
ただし、砂川から滝川までの間が若干曲がっているとかで、実際は27.7kmみたいですが。
ただ、鉄道にしても道路にしても「すげぇまっすぐー、ワーワー、キャーキャー」と大喜びしている訳にはいかない。
国道12号線の前身は「上川道路」といい、建設されたのは恐らくロクな機械もなかったであろう人力が頼りの明治19(1886)年で、約90kmの道路をたった3ヶ月で完成させてしまう。そして、ここも含めて北海道中の道路・鉄道建設、炭鉱などの労働の担い手となったのは多くの囚人たち。
とにかく、北海道へ行ったならば前にも紹介したことがありますが、月形樺戸(つきがたかばと)博物館に行って北海道開拓時代の負の側面を多くの人に知って欲しいと思います。
砂川オアシスパーク→
180haの敷地内に100ha遊水池がある市民の憩いの場所。因みに市民一人あたりの都市公園面積は、平成26年3月現在で208.46㎡と日本一。
樺戸連山も一望できます→
(546)北海道砂川市役所→
歌志内市の地名の由来となったアイヌ語「オタウシナイ(「砂浜の多い川」の意味)=ペンケウタシュナイ川」を意訳した地名。因みに上砂川町は、ペンケウタシュナイ川の上流にあるから。
明治19年にたった1世帯5人が入植したのがスタート、その後砂川は農業も営みつつ、工業都市としても発展する。ただ、ここも御多分に漏れず人口減少には苦悩しており、現在約17,800人。なので、市民一人あたりの都市公園面積は拡大の一途で日本一はしばらく安泰と思われる(喜んでいいのか?)。
↓国道の西側に並行する飲み屋の多い歓楽街「柳通り商店街」
東側には「東1条南通り商店街」→
それにしても見事なシャッター商店街だ・・・。
↓国道12号線には多くの菓子屋があるので、「すながわスイートロード」と呼ばれています。
滝川方向のこの先をずっと行くと、今年6月に起こったあの惨たらしい飲酒運転による死傷事故現場があります。おまけにその事故後、共産党の砂川市議と砂川署の巡査部長が飲酒運転していた事実が発覚、砂川市はあたかも「飲酒運転天国」の様相。やりたい放題。
↓砂川駅から一路札幌へ。
この日の宿泊地は、恋の町・札幌でございまする。
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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→
9回表、則本が続投でマウンドに上がった瞬間、あっ、これは負けるかもと思い、実際そのとおりになって試合終了の瞬間すぐにテレビを消してしまった私であります。土曜日の楽しみがなくなってしまったがな・・・。
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この日の「旧炭鉱都市を訪ねてシリーズ」、3番目は上砂川町(ちょう)。
14時20分頃、このバス停で下車→
↓旧炭鉱都市であった証しは、イヤでもすぐに分かります。
ここを後ろに目を向けるとある高く聳える塔がそれ。近くに行ってみましょう。
↓上砂川町のシンボル的存在の「旧三井砂川中央竪坑」
「センタ」となっているのが、ちと笑える。
昭和62(1987)年に炭鉱が閉山した後の平成3年に「地下無重力実験センター」の実験棟として平成15年の廃止まで使われました。
実験内容は文科省HPによれば「710mの縦穴を地下にむけて真空カプセルを落下させることで、約10秒にわたって10-5Gの微小重力状態を10秒間作り出すことができる設備を利用して各種実験が実施された」という。何のこっちゃ?? とにかくこれは当時世界一だったという。
塔のちょっと先には「上砂川炭鉱館」→
平成17年からの無期休館が一転、昨年から期間限定で開館するようになり、今年は原則5~9月の土日が対象、というのを旅から帰ってきて知りました。
まさにこの日がそうだったワケですが、残念ながら、上砂川町では充分な滞在時間を確保できなかった事情もあり入館を一顧だにせず。嗚呼、痛恨の極み・・・。
↓下車したバス停近くには昔の駅舎が見えます。
平成6年に廃止された函館本線上砂川支線の終点・上砂川駅、歌志内市の時も紹介したテレビドラマ「昨日、悲別(かなしべつ)」で」では、この駅が「悲別駅」という設定で登場。
昭和59年のドラマですが・・・、このドラマが放映された事は全く記憶になく、「山河燃ゆ」「心はいつもラムネ色」程度しか知らんがな・・・。
鉄道が走っていた頃でも私はここに来た事はなく、その当時は、下車したバス停前に駅舎があったようで(下車したバス停は「上砂川駅前」という停留所だったらしい)、今は100m程奥に引っ込み、しかも向きも90度回転させております。因みに増毛でも触れた映画「駅 STATION」でも使われたという。
砂川駅方向→
昔はいっぱい線路が敷かれていたんだろうね。石炭満載の貨物列車で埋め尽くされた様子が目に浮かぶようだ。
町のメインストリート(道道114号線)→
人はほとんど見かけず、寂しい限り。かつて国を支えた炭鉱都市がかくなる姿になってしまうのは非常に忍びない。安倍さん、石破さん、早く何とかして下さい・・・。
(545)北海道空知郡上砂川町役場→
日本で一番人口の少ない市である歌志内市とたいして変わらない3,400人程が住む町。
明治32(1899)年に福井県鶉(うずら)村(現在の福井市、現在でも上砂川町には「鶉」という集落があります)から来た9名による開拓が町の始まり。
昭和24(1949)年に当時の砂川町と歌志内町の一部を分割して成立。
またもバスで砂川市に入ります。
近くの遥か彼方まで一直線の函館本線を眺める→
この直線区間は約20kmはあるでしょうか、線路を敷設した当時は全く障害物がなかったんでしょう、ただただひたすら真っ直ぐ。
ところが道路の方には更にこれを上回る29.2kmの、道路としての日本一の直線区間(美唄(びばい)市-滝川市)があります。
国道12号線のこの区間です→
ただし、砂川から滝川までの間が若干曲がっているとかで、実際は27.7kmみたいですが。
ただ、鉄道にしても道路にしても「すげぇまっすぐー、ワーワー、キャーキャー」と大喜びしている訳にはいかない。
国道12号線の前身は「上川道路」といい、建設されたのは恐らくロクな機械もなかったであろう人力が頼りの明治19(1886)年で、約90kmの道路をたった3ヶ月で完成させてしまう。そして、ここも含めて北海道中の道路・鉄道建設、炭鉱などの労働の担い手となったのは多くの囚人たち。
とにかく、北海道へ行ったならば前にも紹介したことがありますが、月形樺戸(つきがたかばと)博物館に行って北海道開拓時代の負の側面を多くの人に知って欲しいと思います。
砂川オアシスパーク→
180haの敷地内に100ha遊水池がある市民の憩いの場所。因みに市民一人あたりの都市公園面積は、平成26年3月現在で208.46㎡と日本一。
樺戸連山も一望できます→
(546)北海道砂川市役所→
歌志内市の地名の由来となったアイヌ語「オタウシナイ(「砂浜の多い川」の意味)=ペンケウタシュナイ川」を意訳した地名。因みに上砂川町は、ペンケウタシュナイ川の上流にあるから。
明治19年にたった1世帯5人が入植したのがスタート、その後砂川は農業も営みつつ、工業都市としても発展する。ただ、ここも御多分に漏れず人口減少には苦悩しており、現在約17,800人。なので、市民一人あたりの都市公園面積は拡大の一途で日本一はしばらく安泰と思われる(喜んでいいのか?)。
↓国道の西側に並行する飲み屋の多い歓楽街「柳通り商店街」
東側には「東1条南通り商店街」→
それにしても見事なシャッター商店街だ・・・。
↓国道12号線には多くの菓子屋があるので、「すながわスイートロード」と呼ばれています。
滝川方向のこの先をずっと行くと、今年6月に起こったあの惨たらしい飲酒運転による死傷事故現場があります。おまけにその事故後、共産党の砂川市議と砂川署の巡査部長が飲酒運転していた事実が発覚、砂川市はあたかも「飲酒運転天国」の様相。やりたい放題。
↓砂川駅から一路札幌へ。
この日の宿泊地は、恋の町・札幌でございまする。
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