ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

136日目 炭鉱夫どもが夢の跡(1)~爆笑の777階段

2015-11-13 23:56:13 | 道央
2015年9月20日(日)


祝! 前日(9月19日)に北海道日高のアポイ岳ジオパークが世界ジオパークにも認定されて、朝から道内のニュースはその話題で持ち切りであります。

旭川駅8時10分発の電車に乗るのは前日と同じ。ただ違う点は、下車駅は滝川であるという事。
2年半前に来た時を懐かしみながら軽く滝川駅周辺をブラブラしてから、根室本線9時36分発の各駅停車に乗るワケなんですが・・・。
この列車、テツには超有名で、JR北海道が誇る看板列車(?)でもあります。

↓市街地散策に出る直前のその列車が発車するホーム

普通の待ち客と待ちテツらしきのこの多さ。なので席取り合戦への参戦はあっさり放棄。
たかだか鈍行列車の何が多くの人を惹きつけるのか?

ここまで行くんです→
何てったって日本最長距離(300kmあまり)・最長時間(8時間半ほど)を走行する鈍行(早朝から深夜までひたすら走り続ける山手線電車があるらしく、それこそ日本一という噂もあるけど、ここはJR北海道の顔を立てておこう)。

連休中もあってか、デッキまで一杯→
車内は空調などないどころか、扇風機すらもないあたかも蒸し風呂状態。
このまま釧路まで行くハメになるのか・・・。死んぢゃいますよ、確実に。

↓勿論そんな甲斐性は全くを持ってございません。

乗ること15分で早々に脱出し、あばよ!(柳沢慎吾風)と列車を見送る。
釧路まで行こうとしている乗りテツども(それを企てている勇者はきっといると思うんだけど)、せいぜい頑張ってねぇ~。

降りた駅は赤平(あかびら)駅→
雲は相変わらず多いけど、久々の晴れで気持ちがいい。
駅舎は6階建てで「赤平市交流センターみらい」と同居しているムダに立派なもの。センスの欠片も感じられないし。

駅前の様子→

(543)北海道赤平市役所
地名はアイヌ語で「山稜の崖」を意味する「アカピラ」から。
明治24(1891)年に岡山・熊本からの34人により開拓が始まり、大正7(1921)年になると茂尻炭礦が開鉱すると大いに繁栄。ただ、昭和30年代後半からは衰退の一途となり、平成6年に最後の住友炭礦が閉山してしまう。
昭和35(1960)年には6万人近くいた人口も、以降は当然ジリ貧となり、今では11,000人で1万人割れも時間の問題。

駅のウラ側「こもれび通」へ→
ここに来たとたん、木漏れ日すら消え、雲行きが次第に怪しくなってくる。
以前は赤間炭鉱(昭和12(1937)年~昭和48(1973)年)の施設があったみたいですが、今ではほとんど解体されてただの広っぱと化しております。

↓そんな中に、パチンコ好きを大いに刺激しそうな看板がお目見えします。

旧赤間炭鉱ズリ山階段。「ズリ山」とは採掘で出た石などを積み上げた山で、九州では「ボタ山」という。標高197.65m、階段の数は777で日本一。聞くところによると、他の場所でもこれ以上の段数のものを作ろうとしたら、赤平市が泣き落しにかかり、高さだけを譲って段数日本一は守りきったという。

アノ手コノ手で赤平のアピールをしてます→

↓選炭工場跡が階段入口にポツンとあります。


ではでは、登ってみましょうか!→
写真に入り切りませんでしたが、この右側に「熊出没注意」の看板もあったりする。
怖え~。もちろん熊よけの鈴など持ってはいないので、家のキーをガチャガチャ言わせて登ります。

↓頂上まで7割のこのあたりで既に膝はガクブル。笑いが全く止まりません。

この年末にさらに段数の多い某観光地に行く予定なので、登る訓練をしておかないと・・・。

↓ようやく着いた頂上

眺めは誠によろし! 遠くの景色までもが手に取るようにわかる。そして、左の方からシャワー付きの黒い綿の塊がゆっくりと迫っていることも。・・・。

↓右手側に見えるこれは、赤平のシンボル「旧住友赤平炭鉱立坑」。

高さは約44m。地下深くまで鉱員を送り、採掘した石炭を引き揚げるのに使われ、昭和38(1963)年に完成と比較的新しい施設。

ダメージを受けた足を引きずりながら下の街を歩きます。

↓御殿倶楽部(通称「山田御殿」・昭和26(1951)年築)

地元石炭商「山田さん」が建てた総秋田杉造りの建物で、現在はお蕎麦屋さん。

↓「やすらい通り」という商店街に来たら、ついに大振りの雨に捕まってしまいました。


バスに乗って一時避難じゃ→

にほんブログ村 旅行ブログ 国内一人旅へにほんブログ村 街並み巡り ブログランキングへ

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→