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ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

91日目 梅雨明け目前の信越路へ(9)~彌彦神社

2014-09-18 22:48:17 | 甲信越
2014年7月20日(日)


せっかく弥彦村に来たので、新潟県屈指のパワースポットとの評判の彌彦神社(正式には「いやひこじんじゃ」というらしい)で、腹黒く開運アップの活動に励みたいと思います。その為、ここで多くの時間を割り当てました。

↓あっついあっちい中の長閑な道を歩いて神社へ

この朝テレビで見た新潟県に出ていた「大雨洪水注意報」はガセだったよう。
正面は霊峰弥彦山。

競輪場の駐車場→
「満車」とあるのに、駐車場に突進していくオバサンご婦人運転の車。
当然、警備員さん「オイオイ、そこっ!入っちゃいかん!」となるわな。
前に進む事だけしか考えていないんじゃないかと思うくらい、女の人の余裕のないというか、閉口する程の気遣いのない運転によく出くわしますが、お上もよく免許を授けたものよ・・・。

一の鳥居→
午後2時40分から三笠宮彬子女王がご参拝されるとの高札が掲げられています。
この僅か30数分後の事です。
さて、柱をよ~く見ると下が浮いている。まさに神の成せる業か?!

下はこうなっています→
6センチの隙間、柱が腐らないようにとの事。

玉の橋→
御手洗川(だからと言って、用を足すと罰が当たるかもしれません)に架かる「神様しか渡ってはいけない橋」。

火の玉石→
頭の中に願い事を頭の中に思い浮かべて石を持ち上げます。
その時、軽く感じれば願い事が成就し、重いと思えば願い事が叶わずという。
ならばと持ち上げてみたところ・・・。
難なく持ち上げられたのですが、願い事をするの忘れてしまった(苦笑)。

随神門(ずいじんもん)→
国の登録有形文化財という2体の狛犬が前にあり、神々しい雰囲気の門。
昭和31(1956)年が明けたばかりの元日午前0時すぎ、ごった返していた初詣客の重みで玉垣(石階を登ったところにある垣)が崩壊し、人々が次々に落下、死者124名という大惨事となった現場でもあります。
パワースポットとして注目大の神社にとっては残念な黒い部分です。合掌。

拝殿→
大正5(1916)年に再建されたもの。
彌彦神社、創建時期は不明。
そして神様は男?女?色々巷には説が出回っているようですが、間違いなく男であるとの事。

やはり御朱印集めに人が殺到→
最近は「ガール」だけでなく、「ボーイ」も出現しつつある模様。

ロープウェイで弥彦山頂へ行けます→
高さは東京スカイツリーと同じ(634メートル)。
山の方が高く感じるんですけどね。スカイツリーってこんなに高かったのか・・・。

↓門前町、温泉街の雰囲気たっぷりの文字通り「神社通り」


↓そこで痩せ細った野良ネコが堂々と闊歩している。

歩様は普通だったし、回虫でも抱えているのかよくわからんが可哀想・・・。

↓弥彦公園を通り抜け駅へ。






↓15時15分発の電車で弥彦駅を出発


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91日目 梅雨明け目前の信越路へ(8)~三条・弥彦

2014-09-15 23:52:02 | 甲信越

2014年7月20日(日)


日本三大金物町の一つ、三条市がこの日二つ目の訪問地。
ただ、この日は後で登場する某所観光に多くの時間を割いてしまった関係で、三条市には滞在時間をあまり充てることができず、残念ながらそれ関係の施設等を見ることができません(燕三条駅から新幹線で東京に戻ったのですが、その時に駅で金属工芸品の陳列を見た程度)。

東三条駅に11時頃到着→

↓駅前から伸びる「東三条商店街」




↓やがて「一ノ木戸商店街」に通じます。



上の写真のトンガリは「ハーメルンの館」。
様々なカルチャースクールなどが開催されているようで。

その隣は「みんくる」→
米屋さんだったしもた屋を昨年、街の交流施設としてオープン。
中は結構面白そうだったんですけどね。

↓この通りには小路が多く、それぞれに名前が付いているのですが、小路自体は何の変哲のない、これといった特徴もないものばかり。


(409)新潟県三条市役所
人口は10万人あまり。もう一度言います、金物ですよ、金物。

↓北三条駅の近くにデンと構える本願寺東別院(横からデス)

いや~、目立つ、目立つ。でかいです。
この付近は門前町の様相を呈していて繁華街となっています。

駅前の古い病院っぽい建物→
造りがいかにも昔といった感じで、これはこれでいい雰囲気を醸し出しています。

↓北三条駅から弥彦行きの電車に乗り、12時42分、終点一つ手前の矢作(やはぎ)駅で下車。




↓(410)新潟県西蒲原(にしかんばら)郡弥彦村(むら)役場

人口は8,500人程度ですが、人口減に頭を悩ます自治体が多い中、地方にあってここは増加している極めて希な村。

↓電車内からも丸見えでしたが、役場前の通り(県道29号線)には、弥彦山を背にした彌彦神社の巨大な大鳥居が建っています。



上越新幹線開通を記念して建立された昭和57(1982)年当時は、それまでの宮崎県都城市・神柱宮(かみばしらぐう・高さ25メートル)を抜いて栄えある日本一の高さ(30.16メートル)でしたが、平成の世になってからは、熊野本宮大社の鳥居(高さ33.9メートル)がその座を奪いました。
そのうちより高いのを建立しようとする神社が出てくるんだろうなあ。
いっそのこと、最高格式のお伊勢様で他の神社が思わず平伏すような決定打を放って欲しいものである。

↓鳥居脇の「彌彦横町」内のお店で軽くザルそばを。


↓参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ


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91日目 梅雨明け目前の信越路へ(7)~柏崎

2014-09-12 23:57:49 | 甲信越
2014年7月20日(日)


朝早く起きる。テレビを付けて天気予報を見る。
新潟、新潟・・・ナヌッ、大雨洪水注意報?!
加えて富山・東京は大荒れの予報がされており、この時期はどこへ行ってもそうした天気を覚悟しないと、とても旅行などできんという事なのであろう。

確かにちょっと怪しい・・・→

雨になったらなったでそれは仕方ないので、いつもの早朝散歩に出かけます。
まずは商店街から。

駅前通り→

ニコニコ通り→
昨晩の賑やかさは消え去っていますが、この日は「どんGALA!祭り」本番。
会場であるここは寧ろ嵐の前の静けさというべきか。

ピッカラ通り→
ピッカラってどういう意味なんだろ?

えんま通り→
空き地が目立ちます。
中越沖地震でかなりの建物が倒壊したようで、地震以前にはアーケードがあったようです。

閻魔堂→
えんま通りをちょっと奥に入った所にあるお堂。
閉まっているよ・・・。でも、おかげで舌を抜かれずに済んだかも(笑)。
毎年6月中旬に行われる縁日のお祭り「えんま市」の発祥地でもあります。

(408)新潟県柏崎市役所
人口は約8万8千人。江戸時代は佐渡の金輸送や縮行商で繁栄した商工業都市。

足は海の方へ。

生田万(いくたよろず)のお墓→
天保8(1837)年、大塩平八郎の乱に触発されて、窮民を救うために柏崎の代官所を襲撃した国学者。

海の見える所まで来ました→

↓張り巡らされたビニール紐は、6日後の「ぎおん柏崎まつり海の大花火大会」の観覧場所を示すものなのかな?

もし早い者勝ちの陣取りのものなら、これから陣取りに来る人、負けほぼ確定。

海岸への車等、何だろう?(笑)→

唱歌「浜千鳥」の歌碑→
いつだったか当ブログで書いたことがありましたが、私の一番好きな唱歌である「浜千鳥」の歌詞が鹿島鳴秋氏によって作られたとされている所が、ここ柏崎の海岸。
そして、私がいつか来たい来たいと想い続けた場所。

♪ 青い月夜の 浜辺には 親を探して 鳴く鳥が

波の国から 生まれでる 濡れた翼の 銀の色
夜鳴く鳥の 悲しさは 親を尋ねて 海こえて
月夜の国へ 消えてゆく 銀の翼の 浜千鳥


ところが、やっと念願叶ったりの筈が、たいした感激も沸き起こらず。
やっぱり夜、来ないといけないのか?
いや、それでもダメだな。
周りがコンクリートのものばかりなので、この歌の「悲しさ」「切なさ」を体感するのは無理がありすぎ。
ガッガリしてその場を立ち去る。

近くの某お店にて一服→
ヒドイねぇ。片付けるのは・・・、やっぱりお店の人しかいないですね。お気の毒。

↓市の文化財であるお地蔵様二体
 
人の手によって命を吹き込まれましたが、でもそう遠くないうちに普通の石に戻れそうです。

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90日目 梅雨明け目前の信越路へ(6)~刈羽・柏崎

2014-09-11 22:52:46 | 甲信越
2014年7月19日(土)


この日の宿泊地である柏崎市のホテルに荷物を置いて、身軽になって再び外へ。
日暮れまでまだ2時間もあるので、どこかへ行かないと勿体無いのでね。
という訳で、越後線に乗ってすぐ近くの刈羽村(かりわむら)へ。

↓刈羽駅と駅前



見ての通りの超田舎。
駅周辺には家がまあまあ建っているけど、お店なんて数軒あるのみ。
でも柏崎に戻る電車が来るまで1時間半もある。どうやってそれまで凌ごうかねぇ。

こうした看板があります→
刈羽村は7年前の7月16日に起こった中越沖地震以降、俄かにその名を聞くようになった「柏崎刈羽原発」のある村です。

ここで突然、前編の「上越の方へ行っていた」という話しに戻りますが、上越で話しが通じず、「柏崎の方」と言い直すと、「ああ、原発のある所ね」とお決まりの返事。
ついでに「刈羽へも行った」と言うと、「?」となる。
マスコミでは「柏崎刈羽原発」としっかりアナウンスしているにも関わらず、この有り様。
かなりの人の頭では「柏崎」と「原発」の間の「刈羽」が抹殺されているようです。

上の写真は中学校ですが、福島の事故を見ていると、一大事が起こった際に、こんな所で「避難所」としての役割を本当に果たせるのか、かなり疑わしい。

(407)新潟県刈羽郡刈羽村役場
人口は5千人を下回る程度。地図を見ると、柏崎市に囲まれてあたかも陸の孤島かの如きに思えますが、飛び地があってそれが長岡市に接しています。

役場前の道路→

一目で役所が建てたと分かる公共施設→
原発マネーで村が潤っているのか、田舎にしては立派すぎる建物。

↓ゴルフ場顔負けの緑が映える芝のふかふか絨毯。

寝っ転がりたくなるくらい綺麗。

本当に何にもないです。山・田んぼの緑と道路・建物の灰色だけの長閑な村。
役場の近くに国道が通っていて、信号待ちをしていたところ、同じく並んで信号待ちしていた自動車同士の会話が筒抜けという位静かな村。
よそのドライバー「××(聞き取れなかったけど、コンビニか何かと思われる)はこの辺にありませんか?」
地元のドライバー「柏崎まで行かないとないなー。ホントこのあたりには何もないんよ」
と現地の人も認めるほどの何にも無さ。

山裾にある集落へも足を伸ばしてみる→
狭い地域なので、ちょっと歩けばさっき通った道に辿り着いてしまう。

結局、駅まで戻ってぼーっとして、ひたすら電車を待つ。

鳥でさえもする事があるのになぁ→

19時2分発がやっと来たよ→

夜、柏崎の街へ行ってみます。

駅前通り→
ん?、向こうで何かやっているぞ!

↓この日は「どんGALA!祭り」の前夜祭。



「よさこい鳴子踊り」を独自の曲や衣装、振付で競うらしい。

↓こちら「ニコニコ通り」




この月の24日には「ぎおん柏崎まつり」がスタート。
26日の「海の大花火大会」までお祭りは続き、こうして柏崎はいよいよ待ちに待った夏本番を迎えます。

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90日目 梅雨明け目前の信越路へ(5)~上越

2014-09-08 23:09:04 | 甲信越
2014年7月19日(土)


新井で予定外の飲み食いに興じてしまいましたので、上越市での観光箇所は一つ削ることとなりました。
犠牲となった春日山城址については、行ったことのある人のブログを見てみますと、思ったより魅力的な場所ではなさそうなので、結果的に行かなくて正解だった?!(と思いたい)

開業目前に迫った北陸新幹線・上越妙高駅→
現在の脇野田駅が来月、写真のここに移転して、来春「上越妙高」に改称する予定。
でもこの駅名、「妙高」はさておき、富山県に近い新潟県の地域は「上越」と呼ばれているので、名に偽りはない。
しかし、紛らわしい。
というのも今回の旅、知人などに「上越の方へ行ってきた」と言うと、決まって「ああ、湯沢の方ね」という答えが返ってくる。
どうも「上越」という地域は「上越新幹線」沿線のそれであるとの認識(誤解?)を持っている人、多数いる模様。
後々色々面倒な問題が起こりそうな気がするんだけど。
北陸新幹線が延伸すれば、これまで呼ばれていた長野新幹線は「北陸新幹線」となるので、いっそのこと同時に上越新幹線も高速道路に合わせて「関越新幹線」なりに改称した方がいいような気がする。

もうすぐお別れ→

14時すぎ、高田駅で下車→

駅前通り→
高田は江戸時代の城下町なので、駅舎がその雰囲気を取り入れた造り。
だけど、駅手前の赤レンガはややミスマッチ。

雪国によく見られる「雁木(がんぎ)」と呼ばれるアーケードみたいなものがここでは実に16キロに及んでいて、日本一の長さというのが高田の一つの売り。

本町通り→
このあたりは町一番の繁華街。
アーケードで覆われていますが、勿論これは雁木ではありません。

本町通りの「雁木通り」→

興味を引く建物の並び→
右は日本で最古の映画館!
の入口でございまして・・・(奥にちょっぴり写っている建物がまさに最古という映画館。うっかり写真に収めるのを忘れてしまった)。
看板に薄~く「高田日活」。
私には「日活」というと、どうもアダルトなものしか連想できず、従いまして、ここもそれの映画館かと思いきや、普通の真面目な?作品を上映しているみたい。
HPを見ると、レトロな館内、アンティークな機材が揃っているなど、映画好きには一見の価値があるかと。近代化遺産に認定されていますし。

↓映画館の向かいにある「町家交流館高田小町」

休憩場所として利用して下さいな。

大町通りの「雁木通り」→

慌ただしいですが、お城にも足を伸ばします。

↓その途中にあった、昭和13(1938)年竣工の赤トンガリが目立つ教会


お城にて。西堀の、まさに「西堀橋」→
ハスの葉でぎっしりのお堀。花はちらほら。

高田城三重櫓→
築城から今年でちょうど400年のこのお城、石垣を用いず、天守閣もなかったという。
桜がたくさん植えられていて、特にお堀に映える夜桜は、日本三大夜桜の一つに数えられるほどの美しさといいます。

ちと寂しすぎる本丸跡→

極楽橋→

バスで役所の最寄り駅の春日山駅へ。

(406)新潟県上越市役所
昭和46(1971)年に旧高田市・直江津市が合併してできた市。
平成の大合併でも実に13もの町村を丸呑みして相当肥大化、形も妙高市と同様、かなりイビツに。

春日山駅→
急に日差しがきつくなって、やたら蒸し暑くなった。疲れた体には堪えるぜ・・・。

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90日目 梅雨明け目前の信越路へ(4)~新井

2014-09-03 23:13:06 | 甲信越
2014年7月19日(土)


越後国に入りました。
タイトルは「信越」となっていますが、前編で信濃国はおわり、この旅では2度と足を踏み入れることはありません・・・。

今回は趣向を凝らして、当時考えていた事思っていた事を軸に、話しを進めていきたいと思います。

新井駅に11時44分到着→

駅前から伸びる商店街を歩く。元々どんよりしていたのが、さらに暗さを増す。
「こりゃ、一雨来そうだな・・・。峠ではピーカンだったのに、どうもよくわからん天気だな。」
「栄町通りってあるけど、ちっとも栄えてないじゃん。」

(405)新潟県妙高市役所
平成17年に旧新井市・妙高高原町・妙高村が合併して成立。
ボス的な新井市の名前だけが受け継がれず、埋没してしまった感あり。
おまけに市が異常にイビツで青森県ぽい形に。
「ほぉ~、綺麗でなかなか立派な建物だな。合併特例債を乱発したか?(違っていたらスミマセン)  

この僅か1分後→
「こりゃ歩くとずぶ濡れになるなー。通り雨だな、とりあえずここで雨宿りさせて貰うか。」
役所庁舎の入口までつながる屋根付き通路で凌ぐ。

さらに5分後。
駅の方向を見ながら→
「すんげぇ降りだな。それにしても、なかなか止まないのお。」

↓降り出してから10分してようやく止んだので歩き始める。

「また北国街道か・・・。新井も宿場だったのか。でも、面白そうな建物はあんまりないな。」

↓朝日町通りとの交差点で、駅方向に目をやる。

「ん?あの一団は何だ?」

行ってみる。

「お~!これは、これは!楽しそうじゃないか!」
 



「ん、待てよ・・・。ここで飲み食いしていると、次の電車に間に合わなくなるなあ。(隣の新潟県上越市にある)春日山城址へも行けなくなるし・・・。ん~~~、どうすっかな。」(悩む)
「城はや~めた!!」(きっぱり)
「別に(城は)何が何でも見たいわけじゃないしな。」(とムリクリ適当な言い訳を考える)

という訳で→
「お呼ばれに(なってないんだけど)あずかるか。」

「お!これは呑みやすくておいしいな。んーー五臓六腑に染み渡るぅ」


「さあ、つまみは何を戴こうかな?」

「これ美味そうだ」

「これもいいな」

「旨い!しかも真昼間からビールとは。幸せな事よ。」

箸が止まる→
「やっぱり、黒姫のソバは余計だったな・・・。」
「これ(うまいもんまつり)があるのを知っていればすすらなかったのにな。」

胃袋に僅かな空間が出来上がるのをひたすら待つ。

「シメはやっぱりお茶漬けだよな~。」
新潟県柏崎市のご当地グルメ、「鯛茶漬け」。

「食いすぎた・・・。でも、そろそろ時間か。」

駅へ→

振り返る→
「あ~あ、行かなきゃいけないのか。でも良かったなあ。知らない街に何となくやって来て、たまたまこういうのがやっているなんてそうはないからな(因みにこの「まつり」は恒例行事ではないらしく、再度開催されるか不明)。」
「また来る事があるかなあ?ここに。」

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90日目 梅雨明け目前の信越路へ(3)~上水内郡

2014-09-01 23:36:05 | 甲信越
2014年7月19日(土)


↓松本6時18分発長野行きの電車に乗り、途中の有名すぎる(鉄チャンにも、日本昔ばなしでも)この駅、姨捨(おばすて)で下車。

早朝にもかかわらず、それなりの数の人が来ています。
さすがは、日本三大車窓の一つでございます。
素晴らしき善光寺平の絶景が一望。

のはずが・・・→
モヤっているよ・・・。
昼の晴れた光景は何回か見ているので、今度は夜景を見てみたいですな。

長野は素通りして、直江津行きの電車に飛び乗ります。
これから乗る区間は、来年春の北陸新幹線延伸と同時に第3セクターに移行されるので、恐らくJR線として最後の乗車になる(と思う)。今回ここを旅路に選んだのもそれが理由でもある訳なんですが。

牟礼(むれ)駅、8時34分着→

↓ホームには怖そうな天狗の親子?が睨みをきかせています。


↓駅前の通りを線路に沿って歩くと、北国(ほっこく)街道にぶつかります。



石碑にあるとおり、牟礼は宿場であったようなので、早速行ってみよう。

↓ですが、宿場を偲ばせるような建物はあまりありません。

「はちのこや」という看板が、いかにも山の中の町って感じ。

↓なんでだか分かんないんですが、蛾があちらこちらにうじゃうじゃいる(死骸も路面に散乱)。

ついでに、昨年、白馬へ行った時
長野は蛾が異常に多い場所のようです。
この時期が蛾なら、もうちょっと前は毛虫だったわけで、これだけの数の毛虫が木々に這いつくばっている様を想像するとゾッとする。
長野へ行くには、時期を考えないといけないのお・・・。

↓(403)長野県上水内(かみみのち)郡飯綱町(いいづなまち)役場

平成17年に牟礼村と三水村(さみずむら)が合併してできた町。
町名は町に聳える飯縄山が由来かな?、天狗がその山にいたという伝説あります。だから駅に天狗。
全く聞きなれない上水内郡。でも長野市の大部分も元はこの郡。

次に牟礼駅から二つ隣の黒姫駅へ→
黒姫山(昔、こんなシコ名のお相撲さんがいたなあ)のある黒姫高原の玄関口の駅。

↓小学校だったか中学校だったかで習った、この化石が発掘された野尻湖観光の玄関口でもある。

因みにこれ、動物園にいるゾウさんじゃありませんから。

また、北国街道(国道18号線)へ→
ここもかつては宿場。
駅は今でこそ「黒姫」を名乗っていますが、かつては「柏原駅」。

↓宿場の面影を感じさせないこの道を進むと、こういう所に来る。
 
右の写真は、当地出身の俳人小林一茶が晩年に暮らしていたという土蔵。
文政10(1827)年に柏原で大火事が起こり家が焼けてしまったので、ここで仮住まいしていたという。
可哀想な一茶、と思いきや・・・。

小林一茶というと何となく好々爺のイメージがありますが、どっこい、いつだったか、彼の生涯についての話しをしているラジオ番組をたまたま聞いていたところ、私は思いっきりブッたまげてしまいました。

一茶はそれまでの独身主義から一転、50にしてようやく初婚、何と4人の子供を儲けましたが、妻・子供ともに死別。
4人の子供も驚きですが、さらにすごいのは、その後。
60歳台で再婚し、すぐに離婚、程なく再々婚!して、恐れ入ることに1人の子供を儲けたという絶倫ぶり。やはり年取っての元気は体に良くなかったのか、65歳で亡くなる。
でも、今の年の差婚で話題を振りまくそんじょそこらのベテラン芸能人なんて小せえ小せえと思える位、老いてますますお盛ん以上な様にはあきれるどころか、尊敬すら感じる。
若い頃に結婚していたらギネスものの数の子供を作ったかも知れないと思うと少し残念。

さらに腹違いの弟と10数年間も血みどろの遺産争いをし、相続した家の真ん中を仕切って弟との二家族で住んでいたといいます。
土蔵は運良く引き継いでいたので、そこはラッキーそのもの。上の左の写真の家は弟が建てたもののようです。

バイタリティーに富んだ人の後世のイメージがこんなにも変わってしまうとは、一も二にも俳句詠みだったからかなあ?因みに一茶の詠んだ俳句が刻まれた石碑が至るところにあります。


(404)長野県上水内郡信濃町(まち)役場
東京の信濃町とは全く関係ありません。人口は約9千人。

小丸山公園→
山の上に「一茶記念館」があり、一茶のお墓もありました。

さて、かなり強い雨に祟られだしましたので駅に戻ります。

こんな山中の小駅に、立ち食いそば屋があります。
さすが、蕎麦処信州でございます。

特上えび天そば(\550)を注文→
しかし、これは大失敗であった。
別に味は普通においしかったので、それが理由ではありません。
訳は次回にて。

↓参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ


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90日目 梅雨明け目前の信越路へ(2)~松本

2014-08-30 23:58:35 | 甲信越
2014年7月19日(土)


先行していた貨物列車が大雨で車輪が空回りして動けず、「ムーンライト信州」は途中最大45分遅延したようだったけど、よく頑張った!

松本駅には定刻の4時32分到着→

次の電車の長野方面行きまで約1時間半もあるので、有名箇所だけですけど、市内巡りで時間を潰すことに。

↓松本駅・お城口

松本ぼんぼん?
ホームにもこの提灯がぶら下がっていたいたけど、てっきりウイスキーボンボンのような新しい銘菓ができたのかなあ、とアホ丸出しの私でしたが、何のことない、お祭りの事でありました。


松本市は約25万人程度の規模ながら、駅前には早朝にもかかわらず酔っ払った若者がやたら多いのは驚き。信州大学などがあるからかな?

公園通りから大名町通りへ→

↓「女鳥羽(めとば)川」の「千歳(せんさい)橋」より

街中にこういうほっとするような川があるのは羨ましすぎるぞ、松本!

↓千歳橋北側にある「縄手(なわて)通り」の入口

女鳥羽川の土手にあって「縄のように長い土手」というのが由来という、レトロな建物が軒を並べる商店街。
この通りのシンボルは「カエル」。
昔は川にたくさんいたものの、今はほとんど見られなくなった「カジカガエル」の復活を願ってとの事。
それにしても、右のカエルの石像、なぜか半分しか写っていない。
私は相当寝ぼけていたようです・・・。

入口には、勇ましい「がま侍」→

大名町通りを北へと→
奥に見えるは?

これの入口でござる→

早朝のお城は美しい→
水面に映る姿もまた良し。
市の観光情報サイトによると、五重六階の天守としては日本最古(16世紀の終わり築)のもので、別名、深志城あるいは烏城。
なるほど、カラスのように珍しく黒いお城。

↓旅の安全祈願はこちらで。



お城のすぐ北側にある神社。
なんと、御神木は道路の真ん中にある。
縄手通りの入口に「四柱神社」というのもあったのだけど、うっかりお参りを忘れてた(四柱様、スマヌ)。

↓お城からさらに500メートル北にはもうひとつの名所、開智学校。

もちろん、入れません。教育県・長野ならではの文化財でありますな。

(402)長野県松本市役所

アルプちゃん→
元は市制施行100周年のマスコットキャラクター。今では市の公式キャラに出世。
帽子は青い北アルプス・服は緑色と、この像と違って実物はカラフルです。

↓最後は、蔵が密集する、こちらもレトロが売りの「中町通り」




さぁ、駅に戻ろう。

↓参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ


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57日目 熱中症になりそう!越中国(2)~糸魚川

2013-09-16 00:15:20 | 甲信越
2013年8月9日(金)


南小谷(みなみおたり)駅から7時51分に出る大糸線代行バスの席取り合戦を最初から放棄していましたので、勿論座れませんが、約1時間の乗車ならたいしたことないし、バスが溢れんばかりの満員でしかも発車間際に乗り込んだので、自然と運転手さんの横に陣取るようになり、思いっきりかぶりつける役得を得られました。

↓バスは姫川に沿って走ります




一応バスも列車と同じダイヤで運行される予定なのですが、そこは所詮バス、列車通りの時刻を維持するのはおのずと困難に思われ。

↓案の定、約7分遅れの8時53分頃に糸魚川(いといがわ)駅到着

ところが、8時52分発の富山行きの電車が待っていてくれているようなので、バスが着くや否や、かなりの人数によるそれこそ目を血走らせての「糸魚川ダッシュ?」が繰り広げられます。
でも私はこの町を散策するので、その運動会には棄権し高みの見物(笑)。

改めて糸魚川駅北口→
「ブラック焼きそば」とは糸魚川のご当地グルメ。さすがにこの時間はどこも開いていません・・・

富山寄りの踏み切りから糸魚川駅を見る→
右の高架線は再来年春開業予定の北陸新幹線で、駅も設置される予定です。

(296)新潟県糸魚川市役所
糸魚川は日本で最初の世界ジオパーク認定地です。
ジオパークとは、「地球科学的に見て重要な自然の遺産を含む、自然に親しむための公園(Wikipediaによる)」であるといいます。
他には、親不知子不知(おやしらずこしらず)という断崖絶壁の海岸やフォッサマグナミュージアム・青海自然史博物館といった地質学などを学べる施設があり、観光面は非常に充実しているのですが、正直これらは車でないと廻れません。
なので、今回は行きません、というより無理です(きっぱり)。

役所前の道→

糸魚川駅南側→

駅の周囲を反時計周りにぐるりと歩いて再び駅へ。

↓ヒスイ王国館



ヒスイとは、女性が大喜びするあの翡翠の事で、宝石の一種。
この糸魚川市姫川流域や富山県にかけての海岸(その名もヒスイ海岸という)ではその翡翠が多く取れるといいます。

↓駅前にある「奴奈川姫(沼河比売・ぬなかわひめ)」の像
 
「奴奈川姫」は愛と結婚の象徴とされ、この像に手に触れるとお姫様のパワーが幸せを呼び寄せると言われているそうです(私は触ったかどうか記憶にない・・・)。
幸せを得たい方は是非どうぞ。

駅から海岸へ向かう「ヒスイロード」→
まさに翡翠パワー全開の町でございますな。

↓旧加賀街道雁木通り



日本海側の典型的な趣のある昔ながらの商店街です。

何を隠そう、実は暑さで辟易しているんですわ・・・→

↓海岸の海望公園にもある女主人様の像

こっちは子連れ。子の名は建御名方命(たけみなかたのかみ)。

像の後ろから見る→
勾玉(まがたま)の形をした池があります。勾玉は古代の装飾品で、翡翠も原材料の一つです。
像の先にあるのは展望台ですが、電車の時間の都合上、行くのはあきらめました。

公園内の展望台より→

ここではさほど海を眺められませんでしたが、いいさ、電車から眺めるから。

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57日目 熱中症になりそう!越中国(1)~北安曇郡

2013-09-13 23:55:44 | 甲信越
2013年8月9日(金)


このところブログを作る気分が乗らないのみならず、この3連休に予定していた徳島への旅も急に行く気がなくなりやめてしまいました(台風が来ているし、やめて良かったのかも知れないけど)。
ブログ・旅疲れ?なのか??
それとも、早くも季節うつを発症してしまったんでしょうか・・・(マズいよな)。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

そうです、今回の目的地は北陸・富山県。
新宿から乗ってきた「ムーンライト信州」で終点の白馬駅まで行って、それからは日本海に抜けて富山県を目指します。
それまでに長野・新潟県を通るので、富山の前座としてこれら両県の3つの市と村に務めさせます。

白馬駅に5時40分到着→

白馬駅→
白馬駅は白馬村にあり、地名は白馬岳という山から由来しているのですが、山の呼び名は「しろうまだけ」、村名・駅名などは「はくば」。

さて、その肝心な白馬岳はというと・・・
駅正面より→
見えると思うんですけど、どれがそれだかさっぱり分からん。

後続の電車は1時間以上しないと来ないので、ゆっくりブラブラ散策します。
やっぱり長野は早朝というのもあるけど、涼しいなぁ。
昨晩千葉を出た時はうだるような蒸し暑さだったから、ここはまさに天国そのもの

↓駅前を真っ直ぐ進むと、「千国(ちくに)街道」、またの名を「塩の道」と交差します。

右の道がそれ。内陸の松本と日本海側の糸魚川(いといがわ)を結ぶこの道は、「塩」の道というくらいなので、まさに塩を運ぶ重要な道だったようです。「敵に塩をおくる」で有名な上杉謙信はこの道を使って甲斐の武田信玄に塩を届けたといいます。
因みに松本市の南に塩尻という市がありますが、こちらは「尻」とあるように、塩の輸送路の終点を意味します。

千国街道沿いにある平川神社八幡宮→
何はともあれ、旅行の安全祈願をしないとな。

(294)長野県北安曇(きたあづみ)郡白馬村(むら)役場

人懐っこいネコがいたので、しばし戯れます→

↓駅から北800メートルほどの所にある松川橋へ



いかにも信州っぽい、心洗われるような気持ちのいい眺めです。


モヤっていて見づらいですが、八方尾根スキー場が見えます。
「原田が泣いた!」ジャンプ台は、写っていませんがもうちょっと左の方。

何でだか分からんが、蛾の死骸がやたら多い→

駅に戻ると、えっ!マジ?→
こんな事になっていたとは知らなんだ・・・。

次に乗った電車は僅か20分ほどして終点の南小谷(みなみおたり)駅に着いてしまい、接続するバスの出発まで35分待たないといけないので、その間にここも散策します。

南小谷駅→

↓駅前を流れる姫川
←下流後方

←上流方向
しばらく見とれていたいような綺麗さでございます。

国道148号線を歩きます→
ここも一応、千国(ちくに)街道。

骨董品屋→
店先にあるものも骨董品かも知れないけど、見ようによっては全部ガラクタに見えなくもない(笑)

おたり名産館・小谷村郷土館→

(295)長野県北安曇郡小谷村(むら)役場

さーっと村の様子を眺めて、駅に戻ります。

代行バスが待機しています→
発車したくてしたくて、ウズウズしているように見えるんですが(笑)

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49日目 新屋山神社奥宮参拝2年目(4)~富士川沿岸

2013-07-05 23:29:27 | 甲信越
2013年5月25日(土)


身延町から富士川に沿って南へ南へ車を走らせます。

国道52号線にある道の駅「とみざわ」に着きました→
この辺りは、山梨県内でも有数のタケノコの産地であるため、このようなモニュメントが造られたらしいです。
高さは約13.5メートル。

ジャージー牛乳ソフト(\300)→
店の人のとぐろの巻き方が下手っぴで、すぐに傾いてきた。
ただ、実に濃厚で、とっても美味しい。

さて、この道の駅の目の前には役場があります。

(260)山梨県南巨摩(みなみこま)郡南部町役場
奥州・南部氏の発祥地。
平成15年に、旧南部町と旧富沢町が合併して、新しい南部町となりました。

↓役場の横を富士川が流れていますので、土手から川を眺めます。
←奥に富士川が流れています。

下流の方向→

対岸→

ズームで写してみる→

正面には駅が見えます。
が、役場と駅を繋げる橋はない。
つまりは、こういう事(道の駅の案内板)→

直線にして500メートル位ですが、2キロ余り迂回させられてしまっている。
まぁ、実際問題歩いて駅役場間を行き来する様なおめでたい人はいないだろうし、その役場を結ぶだけの橋を造るにしても建設費もバカにならないだろうから、お上も放置しているのであろう。

土手に落ちていたヘビの抜け殻→
財布に入れておくと、金が貯まるとはいいますがねぇ・・・
もしかして、これは新屋山神社の神様のお告げなのか?
しばらく躊躇ったのですが、さすがにね・・・やっぱりやめておくわ。

道の駅を出たのは18時、富士宮市に行きます。

お宮横丁→
富士宮ヤキソバなどの地元のグルメや名産を取り扱ったグルメスポット。
世界遺産を構成する「富士山本宮浅間大社」の前にあります。

18時半、市役所到着。

(261)静岡県富士宮市役所
まだ、少し明るく、ひょっとして10数キロ離れた富士市に間に合うか・・・
行ってみよう。

(262)静岡県富士市役所

↓役所前の通り




ま、どうにかこうにかといったところ・・・
実はこんな形で富士宮市と富士市をクリアにしたくはなかったけれども、また改めてここのクリアの為に来ないといけないのは面倒だなと思って、無理しました(汗)。

なので、富士宮市に戻ってヤキソバを食べ、富士市では高速道路に乗らず、市内を車で走って、沼津から入ろう。

富士宮市の健康ランド、「富嶽温泉 花の湯」近くのお店→

キングオブB級グルメを味わいます→

大食いタレントのサイン→
果たして彼女は例の食べっぷりで、お店の食材を食い尽くしてしまったのであろうか?

沼津ICから第一東海自動車道に→

足柄SAにて→

「足柄麺宿」で讃岐うどんをすする→
さっき食べたばかりですが、コイツだけは別腹ね。

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49日目 新屋山神社奥宮参拝2年目(3)~早川

2013-07-04 23:00:26 | 甲信越
2013年5月25日(土)


身延町役場から久遠寺へ行く間に訪れたのは、山梨県の南西部にある早川町。
県道37号線で早川という川に沿って山間部に入っていきます。

(259)山梨県南巨摩(みなみこま)郡早川町役場

←役場の裏を流れる早川

日本で一番少ない人口の町、およそ1000人あまり。
役場もつましやかな感じ。

この早川町は案外見のがせない所が多いので、車で来ているのもあり、この機会に見ておこうと思います。
役場からさらに奥へ奥へ行って、まずはこちらへ。

「新倉(あらくら)の断層」の駐車場(トンネルの左側)→

地質学は全く疎い私ですが、なんでも、日本の地質を東西に分断する断層である糸魚川(いといがわ)静岡構造線というのがありまして、ここではそれが剥き出しになっているのです。
フォッサマグナというのを学校で習いましたが、その西の端がこの糸魚川静岡構造線。
断層は駐車場から数分歩いた所にあります。

ここが日本の東と西の境目だ→
が、どこが断層なのか今一つ分からない。

↓この場所には、これしかガイドはなく、素人には全くの不親切である。


↓駐車場にはこういうのがあり、これならどうだ、多少分かりやすい。
 
断層は数年前の豪雨で崩落したらしく、案内板のようにクッキリとしていない。

この駐車場付近もそうですが、早川町は山の中にあるせいか、廃道・旧道がやたら多い。
そのマニアはきっと楽しめるでしょう。
果敢にも、ある一台が近くの旧道に猛然と入って行ったので、よせばいいのに、触発されて私も挑戦してみる。

これはバックしている図→

やっぱり私はヘタレでした。
小さいけれど、山から落ちてきたゴツゴツした岩石が思った以上に道路に積もっており、走りづらい。
この先、何か起こってから助けを呼ぶのは非常に難儀である。
なので、勇気ある撤退をする、と言い訳させて下さい・・・(汗)。

やってきた道を引き返して、これまたムチャクチャ山奥、しかも急斜面にある赤沢宿へ。
ここは重要伝統的建造物群保存地区に指定されていまして、詳しい事は下の写真を読んで下さいな。↓
 

↓宿場全体はこんな感じ




↓石畳の歩道で整備されていて歩きやすい






↓営業していなさそうな宿



宿の軒下に掲げられている板はマネギ板というらしい。
それぞれに講中(こうじゅう)の名前を記しています。
講中とは、講をつくって寺社に参詣する人々の事で、では講とはなんぞやというと、例えはよくないけど、ネズミ講の「講」みたいなものなんでしょう。

↓一軒だけ営業している宿があるらしいのですが、ここがそうかな?

この町に不釣合いの公衆電話ですな、しかも緑色という古さ。

↓その宿の倉庫らしい建物


住民もあまり見かけず、観光客も私以外に一人しか見かけませんでした。
非常に残念でござる。

早川町、豊かな自然に囲まれ、史跡もあるし、しかも温泉が沸いています。
心の洗濯に、是非お出かけ下さい。

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49日目 新屋山神社奥宮参拝2年目(2)~身延

2013-06-30 01:02:42 | 甲信越
2013年5月25日(土)


富士河口湖町から身延(みのぶ)町へ。
残る富士山麓の湖は本栖(もとす)湖だけ(山中湖は今度来る時に)。
本栖湖の西側に位置する「浩庵(こうあん)荘前」バス停近くのビュースポットです。

↑どこかで見たことのある富士山のアングル。
そう、皆さんが持っているアレです。そのアレとは?→コチラから
今日は逆さ富士になっていないのが残念!
しかし、そのアレの左下の植物、何?
現場にはそれらしきはないんですが・・・

ここで富士山麓に別れを告げ、国道300号線のグニャグニャした道を低地に下って行きまして、再び休息。

道の駅「しもべ」→

道の駅の中にある、そば処「木喰(もくじき)庵」→
「木喰」とは、この地出身の僧侶の名前。微笑仏を彫りながら全国を巡礼したといいます。

ざるそば(\700)→

腹ごしらえの後、12時半に出発し、何はともあれここへ。

(258)山梨県南巨摩(みなみこま)郡身延町役場
平成16年に、旧身延町・中富町・下部町が合併して、今の身延町になりました。

↓役場の横を流れる富士川(下流の方向、橋は「富士川橋」)

日本三大急流の一つ。他の2つは熊本県の球磨川と山形県の最上川です。

↓車を走らせ、ちょっと立ち寄ったコンビニの駐車場にこんな看板がありました。


右手前方の山はこれ→

びょうぶ岩ってこれですか?→

さて、身延といえば久遠(くおん)寺です。
そこは、お題目を「南無妙法蓮華経」と唱える日蓮宗の総本山。
折角なので、行ってみましょう。
あっ、そうそう、我が家の宗派は浄土真宗なので、参拝はしませんよ、見るだけです。

総門→
 
門前町の様子→

三門という所に来ると、白装束の大集団が坂の上から例の「南無妙法蓮華経」と唱えてゾロゾロ降りてきて、非常に不気味であります。

坂を登り切った所に広い駐車場があったので、車を停めます。
そこから本堂へ行くには、斜行エレベーターがあるのですが、とりあえず自力で登ります。

駐車場→

看板の後ろに歩道があります→

こりゃ、きっつい坂だ→

本堂→

本堂前から境内を見る→

五重塔→
まぁ、やたら広いですね。
ある宗派の総本山だけあります。

本堂からやや離れた所にロープウェイ乗り場がありまして、それに乗ると身延山頂へ行け、絶景が堪能できるらしいのですが、ただ・・・
16時の最終便が出て行ってしまっている。
ん?もう、16時ですか?と思われるでしょう。
実は久遠寺に着いたのは16時20分頃で、それまで色々と寄り道をしていたのです。
それについては次回にて・・・

長い事ここにいても仕方ないので、エレベーターというよりケーブルカーといった方がしっくりくる斜行エレベーターで降ります。




身延駅の方へ行きます。

↓駅前商店街、別名・しょうにん通り
 

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49日目 新屋山神社奥宮参拝2年目(1)

2013-06-27 23:42:50 | 甲信越
2013年5月25日(土)


ついこの間の今月22日、世界遺産の登録が決まり、沸きに沸いているという富士山麓に、先月25日に行ってまいりました。

そう、その目的とは・・・
世界遺産登録決定前祝登山?それとも、その2日前にエベレスト登頂に成功した三浦雄一郎さんに触発されての雪山登山?
いやいや、市町村巡りもありますが、去年から一つのライフワークにし始めた旅の軍資金増加祈願のための新屋山神社奥宮(別名・金運神社)への参拝でございます。

因みに去年の珍道中→http://blog.goo.ne.jp/q-taro-choko/e/fc7b3638f411b341b4f8f522a1e2c292 

あれから7か月、その間思いがけず沸き起こったアベノミクス効果に抜け目なく私も便乗し、ささやかではありますが、私もこの恩恵にあずかる事ができました(小笑)。

恐るべし、金運神社!

でも、もっと度胸があればより多く軍資金を増やせたなと少し悔しくもあります(欲の皮が突っ張って、みっともないけど)・・・
次の参拝まで、今度はどんなご利益を授けてくれるのか、或いは全くくれないのか、ひょっとして天罰が待っているのか(それはカンベンだが)、我が事ながら興味津々ではあります。

ただ、今回の参拝を終えた後に、気になる情報に接してしまう・・・
ご記憶の方も多いかと思いますが、東日本大震災の4日後に発生した静岡県沖の大地震。
津波の大被害、一向に止まない余震に加え、原発事故、停電などと、特に東日本では不安渦巻く中、東海大地震がついに来たか?!富士山も噴火するのではないか?、日本は一体どうなるんだ?と、更に不安を極限の果てに高めたあの地震です。
その大地震で新屋山神社奥宮は金運神社ではなくなり、なんと、金運神社は別の場所に移ったという説があるのだ。
ならば、去年今年の私の行動は何だったんだ!、と叫びたくもなりますが、その説が正しいとするならば、改めてその別の場所に行かねばならない。
という事で、後日、また出掛けようか目下思案中でござる。

さてさて、ここからは当日の行動をツラツラと書きます。
今年は一人での参拝です。

早朝4時すぎ出発→

愛車も清めておこう→

今回も前回同様、京葉道→首都高→中央道で現地に乗り込みます。

↓これまで富士山をほとんど拝めなかったのが、今日はよく見えます。幸先よろし。


7時ちょっと前に到着。

新屋山神社奥宮入口→

駐車場より→

参拝も含め、およそ1時間、神のパワーを浴びていました。
が、前に来た時は秋だったので分かりませんでしたが、ハエやハチ、アブ、ブヨがうようよ飛んでいて参った参った・・・

午前中は富士山麓の湖でも見て廻ります。

まずは、水位が下がって大騒ぎの河口湖。
去年の9月に行ったときと比べてみよう。




↓この際、水位が下がったことのシンボル?六角堂にも行ってみる。





この日は地元の人達による清掃の日でした。

西(さい)湖→

↓「自殺の名所」などと有り難くない名前の青木ヶ原樹海


精進(しょうじ)湖→

この湖畔に興味深い集落を見つけました。

旧中道往還→
昔、駿河国と甲斐国を結んだ道路。

↓この辺りは元は宿場町だったのか、それらしい古い民家が多い。
 残念ながら空き家が多く、実に勿体無い・・・




↓普通の古い民家(もちろん空き家)も多いです。






歴史、特に宿場町と廃墟の両方好きな人なら恐らく満足できる場所ですよ!

諏訪神社→

↓諏訪神社境内にある精進の大杉
  
平安初期の古木で、別名「千年杉」というそうです。

こちらは諏訪神社の隣にある廃寺っぽく見えるお寺→

この寺社のある場所、何か特別な雰囲気を感じる。
ひょっとして、知られざるパワースポットなのでございましょうか?!

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31日目 静岡・長野の秘境 その5~帰路は実は危路だった

2012-12-27 00:27:29 | 甲信越
2012年11月25日(日)


今いる豊丘村は天竜川の左岸に位置しています。
地図をよくよく見ますと、川の右岸側は高森町という町になっており、町役場はそう遠くない距離(直線距離にして1.5キロ位か)です。

そういうことなら是非是非行ってしまえと思ったはいいのですが、よせばいいのに何故か格好つけて?歩いて行く事にしてしまいました。

↓天竜川を渡ります
←上流側
←下流側

右岸側にある看板→
看板にあるとおり、高森町は市田柿(いちだがき)という干し柿の特産地です。

駅近くに来ました→

ちょうど電車が来ました→

市田駅→

上から見下ろす→

ださらの六地蔵さん→

至る所に実のなった柿の木が見られます→

ところで、持ってきた地図は縮尺分母が大きく、役場が大雑把な位置しか分からない・・・
適当に歩いていれば看板やら何やらがあって何とかなるだろうと思っていましたが、全く看板が見当たらない。場所を聞こうにも人もいない・・・
しかも、山なので日の暮れるのが早いときたもんだ。
次第に探すのが面倒になってきた。またここら辺は来るのだから、と適当な理由を見つけて諦める。
こんな事なら車で来ればよかったな・・・

しょんぼりしながら豊丘村役場に戻ります。今回の市町村訪問は、これで突然終了します。

用もなくなったので、千葉に帰るしかないのですが、近くに中央自動車道が通っており、普通ならそれで帰るところを、それではつまらないので、山を越えて、今日ずっと走ってきた国道152号線で茅野(ちの)に出て、そこから中央道で帰ろうと思います。

↓山を越えるので、真っ暗な道をひたすら走ります。


この道は5月にも通りました。その時も闇夜の時間で、しかも豪雨・雷雨だったので非常に心細かったですね・・・
でも、もう一回通りたくなった訳です。

↓大鹿村に来ました(18時頃、国道152号線との合流地点です)

右に行けば村役場があるのですが、当然今日は行きません。

↓さらに真っ暗闇を走ります。 
←昔はタバコ屋だったようです。
←その横の公民館?学校?
←「記念碑」と刻まれていたような・・・

  
↑分杭峠 ここはゼロ磁場で世界でも有数のパワースポットというらしいのですが。
真っ暗闇なので、もののけしか感じません。

ゼロ磁場とは?

←杖突峠から見える諏訪盆地の夜景

20時頃に茅野市街に出てきました。
さて、ラジオで道路交通情報を聞いていると、「中央道は事故の影響で談合坂SA→八王子ICまで所要時間110分」と言っている。またしても、110分か・・・
先日新屋山神社へ行ったときもそうでした。
どうも中央道は110分という半端な渋滞時間がお好きなようです。
どのみち渋滞に捕まって時間かかるなら、しばらくこのまま一般道の国道20号線で帰ろう。

とりあえず甲府までは頑張りました。これから後は山道をクネクネ登るので、そんな道はあまり走りたくないし、もう渋滞もだいぶ短くなっているだろう。
22時頃に一宮御坂ICから中央道に入り、やはり渋滞にハマり30分ほど余計にかかったものの、どうにかこうにか帰宅できたのは1時すぎでした。

その途中で笹子トンネルを通りました(当然上り線)が、例の崩落事故が発生したのはちょうど1週間後のことでした。
事故でお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げるとともに、ご遺族・事故に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。


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