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ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

177・178日目 GW大隅半島ドライブ~垂水

2017-07-29 23:57:38 | 九州南部
平成29(2017)年4月30日(日)・5月1日(月)


(注)4月30日と5月1日の両日で行動が重なる部分があります。
   ですので、この編では4月30日を「初日」、5月1日を「2日目」とします。
   なお、2日目に撮影した写真には、(2日目)と振っておきます。

初日、霧島市の鹿児島空港近くのレンタカー屋さんで車を借りて出発、鹿児島を車で運転できる嬉しさで地に足がつかない状態のまま国道220号線を南下、関西の人なら「たるみし」と呼ぶであろう垂水市に入ります。

出発後、最初に地に足をつけた地→
道の駅たるみず。
ですんで、鹿児島の垂水は特段の捻りもなく普通に「たるみず」です。

↓この道の駅の名物は、開業(平成17年)当時、日本一の長さだった60mの足湯。


(2日目)桜島が目の前→
この翌日(5月2日)に来ていれば、火を噴いた桜島が見られたんだよなあ・・・。
自分のツキのなさを恨む。

「湯っ足り館」という風呂屋さんもあるので、車中泊向けの道の駅として割と良さそうだけど、近くにコンビニがないのが致命的。

この道の駅内をあまり見て廻らなかったので気が付かなかったのですが、「日の丸発祥の地」の記念碑があるみたいです。
どうしてここにその記念碑が置かれたのかというのはコチラをご覧下さい。
ここらの特産であるビワを使った「びわソフトクリーム(¥300)」はなかなか美味→

↓(2日目)桜島に渡るため海を跨ぐ平成20年に開通した「牛根大橋」。

全長約380mのバランスドアーチという構造形式の橋だそうです。

↓(2日目)橋の形の美しさもさる事ながら、橋から見える海に浮かぶたくさんの漁船がまたいい。
 

↓(2日目)朝日・橋・海・漁船によるコラボ?は、得も言われぬ美しさ。


1日目はこの後、桜島に向かったのは前編で書いたとおり。
桜島から再び国道220号線に入り、垂水市街に入ります。

(649)鹿児島県垂水市役所
地名の由来は何となく想像できますが、お城の崖下に、岩の間から清水が滴々と垂れて溜水があり、この辺一帯の唯一の飲料水であったので有名となり、この地名が起こったといわれているとによるようです。

↓CMで有名なこのお水は垂水市の地下1,000mから汲み上げたもの。


特産として、漁業はブリ・カンパチの養殖(道の駅ではブリの生簀が見えました)、農作物はびわ・ポンカンなどの柑橘類、インゲンマメ・きぬさやえんどうなどだそうです。
人口は市としては極めて少ない約15,000人。
全国の市で下から数えて9番目。九州で一番少なく、おまけに急加速度的に目減りしています。
だからこれなんだろうな→
確かに鹿児島市から直線距離は短いので、もし実現すれば「通勤通学には至極便利」との触れ込みで人を呼べそうだけど、半面買い物は鹿児島に気軽に行けてしまうので地元経済は相当廃れる気が。

たるたる→
垂水市のこのゆるキャラにはある身体的特徴があるのですが、そのためにあるそしりを受けてしまっています。

市街地を歩いてみます。
国道220号線→
シャッターが目立ち、既に廃れているような気がする。

悠然と歩道を寛ぎどころにしているネコども→
車道は車は多いから危険だけど、歩道にはほとんど人は歩いていない?からね。呑気なもんです。

某信用金庫前にある瀬戸口藤吉サン生誕地の碑→
今やパチンコ屋の曲のイメージがある「軍艦行進曲(軍艦マーチ)」を作ったお方。
殆どが某半島国家系企業であるとされているパチンコ屋が、大日本帝国海軍の行進曲を流していたのだから、考えてみれば非常に奇妙な事です。

どうして香川県がある?→
おまけに「鹿」の字が消えて「児島営業所」となってしまい、あたかも岡山に来たが如し。

↓全通して僅か15年目の昭和62(1987)年に廃止された国鉄大隅線・垂水駅跡地。
 
現在では垂水鉄道記念公園となっています。

国道220号線を走っていても、所々で廃止された線路跡や高架線が見られました。
(2日目)牛根集落手前にて→
気の遠くなるような長~~い年月をかけての自然に戻る最中。

垂水港にも顔を出します→
ちょうど鹿児島鴨池港からやって来たフェリーが入って来ました。
乗らないけどさ。



 

カッコしてあるのはこれまで行った所→

177日目 GW南九州ドライブ~ぐるっと桜島

2017-07-26 23:50:07 | 九州南部
平成29(2017)年4月30日(日)


年末年始とGW(と忘れた頃にやってくるシルバーウィーク)は、しょっちゅうほっつき歩いていても生きるために一応仕事をしなければならぬ私にとっては、数少ない長期間遠出のできる機会。

そしてここ数年のGWは、乗り物やら宿やらの予約が面倒だったので、それを気にしないで出掛けられる長距離ドライブを楽しんでおりましたが、さすがに現地までの行って帰っては心身共に消耗がハンパないので、今年は現地までの部分を省略した旅にすることに決めました。

そうと一旦決めてしまえば準備はサッサとする私、2月初旬には目的地を定め、飛行機・貸し自動車・宿泊先も予約してしまいました。
その目的地は、メインとしては私個人的にはほぼ空白地帯である大隅半島。
さらに日南海岸を北上して宮崎県中南部と熊本県の球磨(くま)地方も廻る、かなり欲張ったコースに仕立てました。

↓予約した便は、成田空港からお馴染みのLCC(ジェットスター)、鹿児島行き。


成田からたった2時間で着いちゃいましたよ→
飛行機って速すぎ。

ゲキ混みの鹿児島市街地方面行きのバス停付近→
さすが、GWの威力は凄まじいです。
鹿児島空港は鹿児島市の中心部からだいぶ離れているので、来た便に乗れるのか、乗れても座れるのか分からん上に、長時間のバス移動が待ち受けるなど、見ていてかなりお気の毒になる。

来年は明治150年→
あー、だから来年の大河ドラマが「西郷どん(せごどん)」なのですね。

鹿児島空港ビル→
私はというと、レンタカー屋さんの送迎車に一人寂しく乗車、ちょっぴりドナドナ気分で運ばれている最中。

車を借りる手続きを済ませた後は、いの一番に桜島を目指します。
真っ先にそこに向かった理由、それはずっと前から桜島を車で一周したいという夢がありまして、それをすぐに叶えたかったから。

↓というワケで、島の南側にある「有村溶岩展望所」へ(途中、道の駅たるみずで休憩したけど、それは次回)。

桜島の概要は、この展望所にあった案内を参照して下さい。
ここは大正溶岩原に作られた展望所で、南岳を望む約1kmの遊歩道を備えています。

↓日常ではお目にかかれない、殺風景で荒涼とした感が実にいい。


噴煙を上げて、ドンと大迫力!な桜島→
のハズなのですが、私のデジカメがショボすぎるので、その迫力を伝え切れませんが、本当に迫力があります。
大袈裟ですが、ここに来られて本当に感激以外の何ものでもありません。

別の場所から→

錦江(きんこう)湾も一望できます→

さらに西へ走らせ、赤水展望広場へ→
鹿児島市街が一望できます。

西郷さんの横顔に見えるといわれる溶岩→
撮り方がいい加減だったので、全くそう見えませぬ・・・。

ここは何と言ってもこれでしょう、「叫びの肖像」→
鹿児島出身のある歌手が、ここで野外コンサートをした事をきっかけに建てられたモニュメントです。
東京のバカヤローがーーー、との叫びが聞こえてきそうな。

鹿児島行きフェリー乗り場近くへ→

↓明るい時間ならいいのですが、暗かったら吸い込まれそうなフェリー料金所。


↓このコンビニにはカープ仕様(赤)以外のものもあるなんて知らなかったわー。

因みに左の車が私が借りた車。

コンビニのすぐそばには「桜島マグマ温泉」→
周辺には海釣り公園があったり、火山の博物館が入っている「桜島ビジターセンター」があったりと、レジャー施設は充実。

島の北側を走って「黒神埋没鳥居」へ→
大正時代の大噴火によって頭だけ残して溶岩流に飲みこまれてしまった、元は3mの高さがあった鳥居です。
噴火後、住民達は鳥居を掘り起こそうとしたのですが、当時の村長さんは爆発の猛威を後世に伝えるため発掘の中止を指示したといいます。
この大正の大噴火は、それまでまさに「島」だった桜島を大隅半島と地続きにしてしまったほどの凄まじさだったようです。

この奥に行くと、雰囲気のいい佇まいの社殿があります→

さて、この2日後の5月2日早朝、桜島が噴火しましたが、その時私は霧島市から日南海岸に向かっていて噴火を目の当たりにすることができませんでした。
尤も私が噴火を知ったのは、さらに翌日3日だったワケでありまして・・・。
その間、車内ではラジオを付けっぱなしにしていたにも関わらず、地元ニュースでは噴火の「ふ」の字も出てきませんでした。
どうやら現地では噴火とは言えない程度の噴火だったようです。
が、こうして折角遠くから遥々やって来たのだから是非見たかったなあ、残念無念。

それはさておき、長年の悲願はとりあえずここに叶いました。
ただただ感無量でごわす。

 


72日目 肥薩おれんじ鉄道に揺られて(3)~出水

2014-03-30 23:45:51 | 九州南部
2014年1月1日(水)


阿久根駅から列車に揺られる事20数分、出水(いずみ)駅へ。

肥薩おれんじ鉄道の駅舎→

こちらはJR線の駅舎→

↓出水では見たい所が多く、それを歩いて見て廻るのは至難の業なので、そんな時はこれを借りるに限る。

宮城・丸森町に続いて2度目の登場、貸し自転車。こちらのは4時間以内で\300。

駅近くの焼酎工場を傍目に、国道447号線にある役所へ。

(350)鹿児島県出水市役所
町の中心街といった感じの所に役所はあります。
出水市は人口55000人くらい。
リーマンショック後、大手企業の工場が次々に閉鎖して大騒ぎになったようですが、現在はそれに代わる働き口は確保できているんでしょうかね?

西の方向へ行くと川を跨ぎます。

↓米ノ津(こめのつ)川の上知識(かみちしきばし)橋より(河口方向)

左の白くポツンとある建物は「ツル博物館クレインパークいずみ」。
出水市はツルの越冬地として知られています。

↓駅を降りれば、それは否応無く分かります。
  
私はさほど興味ないので行きませんけどね。

「箱崎八幡神社」へ。

初詣では阿久根で済ませている?のでそれが目的ではなく、ここにある日本一のものを見るだけにここに来ました。
それは何か・・・?
日本一はこれだ!
神門にある、高さ4メートル・直径3.4メートル・重さ5トンのいわゆる「成せば成(鳴)る大願成就」の巨大な鈴。
為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」とは、かの名君・米沢藩主上杉鷹山公のお言葉。ドでかい事をやり遂げたいというアナタ、是非ご参拝を。
建立されたのはかなり最近、平成12年であるといいます。
それにしても・・・、ですよ。
鈴の音色も楽しめるようにして欲しかったと思うのは私だけ?

↓神門の前にある「茅の輪」
 
こんな唱え言葉を覚えられるか(怒)!
普通は覚えられず、従いましてくぐっても願いが叶う人はほとんどいないと思われ。なので、省略形、キボンヌ!

神門をくぐり社殿へ。

ここにもでっかいのがあるよ→
どちらかというと神門のより大きく見えます。
中には入れることができ、色々な展示物を見られるそうですが、しっかりと日本一小さい鈴も用意してあるとな。その小ささ、わずか直径1.5ミリ!!

大賑わいの社殿前→

神楽も執り行われています→

↓人混みの神社を脱出し、東へ1.5キロほど東にある本町地区商店街へ。


この商店街の一角にあるまたもや日本一のものに会いに。

↓初詣でする人なく、寂しすぎる八坂神社内にあるお地蔵様
  
大正14(1925)年に建立され、その高さは台座を含め4.15メートル。
平成8年の火災によって、顔の左半分に剥離ができてしまったといいます。

近くにある出水麓(いずみふもと)武家屋敷群へ。
国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された、昔の面影を強く残している武家屋敷群で、今もなお人が住んでいる建物ばかりらしいです。

竪馬場(たてばば)通り→

出水保育園→

税所(さいしょ)邸→
この武家屋敷群の建物では最古のものといいます。

↓竹添邸
  

宮路邸→
ここも「篤姫」のロケ地で使用。
そのドラマは見ておらず、どういう場面で出てきたかは知りませんが。

見たい所が目白押しの出水市ですが、結局2時間程度しかいられず名残惜しいのですが、次の町を目指すことにします。

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72日目 肥薩おれんじ鉄道に揺られて(2)~阿久根

2014-03-28 23:51:34 | 九州南部
2014年1月1日(水)


前回からだいぶご無沙汰していました。
この間、消費税増税前からなのか、年度末のせいか、それとも景気が上向いているのか、突然の自分の能力を超えた量の仕事の処理で忙殺され、いやいや世間様に謀殺されてしまうのではという状態が続いておりました。
あともう一息頑張ればという所まで漕ぎ着けましたが、今度はXPのサポートが終了することにより、新たに購入したパソコンが「早くしておくれよ」と切り替え作業を待ち構えております。
嗚呼、落ち着くのはいつになることやら・・・。
それでもその間、足繁く我がブログにせっせと通って下さった方には感謝申し上げます。


前年と同様、九州の元日の様子をご紹介していきましょう。

川内(せんだい)駅から乗った9時22分発の列車には数人しか乗っていません。
が、ある初老の方に「毎年この時間の列車は満員なのに、今年はどうしたことだろう?」と声をかけられる。
満員だと単に旅人の私は寧ろ困るんですけど・・・。

↓甑(こしき)海峡の車窓です。



前日のような晴れでないのが恨めしい。

阿久根駅→
改装中なので隅っこの方に出入り口がこじんまりと設けられています。

駅前にある「あくねツーリングSTAYtion」→
かつてここを走っていた寝台特急「なは」に使われていた客車を使っているライダーハウス。
先日廃止された「あけぼの」もいずれはこんな感じで使われるのかな?

駅前商店街(国道3号線)→

魚市場へ→

ガラ~~ン→

大量旗もどことなく寂しげ→
ある意味お正月らしい様子。

市場食堂「ぶえんかん」→
「ぶえん」とは、新鮮な魚を意味する鹿児島の方言らしいです。
という事は、おいしい魚料理が味わえるお店。ただお休み・・・。

公園の中にポツンとある神様→
港の近くにやっぱりこれは欠かせませんな。
これで初詣でします(笑)。

市内を流れる高松川(河口方向)→

川沿いに建っていたボロ家→

その家の横にあった仏様→
朽ち果てている上に、ニヤついて気味悪いので、崇拝するに値せず、かと言って壊すと祟りが怖いので、放置されるに任せた印象。

市役所近くの漁港→

(349)鹿児島県阿久根市役所
阿久根市、新幹線が開通して逆に町の衰退に一層の拍車がかかった犠牲者としてしばしばマスコミに登場。
でも、やっぱりそれ以上に強烈だったのは、専決処分を連発したり物議を醸し出す発言したりその他挙げればキリがないけど、色々と話題を提供してくれたあの前市長かなあ。
傍から見ていると面白かったけどね。

↓国道3号線の商店街はお店のシャッターにアートを施しています。





お正月なので魚料理は食べられませんでしたが、ここはそのほとんどがシャッターを下ろしているので、多くのアートを堪能(もしかしたら普段もシャッター通りかもしれないけど)。
それを眺めながら駅に戻ります。

↓商店街で見たお気の毒なの2つ
  
まだ焦げ臭いにおいがプンプンしていましたので、まだ間もない感じ。
もはやたいして売れないだろうに、寒く人通りのない中、しかもお正月からこんな役回りさせられてね。
自爆営業してでもさっさと帰りたい気分か?

↓くまモンワールド全開の列車で、ハイ、次へ行こう。


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72日目 肥薩おれんじ鉄道に揺られて(1)~川内

2014-03-10 23:30:17 | 九州南部
平成26(2014)年1月1日(水)


明日で東日本大震災から3年。
テレビでは震災関連の番組が増え、それを見ていると、あの頃の何とも言えない陰鬱した感じが否が応でも思い出されます。
早いですね、あれからもう3年なんですね・・・。


このブログも今年に入りました。やれやれ、やっとですよ・・・。
そして新年の目覚めは早朝散歩です。

↓川内(せんだい)駅西口から伸びる昭和通り(国道3号線との交差点にて)


隈之城(くまのじょう)川のほとり→

(348)鹿児島県薩摩川内市役所
平成16年に旧川内市他8町村が合併し成立、人口約10万人。
ただ、旧川内市民にとっては、はた迷惑な合併だったかもしれない。
住所を書く時、「薩摩」を付けないといけなくなったからね(しかもやたら字画が多いし)。

市役所前の向田(むこうだ)公園→
桜の木に囲まれたイベント会場などで使われる公園。
これからの花見シーズンには大いに賑わう場所。

国道3号線のアーケード街に出てきました→
北の方向。ひっそり。お目覚めはまだまだ先かな・・・。

薩摩蒸気屋→
鹿児島を代表する和菓子屋さんの店舗(お店のHP)。

川内川の方(北の方角)へ。

太平橋→
現在の橋は六代目らしいです。

橋の袂にある「からくり時計」→
ある時間になると、カッパが出てきて太鼓を叩いたり笛を吹いたりしながら踊るんだと。
一度見てみたかったなぁ。

河口の方向→

橋からアーケード街を見る→

↓太平橋から東側にある旧薩摩街道・渡唐口(ととんくち)
 
旧薩摩街道は川で途切れ、船で渡らねばなりません。
篤姫が徳川家に輿入れする際にも通ったという道。

対岸→

旧薩摩街道を南へ→
このあたりは飲み屋が多く、選り取り見取り。
一生店選びに困らないくらい(笑)。
うわばみが多いイメージの九州の面目躍如の町。

入ったら楽しそうなだな、この横丁→

駅近くに戻ってきました。

川内駅の東口側→

駅の中に飾ってある大綱(前日撮影)→
毎年9月22日に開催される「川内大綱引」というお祭りで以前使っていたもの。

切符売り場にて→
鹿児島出身のこのコがそれこそ「本物」として立っていたら一番喜ばれるんだけどね・・・。

↓さてさて、これから肥薩おれんじ鉄道にて北上を開始しますよ。


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71日目 春を先取り・薩摩半島(3)~枕崎

2014-03-06 23:44:33 | 九州南部
2013年12月31日(火)


昨日は私の××回目の誕生日でございました。
東京に勤務している中学の同級生のダチらがお祝いしてくれるというので、あのクソ寒い雨の中千葉からわざわざ銀座へ出掛けたわけですよ。
ところが保土ヶ谷駅で人身事故が発生し、そのあおりで総武快速線もダイヤが大混乱し、主役が大遅刻というカッコ悪さ(苦笑)。まっ、楽しかったんで良かったですけど。
それにしてもギネスものの女性世界最高齢の大阪のおばあちゃんと同じ誕生日だったとは。目指せ116歳!


開聞駅からは終点・枕崎までまっしぐら。
写真には収めていませんが、網棚にスーツケースがポツンと置いてある。
その下の座席には誰もいない、というか車両自体私一人の貸切状態。
忘れ物か、不用心だなあ。
大事な物が入っているんじゃないかな、中身が何か凄く気になりますが、それにしても何でこんなのを忘れるか理解に苦しむ・・・。
駅で降りるときに忘れ物の件を車掌さんに伝えておきましたけどね。

↓枕崎駅とその周辺
←ガイドブックにありげな写真になってくれた(笑)。

←奥のスーパーは以前駅があった所。

←かつお節行商の像

←入口はポツンとしたもの

←「日本最南端」部分は過去のものとなってしまいましたが。

スーパーの奥にあったの廃線跡→
鹿児島交通の線路らしいです。

駅近くの駐車場→
どうにも違和感のある看板ですな。

駅前から西に伸びる市役所通りを真っ直ぐ歩きましょう→

てな訳で、こちらへ。

(347)鹿児島県枕崎市役所
カツオで有名な町で、鰹節の生産は日本一。
たまにお世話になる「本格焼酎・さつま白波」の発祥地。
台風シーズンともなると、よく耳にするほどの台風銀座の町。
「枕崎台風」と名付けられた大東亜戦争終戦直後にやってきた台風もあるくらい。
それは最大風速毎秒40メートルという強烈なものであり、特に中国で山津波による甚大な被害が出たといいます。
でも、広島市はこの台風によって原爆による放射性物質が洗い流され、住む事ができるようになったいう説もあるようで。

港に来ました。

枕崎お魚センター→

↓その中
 
ここでも北海道気分を少し味わえます。

ゲッ!→
かなり遅い時間ですが、実はここで食事をするのを楽しみにこれまで昼抜きで頑張っていたのですが・・・、残念!
メニューに、「かつおビンタ煮」という頭の部分を煮たものがある。その「ビンタ」は、小さい頃に学校の先生によくやられたあの「ビンタ」と同じ意味なのかちょっと気になる。

大漁旗なびく漁船→
思わず「港町ブルース」を口ずさんでしまう。
「みーなと~、べっぷ、ながさき~、まくらーざ~きー(略)ここは鹿児島 旅路の果てか 港、港町ブルースよ~~」
確かに旅路の果てに来たんだな(ちょっぴり感傷に浸る)。
そう言えば前年の大晦日もこの歌に出てくる八幡浜にも行ったんだっけ・・・。
こうなったら毎年港町に行くのもまた良し。

まさに「港町」という地名から見た港→

↓近くの街並み
 

台場公園まで歩いてきました。

公園内にある蛭子(えびす)神社→
「戎(えびす)さま」なんだろうな、きっと海の安全と豊漁の神様ですな。

↓公園から海を眺める(左は東方向、右は西方向)
 
右の写真、逆光で真っ黒になってしまった・・・(汗)。
にょきと突っ立ている岩は高さ42メートルある枕崎のシンボル「立神岩」。
火之神公園の沖にあるそうです。

公園をまっすぐ北へ歩くと駅になります。

枕崎市駅前通り商店街(県道255号線)→

16時3分発の鹿児島中央行きで枕崎を去ります。さよーなら~。

↓JRの駅としては最南端にある西大山駅
  
はるか南の沖縄に駅ができたのでその価値は落ちたのも知れませんが、相変わらずの人気ぶり。

鹿児島中央駅で鹿児島本線の電車に乗り換え、川内(せんだい)駅で下車しここで宿泊します。

駅前→
九州にもある「センダイ」。
「センダイ」と言えば、全国的には宮城県・仙台で知名度も抜群。
そして九州にも「センダイ」がある事を話すと、大抵の人がその存在に驚きますね(仕方ないか)。
因みに鹿児島の人は仙台を「オウシュウセンダイ(奥州仙台)」を呼んでいます(鹿児島出身の知り合いの談)。

ホテルでグダグダと酒を飲んで、毎年進歩がないなと自省しつつ、2013年の終わりを迎えました(本当にしょうもない私です)。

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71日目 春を先取り・薩摩半島(2)~長崎鼻・池田湖

2014-03-02 01:15:52 | 九州南部
2013年12月31日(火)


山川駅前から乗る予定のバスは10分遅れてやって来ました。
田舎にして何でこんなに遅れるんだか・・・。
バスは山川集落を経由して長閑な中を進みます。

開聞(かいもん)岳が見えてきた→

↓11時ちょっと前に長崎鼻(ながさきばな)バス停到着


バス停から長崎鼻へは坂を下らなければいけません→
長崎鼻周辺はてっきり平坦な所だと思っていました。
観光客も多く賑やか。あまり人は多くない観光地だと思っていましたが。

竜宮神社→
浦島太郎伝説があるという神社。参拝していたのはアベックばかり(笑)。

では、長崎鼻の突先に向かって歩いてみましょう→

薩摩半島最南端、溶岩でできた海に突出する岬です。
行きたいと思っている所はたくさんありすぎるのですが、ここもその一つ、ようやく念願成就。
長崎鼻はきっと鹿児島県のが有名でしょうけど、よそでも使われていて、千葉県やその名のとおり長崎県にもあります。

助けた亀はアカウミガメだったのかぁ→

↓何も知らない外国人がこの写真を見たら、OH!Mt.Fuji!と言うでしょうか?

そう思われても不思議ではない開聞岳、別名「薩摩富士」。標高924メートルの火山。

反対側の景色→

勿論下へ降ります→

↓行ける所まで。




ここまで。時間がなくなったので引き返します→

もうひっそりしているよ、さっきの賑わいは何だったのだろう(笑)→

またしても次のバスは定刻より7分ほど遅刻。
そして12時頃、終点・池田湖へ。そうです、イッシーを見つけに(笑)。

↓池田湖



周囲15キロ、水深233メートルの九州で一番デカい湖。
イッシーの他?、天然記念物「オオウナギ」が棲息(これは間違いなし)としても知られています。

↓これはちょっと立ち寄ってみた「旅の駅池田湖パラダイス」内の「オオウナギ」。

これを見ていた人は一様に「気持ち悪い」を連発していました。

↓しばらく湖を見ていましたが、残念ながらイッシー君は姿を見せてくれなかったので、イッシー像を見て満足することにします。
 

池田湖から少し離れて「鰻池」という池があります。
この池には鰻が棲息しているのは勿論、湖畔に「鰻」という集落があり、そこの温泉は「鰻温泉」、さらには「鰻さん」というお名前の方も住んでいるという、まさに鰻ずくめの場所です。是非行ってみたいです。

池田湖を離れますが、バスは始発でありながら5分遅れてやってきた。
もしかして運転手はのんびりゆっくり昼飯でも食っていたというのであろうか・・・。
どうもこの地域のバスは時間というものには全く無頓着らしい。

唐船峡そうめん流し→
渓流で流しそうめんと川魚が堪能できるそうな。とっても良さげ。

「玉乃井」バス停で降ります。

↓近くに「玉乃井」という日本最古の井戸があります。





予想を裏切る事なく、思っていたとおりの枯れ井戸でした。

開聞駅まで歩いて行きます。

枚聞(ひらきき)神社→
宝物館には「松梅蒔絵櫛箱(いわゆる玉手箱)」があるといいます。
煙でも噴き出して年を食ったらイヤなので見に行かないけど(笑)。

開聞駅→

↓やってきた列車からリュックを背負った客がドヤドヤと降りてくる(手前のおばちゃんは違うけど)。

開聞岳に登って初日の出でも拝もうというのでござろうな。

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71日目 春を先取り・薩摩半島(1)~指宿

2014-02-26 23:33:27 | 九州南部
2013年12月31日(火)


平成25年の最終日は、やや観光色の強い一日となります。

鹿児島中央駅桜島口(東口)→
ここが出来てそんなにたってないでしょう、もう老朽化?

7時51分発、指宿枕崎(いぶすきまくらざき)線の快速「なのはな」号で出発します。

霞む桜島→
鹿児島に来ると決まってモヤっていて、ハッキリクッキリとした姿を一度として見たことなし・・・。

↓住宅地の中を抜けると、錦江(きんこう)湾沿岸を走ります。


二月田(にがつでん)駅で下車→

駅前→

この駅から役所を経由して指宿駅まで歩きますが、それでも少し時間が余りそうなので、揖宿(いぶすき)神社へ。
今更ながら旅の安全祈願です。
それまで多くの神社のそば、もっと言えば神社自体にも行っていましたが、全く祈願の事は頭から吹っ飛んでおりまして、「今頃、ノコノコと!」と神様はご立腹か呆れているか・・・。

揖宿神社→
慶雲3(706)年に創建されたという由緒ある神社。

「随神門」の2体対峙しているうちの「吽(うん)神様」?→
神様というより兵の大将のような感じ。しかも旗色が悪そうな感じの(笑)。
、いけんすればよかか・・」

片や「阿(あ)神様」→
こちらは余裕しゃくしゃく、不敵な笑み。「っはははっ!よかよか」

勅使殿→
後ろに拝殿、さらにその後ろは本殿。
朱色と屋根の緑色の調和がとても美しい。

細い路地や畑の中を通って市役所付近にやってまいりました→
ワシントンヤシ?の街路樹がいかにも南国って感じ。
奥に見える山は魚見岳、絶景ビューポイントらしいです。

(346)鹿児島県指宿市役所
砂むし風呂で有名な温泉地。
地名の由来の一つの説として、元々、湯豊宿(ゆほすき)と呼ばれていたところ、天智(てんじ)天皇が行幸した際に、従者が「近くに湯豊宿(ゆほすき)というのがあります」と指を差して天皇に教えたという故事から「指宿」と字が当たられ、「ゆほすき」が「いぶすき」に転訛していったというみたいです。

役所前の道路を真っ直ぐ進めば指宿駅に行けます→

南の果てに見るすごく違和感のある看板→

もうすぐ駅→

駅に来ました→

駅前にある足湯→

↓浦島太郎と亀の目が異様にデカく、ビックリしているよう。



陰に追いやられてしまった「姉妹駅記念 日本最北端稚内駅から 1974年10月20日 指宿駅」石碑。
別に見なくてもいいよと言わんばかりの扱い。それぞれ別会社になったから?

隣の山川駅へ行きます。

私の乗る方はとても寂しい→
隣のホーム(鹿児島方面)とは好対照。

↓山川駅
 
右の写真の「JR」の文字はなんだか取ってつけたよう。
というもの、今では「日本の最南端の有人駅」ではないからね。

駅前バス停から指宿駅方向を見る→
ポカポカ暖かくていい景色、最高です!

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70日目 ぐるり霧島連峰(3)~霧島・姶良

2014-02-25 00:36:08 | 九州南部
2013年12月30日(月)


隼人(はやと)駅で日豊(にっぽう)本線に乗り換えて国分(こくぶ)駅へ。

隼人駅→
竹に覆われた駅。右の赤と青の暖簾の部分はトイレですが、あたかも風呂の入口のよう。
駅名の左の○+マークは島津氏の家紋。

↓国分駅舎(東口)と駅前




ここ国分はそのコースから外れているようですけどね・・・→
それにしてもお龍は、絵にあるような格好で出掛けたんでしょうか?
もしそうなら、これではなかなか遅々として進まず、さぞ龍馬はイライラしたであろう。

(344)鹿児島県霧島市役所
平成17年に国分市・隼人町・霧島町・福山町・溝辺町・横川町・牧園町が合併し成立、人口は約13万人。
前日から霧島連峰の周囲を廻ってきましたが、その連峰一帯は「自然の多様性とそれを育む火山活動」をテーマにしたという「霧島ジオパーク」として日本ジオパークに認定されています。

↓山形屋の横のペットボトルで作られた工作物

これは何と、イルミネーションであるといいます。暗くなるとどう輝くんでしょうねぇ。
右のグラスも相まってオシャレな雰囲気がする場所。

 

県道60号線→
国分の繁華街っぽいです。

中心街の外れにある大隅国分寺跡→
奈良時代末期から平安時代初期に建立されたお寺さん跡。
だだっ広い中に、ポツンと何やらある。

↓そのポツンとあるもの→
左の案内板によれば、寺の再興を祈願して建てられた「石造層塔」。


「仁王像」は首がなくなっているし・・・。
これを造った人や像自身も、後世こんな惨めな姿で晒されるようになるとは思ってもみなかったでしょう。
しかもこの敷地、史跡であるのに関わらず駐車場として使われているぞんざいな扱われよう。

↓国分寺近くに廃止された大隅線跡があるというらしいので来てみました。

大隅線とは国分と志布志(しぶし)駅を結んでいた路線で、今では幅の広い道路になっています。

県道60号線との交差点→

第一工業大学の中の道路を通って国分駅に滑り込みます→

これは国分駅北西側にある大隅国府跡→
なんと民家の敷地内に石碑があるし(笑)。

鹿児島方面の電車に乗り、帖佐(ちょうさ)駅へ。

帖佐駅の跨線橋から見える桜島→
噴煙が上がっている?
よう分からんけど、とにかくこれを見るとね、鹿児島に来た気がしますね。

↓帖佐駅と駅前通り



奥が駅。

(345)鹿児島県姶良(あいら)市役所
平成21年に姶良町・加治木町・蒲生町が合併してできた市で、人口約7万5千人。

加治木地区にはそこそこ見所があるようですが、もう暗くなってきましたし、それよりも疲労困憊につき適当に市街地をブラブラ歩いて脱出。

鹿児島中央駅へ(西口)→

この日は鹿児島市に宿泊です。
鹿児島ラーメンを楽しみにしていましたが、ホテルに着くや否やタヒる。
そして起きたらだいぶ遅くなっていたので、結局ありつく事ができず・・・。

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70日目 ぐるり霧島連峰(2)~湧水

2014-02-22 00:50:39 | 九州南部
2013年12月30日(月)


乗った列車が吉松駅で13分停まっている間、今では珍しい駅弁の立ち売りのオッチャンがあっちウロウロこっちウロウロ「誰か買ってくれよ~」という顔して頑張っているので、ついつい買ってしまう。そろそろお昼時だからというのもあるんですけどね。

吉都(きっと)線から肥薩(ひさつ)線のハイライトである「矢岳(やたけ)越え」に向かう「しんぺい2号」に乗り換える乗客がほとんどで、それもリュックを背負った人ばかり(つまり乗っていたのはほとんど鉄オタ?)でしたが、私はそのまま乗りとおすのでそちらに目もくれません。

何も考えず弁当を開けてしまった。
 
中身は何てことのない典型的な幕の内弁当(\630)ですが、値段のわりに結構充実している感じ。
さて、食べている途中で「次に降りる駅はどれくらいで着くんだっけ?」と、ふと思い出す。予定表を見ると降りる栗野駅は吉松駅の隣で僅か10分で着いてしまう・・・ゲッ!。
慌ててかきこむハメになる。

栗野駅12時8分着。
駅南側の真ん前には「丸池公園」があります。
んで、いきなりコイツらのお出迎え。

見ていると思わず微笑ましくなるクマの親子→

↓他、いろいろ






↓こちらは「丸池」



「霧島山麓丸池湧水」として日本名水百選になっています。
名は「丸」ですが形は三日月の形のよう。
1日あたり約6万トンも湧き出ていて、生活用水としても使われています。

のんびりするのに打ってつけのこんな素晴らしい場所があるのが最初から分かっていれば、慌てて列車の中で弁当を食べることもなかったのに・・・。

汲んで持ち帰ってもいいとあるので、ちょいと失敬→
空のペットボトルは必ず携行しています。夜行列車・自動車泊する際の朝晩の歯磨きに特に威力を発揮します。
地下40メートルから湧き出るミネラル分の多いお水で、水質は硬度46の軟水、PHは7.3。

川の起点なんて、そうそう見る機会はないぞ→

↓展望台から




丸池湧水煉瓦暗渠→
明治36(1903)年に完成し、長さ67.4メートル。
近代化産業遺産に登録されています。

駅から南西方向にある山野線と肥薩線の分岐地点(栗野駅方向)→
山野線とは、かつて水俣(みなまた)駅までを結んでいた路線。

↓ちょっとばかり辿ってみましょう。



県道55号線と交差しその先も廃線跡は続くのですが、これ以上の深追いはしません。
後はさようなら。

九州縦貫自動車道・栗野ICへ向かう道路の入口→

(343)鹿児島県姶良(あいら)郡湧水町(ちょう)役場
平成17年に栗野町と吉松町が合併して成立。丸池の他にも竹中池という水が湧き出る場所があり、町名もズバリそれから。

栗野駅前(北側)→
再開発中なのか櫛の歯が欠けたような状態で、ポツリポツリと建物が建っています。

14時9分発の列車で栗野駅を後に。

大隅横川駅→
嘉例川(かれいがわ)駅とともに日本で一番古い木造駅舎(嘉例川駅の写真は省略)。

戦時中、機銃掃射を受けたという痕→
こんなのにうっかり遭遇したら、きっと恐怖で生きた心地しないでしょう。
平和のありがたみを感じます。

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70日目 ぐるり霧島連峰(1)~えびの

2014-02-17 23:50:27 | 九州南部
2013年12月30日(月)


跨線橋建設中の都城駅から前日と同じく吉都(きっと)線でスタート!

谷頭(たにがしら)駅にて→
え?!吉都線って電化されているの?

8時49分、えびの駅に到着。

駅からの風景→
霧島連山が望めます。実に長閑だな~。

↓駅舎


 
古い懐かしい感じの趣きのある駅舎。
石碑にあるとおり、映画のロケとしてこの駅が使われ、終戦前後の駅を再現しそのままの状態で保存されているとの事。映画の中では「霧野駅」として登場したみたいです。

駅舎内→
早朝から何故か女のコが一心不乱、一所懸命書き物をしている。
何を書いているのか聞いてみようかなと思いましたが(ナンパではない)、あたかも
今は忙しい、声をかけるな、近寄るな!
オーラを発していた(ように見えた)ので、町を散策して戻ってきてまだいたらという事で。

えびの駅周辺の加久藤(かくとう)と呼ばれる地区を散策します。
駅も元々は加久藤駅でありました。

駅から続くこの一本道を進みます→
いや~、こういう中を歩くのも心洗われるなぁ。

何でしょうか、これ?→
縁起の良い鳳凰を模しているのかな?
所変わればいろいろな風習や文化が見られる、嗚呼楽しからずや。

池島川を渡る→
奥に見えるのは吉都線。

無人の野菜直売所→
日本ならではの売り方ですな、きっと。外国ならばこんな事はありえないでしょう。
大抵の日本人なら決して盗まないであろう点で、我々日本人のモラルの高さを誇れる光景と言えますよね。
この3体並んでいる何だかよく分からん人形が持っている茶碗にお金を置けばいいのかな?
でも、買いません、スミマセン。

木崎原(きざきばる)古戦場跡→
島津義弘と伊東義祐との間で元亀3(1572)年に起こった戦い。
ここで勝った島津氏は南九州平定に大きく前進、逆に伊東氏は衰退していったので、この戦いは「南九州の関ヶ原の戦い」と呼ばれているようです。

島津義弘が腰掛けたという石→
上の方はちょん切れていますが、左は戦死者を供養するために島津氏が建立した六地蔵塔。

国道268号線に向かいます。

この集落の神様でござろうか→

建築業の社長さんが建てたというお城→
とても本格的で桜も植えられているし、お花見シーズンはかなりありかも。
何百年後には文化財的価値ありと認められますかね?

川内(せんだい)川にかかる橋→

その橋の袂→
田の神さあ」ってこれか!
ようやく疑問が氷解し、すっきり。さっきの野菜売りの所にあったのは神様だったのね(失礼)。
でも前日の三股町の田んぼの中にこんなのなかったぞ・・・?どういうことだ??

千葉に帰ってきてから、宮崎駅で奪ってきた「えびの市」のガイドブックを何気に見ていると、「田の神さあ」の解説が載っていたりする(旅行中よく見ていなかった・・・)。
様々なタイプのものがあり、神様型・地蔵型・農民型などある一方で、石を神様に見立てている場合もあるよう。
きっと三股町で見つけられなかったという事は、石のタイプで気が付かなかったのかな?

むつ市(青森県)・いわき市(福島県)についで日本で3番目の平仮名市名・えびの市。長らくこの3市で「ひらがな3兄弟」として君臨していましたが、平成の大合併で大増殖し、その価値?は埋没。
私は市町村名ともなれば表記・音ともにそれなりの貫禄が必要だと思いますので、平仮市町村名はあまり感心しません。

↓急に腹痛を起こし始めたので、慌てて「道の駅えびの」に駆け込む。


(342)宮崎県えびの市役所
人口は約2万人。じわじわと減っているので、2万人割れは時間の問題。

素晴らしい廃屋見っけ→

でも覗くとちょっと切ない気分に→

駅に戻ったら、例の女のコはいませんでした、残念!

吉松駅へ→

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69日目 くまそ国の旅の始まり(3)~西諸県地区

2014-02-15 23:46:24 | 九州南部
2013年12月29日(日)


都城駅から14時14分発の吉都(きっと)線の列車に乗ります。

↓この路線、全通して100年ということでこんな幟をよく目にしました(都城駅にて)。

非常におめでたい事ですが、果たして次の100年は「きっと」来るのか?というくらい、今は利用客数がとっても芳しくないご様子。

アノ手コノ手の増収作戦、さりげなく進行中→
もう締め切りは過ぎてますけどね。

車窓から見える山々を眺めながら小林駅に到着。

ホームから見える何山?→

小林駅→

駅前のイルミネーション→
夜はさぞ綺麗でしょうが、昼間は電線がやや目障り。

この小林市はそれなりに見る所はあるようですが、そのほとんどは車がないと行けないようなのばかり・・・。
従いまして、駅周辺を散策してここは終わらせます。

駅から真っ直ぐ伸びる通り(二番街商店街)→
奥が駅方向。
右にある建物は元々スーパーが入っていたのですが、倒産してしもた屋になっている。それが街中を一層寂しいものにさせています。

(340)宮崎県小林市役所

役所内の魚を飼育している水槽→
ま、よくある鯉か金魚でござろう。

と思ったら。

何と!チョウザメでござった→
世界三大珍味のキャビアはこの魚の卵の塩漬け。
これ何回か食べた事ありますが、本当に珍味なの?と首を傾げるくらいおいしくない。
私の舌がおかしいのか?
魚肉が美味とあるので、キャビアはどうでもいいけど今度そちらの方を是非味わってみたいな。
それはそれとして、「キャビア・チョウザメ」と言ったら「宮崎県小林!」と誰でも連想できるようになるといいね。

国道221号線に出てきました。ここは中小商店が並んでいて、市の中心街を形成していますが、他の地方の町と同様に人はあまり歩いておらず、その一方で車は絶えず走っています。

↓西郷どんは西南戦争での敗走途中、ここにあった民家に身を隠したでごわす。

でも今は一面駐車場でごわす。
その奥は築130年の古民家を改装し、4年前にオープンしたお食事処の入口でごわす。

赤松通り商店街→
やっぱりひっそり。

その名のとおり、井戸端会議をする場所?→

飲み屋街へ→
小林市は人口5万人ほどの市ですが、それにしては飲み屋がとても充実しているどころか、大杉
さすが、一人当たりの年間酒の消費量日本一(2010年)の県であります。
飲み屋が多くないと宮崎県民は宮崎では暮らしていけないようです。

都城方面に戻り、2つ隣の高原(たかはる)駅へ→
この駅のある高原町は、「天孫降臨伝説の地」であり、初代天皇である「神武天皇御降誕の地」でもある、神話の薫り・神様の力溢れる町。

↓という訳で駅にはこんなものが。



ついこの間の紀元節の日に、記念すべき第1回が執り行われた(と思う)お祭り。
今回のブログをその日に合わせて作成すれば良かったと今更ながら気が付く・・・。
下の写真のポスターに狭野(さの)神社、皇子原(おうじばる)神社の文字が見えます。
神武天皇は皇子原で生まれ、幼名は狭野命といったようです。

(341)宮崎県西諸県(にしもろかた)郡高原町(ちょう)役場

ところでこの西諸県郡、前回登場した三股町がある北諸県郡より北にあるのに東・西諸県郡があるのって何か不自然じゃないでしょうか?
最初は単に諸県郡だったのが宮崎県と鹿児島県に分かれ、北諸県郡が宮崎県、南諸県郡が鹿児島県となり、その北諸県郡の北部が東西諸県郡それぞれ独立したいきさつがあるようです。

↓確かにお年寄りは大事にしないといけませんが、車はほとんどない道路にこんな標識必要かと思ったりする。


↓町の総合運動公園

いや~、広いですね。
町民全員がここに集まっても余裕しゃくしゃく?


民家のすぐ下まで削られているし。よくこの家の人はこれを承諾したものだなあ。大雨でも降ったらヒヤヒヤものではないでしょうか?

田畑の中の道を通って駅に戻ります→
この時17時45分。やっぱり日が落ちるのが遅いなあ。感覚的に千葉よりも一時間くらい遅い感じ。

イルミネーションがひっそりと輝き始めていました→

千葉を出て最初のホテルでの宿泊は都城市でした。

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69日目 くまそ国の旅の始まり(2)~三股・都城

2014-02-11 15:14:10 | 九州南部
2013年12月29日(日)


↓宮崎から西部に向かう途中の「青井岳(あおいだけ)」駅

列車行き違いのため少々停車。
牛山隆信氏によるところの秘境駅ランキング第122位の駅。
ランキングに出るだけあって、駅前(写真の左側)には民家が数軒あるのみ。
というか、よくこんな所(失礼!)に住めるなあというのが率直な感想。

三股(みまた)駅→
駅名標には「た」と「え」の間に「ん」が入っています。
この「ん」はこの辺の方言で「の」を意味するらしい。つまり「みまたんえき」で「三股の駅」となるよう。
「みまたん」か・・・。ご当地ゆるきゃらの名前にピッタリな感じだけど。もっとも、この町を挙げてこれを使っているようで。

駅の隣の三股町物産館「よかもんや」→
良かもの屋ってことか・・・。

この駅前通りを真っ直ぐ歩いていくと役場→

(338)宮崎県北諸県(きたもろかた)郡三股町(ちょう)役場

まだ時間が多少あるのでブラブラ散策。

なんてこと無い田んぼの中→
実は駅前の町の案内板によると、ここら辺に「田の神さあ」というのがあるように表示されている。
でも、つぶさに探してみても神様っぽいものは全く見つからない。
「田の神さあ」って、一体何さあ?(でも、翌日正体が判明する)

町から目立って見える山→
地図を持って来てはいますが、何山と言うのか全くわからず、聞こうにも誰~も歩いていないので、結局分からずじまい。
坂本龍馬が「日本最初の新婚旅行」の際に訪れた「高千穂峰」かなと勝手に推測(間違っていたらどなたかご指摘下さい)。

この狩り残しはどういう意味があるのだろう?→

何だか疑問ばかりが残る三股町でございました。
再び西都城行きの電車に乗りまして、そのまま終点へ。

西都城駅の駅名標→
左下の駅名が削られている・・・。
昭和62(1987)年に廃止された志布志(しぶし)線という路線の、次の駅であります。

高架線から左下に降りていくのが旧志布志線らしい→

西都城駅→

駅前の通りをそのまま道なりに歩くと国道10号線と交差し、それを右に。

その途中の古美術屋→
どう見てもガラクタにしか見えないんですが・・・。
ま、店外に出しているものは盗まれてもいいようなシロモノなのでしょう、きっと。

(339)宮崎県都城市役所
宮崎県第2の都市で、人口約17万人。

役所前の通り→
クスノキの並木となっています

近くのファミマで一服→
南九州限定販売の「メガスパイシーチキン」。
「メガ」だけあって確かに大きいのですが、撮り方が下手っぴで普通サイズにしか見えなくなった・・・。

珍しい和風門付きマンション→

都城島津邸→
都城は「島津氏」発祥の地で、ここはその名の通り、その「お殿様んお館」。
この敷地内には「都城島津伝承館」があり、島津さんちの歴史史料が展示されています。が、休館中。
なのですが・・・。

この生垣の隙間から入ろうと思えば入れる!→
お粗末そのもの、薩摩77万石の大大名のお屋敷にしては(笑)。

都城駅に向かって歩くと、何やら見えてくる!

神柱(かんばしら)宮の大鳥居→
で、デカイ!

高さ25メートル、昭和54(1979)年に建立。
熊野本宮大社の大鳥居(約34メートル)にもド肝を抜かれましたが、それより劣るもののなかなか圧巻。
もっともこちらの建立当時は日本一だったといいます。

↓神柱公園




ご利益あるの?→
この売り場もご多分に漏れず「当たりました」の貼り紙。
その「当たり」もロトなどの数字選択式だけで、これはその数字を決めた人の手柄なので、売り場は単に購入先としてたまたま選ばれただけを宣伝するのは甚だおかしい。高額当選の普通の宝くじが売られていたのとはわけが違う。

都城駅→
都城市の駅の母屋はここなんでしょうけど、隣の西都城駅よりかなり見劣りする。

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69日目 くまそ国の旅の始まり(1)~宮崎

2014-02-08 23:41:24 | 九州南部
2013年12月29日(日)


外は首都圏にしては異常な大雪に加えて強烈な暴風なのでどこ出掛ける気にもならず(ま、冬は家篭りが多いですけど・・・)、こういう時は溜まりに溜まった仕事を少しでも片付けるに限りますがな(飲みに誘われましたが断りました。付き合いの悪いヤツと思われても構わん!)。やっと一段落つきましたので、始まったばかりのソチ五輪でも見ながらブログの作成ですよ。
ところが作成中にアンテナがおかしくなったか、電波の状態が悪くなったらしく、テレビ画面は砂嵐状態に。いよいよブログに専念するしかなくなりました(苦笑)。


7時前に起きまして、さ~っと一風呂浴びて甲板へ。

この日の日の出時刻は7時14分→
船から見る朝日は格別、とってもいいものじゃ。

シーガイアを横目に→

凪いだ海をゆっくりと港に滑り込みます→

定刻より15分ほど早い、8時半前に宮崎港到着、
筑紫島に上陸でい!
前年に続いて船にて上陸、こうなったら九州へは毎回船で行く事にしようか(笑)。

おおさかエクスプレス→
今年秋からはこの航路は大阪⇔宮崎から神戸⇔宮崎に変わります。
なので、船名はこのままという訳には行くまい。

宮崎フェリーターミナル→

↓バスにて宮崎駅へ



右にチラリと写っていますが、クリスマスっぽいのまだ飾っているよ・・・。

とりあえずは南宮崎駅へ行き、そこからブラブラ市内を散策しながら宮崎駅に戻るというようにしたいと思います。

南宮崎駅前→
ここを右側(北の方角)に向かって歩きます。

すると大淀川の「大淀大橋」に辿り着きます→

轟音を響かせて橋を渡る電車→
私のとってもお気に入りの光景。

↓かわっぺりを歩いてみましょう

この左岸一帯は橘公園と呼ばれています。


川面で水鳥が羽を休めている姿を見ていると、とっても癒されるよな~。
ここでは平和という言葉しか思い浮かびません。

(337)宮崎県宮崎市役所

宮崎県庁
某タレント知事時代はとっても賑わったであろうこの場所も、今はひっそり(時期的にも当たり前だけど)。

橘通りを北方向に見る→

脇道に入ると、昭和30年代的な商店街を見つける→
「青空」とあるけど、真っ暗で薄気味悪い。
でも廃墟好きな私にはとっても魅かれる場所。
入って見てみたいんですけど今回はここに時間を費やせない。今度来る時まで是非残っていて欲しいなぁ。

バージニアビーチ広場→
ここも以前は「青空市場」だったらしいです。
何故「バージニアビーチ」なのか?
宮崎とバージニアビーチとの姉妹都市締結10周年を記念して名づけられたみたい。お役人が付けたのか、無難に収めたセンスのないセンス。

西橘通り→
きっと今頃はキャンプを張っている野球選手で大賑わいと思われ。

この通りにある運動選手ばかりの手形→

一番街アーケード→
この通りは「若草通りアーケード→広島通り」と名を変えて駅前に向かっていきます。

↓橘通りと高千穂通りとの交差点の宮崎駅方向



宮崎市の中心部。ちょっと東京っぽい。

交差点から大淀川方向の橘通り→

若草通りアーケード→

宮崎駅に戻ってきました→
以前登場しましたが、帯広駅と同じようにホームごとに改札が分かれています。
写真にある10時48分発の西都城行きで、いざ乗り鉄開始とな。

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