友だちが絶対いいから!とすすめてくれた映画です。
面白いです。理屈抜きに面白い作品です。みていて楽だし、なけるし・・・・女の子可愛いし…
・・・で、理屈っぽいところに入りますが…
可愛い女の子だなあ…俺も好きになっちゃうよなあ…なんて思っていたときに、グサッと、あの一言が突き刺さります。
ずっと付き合って結婚したとして・・・・あなた、朝鮮人になれるの?(せりふまちがってたらごめんなさい)
・・・・固まりますね。決定打です。朝鮮人になれるか…なれるのかなあ…
最後に、ももこさんは一緒についていく!と決心しましたが…その先どうなってしまうのでしょうか…あの北朝鮮に行くなんて!
そして、また考えます。日本にいる朝鮮の人たちは、まさに、自分で決心するとかでなく、強制的に、「あの日本に」連れてこられたわけで…そこでは考えられないような差別をうけてきたのだろうと考えるわけです。
朝鮮だけではありませんが・・・中国・・・アジアの人たちが、日本が国として行った蛮行、侵略のなかで日本が行った行為に対して恨みを持っているなかで、日本人として、その人たちの前に立てるのだろうか…
何にも知らないんなら、帰ってくれ・・・と主人公は言われてましたが、なんか、自分は偏見無く付き合える・・・なんてうわっついたことを考えていた自分に言われているようでもありました。
自分は朝鮮人にはなれません。日本人です。朝鮮人になる必要はないと思います。
ただ、日本人として、日本が何をしてきたのか、朝鮮や中国がどんな国なのか。それを知り、自覚して、向き合うことが大事なのではないでしょうか。
そのときにはじめて対等に立てるし、向き合うことができるのだと思うのですが…どうでしょうか。
あの質問の答えは、そういう結論でどうでしょうか。
思い出すのは、子どもの頃に、中国の女の子がいて、思いっきり偏見の目で見ていましたし、周りもそうでした。彼女は色々傷ついて生きていったのでしょうけれど…今どうしているのでしょうか…今、自分の傷でもあります。
韓国の子どもが学校にホッケーの試合かなんかできたときに「あいつらキムチの匂いがしてくさい」と言っていたのを聞いて、その言葉に同調していました。
逆の立場になったときのことを考えたことなんてなかったかもしれません。自分が直接的に差別を受けるような環境に身をおくことなんて考えなかった。
あなたは朝鮮人になれますか?と言う言葉は、深く深く自分の心に突き刺さってしまいました。
だからこそ最後の感動があるのでしょう。
国家という壁が、対立関係をつくっているように見えますが、それは本当は国民同士の壁ではないはずなんです。国家が壁を作っても、それを国民の壁にしてはいけません。つくられても、国民はその壁を壊さなければいけません。
なんてね。
考えずに楽しめて結局考えさせられた映画でした。
フォークソングが心に染みます。
2007-06-19
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2度目のパッチギ!です。
河を挟んで2つに分かれてしまった祖国。京都でも、日本と朝鮮で分断されています。
アメリカとソ連も対立していて、「対立」がどうにもならない当たり前に思える世の中で、「なんで対立をしなければならないのか・・・」「一緒になることはできないのか・・・」
朝鮮の女の子を好きになった男の子が純粋に疑問に思います。そして、純粋に、彼女に近づいていって・・心がつながっていきます。朝鮮の友達もできます。
しかし、無知なまま純粋につながっているだけではいけないことを思い知らされます。
あのキョンジャさんの「このままずっと付き合っていったとして・・・・・朝鮮人になれる?」という言葉の中には、それが込められていました。でも、そのときは、まだその言葉の持つ意味をわからなかったわけですね。
仲間が死んで、お葬式のときに「日本人にはこの場所にいてほしくない。日本人が自分たちに何をしたのかお前は知っているのか!?」という震えるような怒りの前に、言葉を失います。
「昔のことは何も知らないけど、差別はしてませんよ。同じ人間としてみてますよ」では、対等な付き合いはできないと思います。その人たちに起こったこと、日本人がしてしまったことときちんと向き合っていくことしかないと思います。
「朝鮮人になれるの?」という問いは、桃子さんのように、朝鮮の国の中に、1人で入っていく決意はあるのか、問われたわけです。朝鮮の人たちは、そういう状態を日本で味あわされてきたわけですね。
でも、これは分断の話ではありません。
悲しい過去にきちんと向き合って理解しあえば、必ず仲良くなれるし、そういう希望を持って若者は未来をつくっていくのです。
沢尻さん・・・やっぱりかわいいですね。