唐茄子はカボチャ

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この世界の片隅に

2020年01月06日 | 好きな映画・良かった映画
いくつもの片隅にを観て、気になってBlu-rayで見てしまいました。
「いくつもの」で、最初の流れがポンポン行って、カットしてるように感じたのは自分の気のせいでした。
「いくつもの」を観たあとだと、このシーンは、こうつながっていたんだ〜と、シーンの持つ意味がふくらみました。
りんさんの出番が少なかったことに驚きました。
りんさんの回想シーンの一コマも、最初の作品からでは、意味がわかりづらくて、もともと、もっとあったものを何らかの理由で削らなくてはいけなくて、それで出来上がったのが最初の作品で、大ヒットのおかげで、最初の構想どおりフルバージョンで出したのが、さらにいくつもの片隅にだったのかもしれないなあ…と思いました。

そして、あらためて、さらに…を見たときに、料理の工夫しているあたりは完全に寝てたこともわかりました。

ちょっと前にサンタさんって、いつ頃から日本で定着したのかちょっと気になったことがあって、もしかして、戦争が終わったあとかな?と思ってましたが、さらに…をみたときにサンタさんのかっこした人がいて(最初のとき気づかなかった)、戦争中も、クリスマスもサンタも一般的だったのかと思いました。

この時代の生活は、「戦争」で一括に考える傾向がやっぱりまだ自分の中にあって、サンタは敵性語で当時無いかもという思い込みがありました。ローマ字も出てきたり、ウエハーのついたアイスクリームだってそうですよね。当時の生活がどのようなものだったのか、じきと、場所で違うことをもっと考えなければいけません。関係ないけど、母べえでは、ガスコンロ使ってたのにおどろきました。

人の思い込みは、いろんなことを勘違いして記憶してしまいます。
あったはずの映像がなかったり…なんて言うのも、勘違いでした。
もう、マンガでみたからなのか、いくつもの…を見たからなのか、何がなんだかわからないですが、また観れば違う何かを感じるかもしれません。
この世界のさらにいくつもの何か

あらためて、この映画の中の戦争について考えました。ここにいる人にとって、最初は戦争は外のことで現実感はなく、空想の世界だったんだろうと思いました。鬼いちゃんの戦死も、まだ現実と遠いところの話に感じてしまっていて、石ころだけじゃ死んだなんて感じられない状態でしょうし。

空襲が激しくなってくる中で、初めて現実のものになり、戦争が大切なものを奪っていく。
原爆も落とされたときはまだ、現実とはかけ離れた認識でポカーンとしていて、だんだん何があったのかがわかってきて、そしてその現実が、すでに大切なものを奪っていたことがわかってくる。

お父さんとお母さんが原爆で死んだことも、話で聞かされるだけなので鬼いちゃんの死と、重なりますが、これまでの体験と破壊された広島をみて、空想でなく現実を目の当たりにする中で、妹の体験を想像しながら「早く来れなくてごめん」(?)という言葉につながっていったんですね。

最後に原爆のシーンで子どもを登場させて、現実の瞬間に何があったのかをちょっと見せる。(あそこだけすずさんのみた世界と違うことに気づいたけど)いろんなものが重なってきます。

多くのものを奪った戦争が終わり、また、大切なものを育む生活の始まりの予感で終わるわけですね。

座敷わらしがりんさんだったこと、最初に観たときに気づきませんでした。終わりのあの絵も、全然記憶になかった。今思い出したけど、なんの昔話が始まったのかな?程度に疑問符で終わってたような気がします。

また長々と…失礼しました。


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