唐茄子はカボチャ

映画と音楽と・・・

男はつらいよ 寅次郎頑張れ!

2014年08月30日 | 男はつらいよ・山田洋次
男はつらいよ 寅次郎頑張れ!

松竹

このアイテムの詳細を見る



第20作 1977年

ワット君とお姉さんとさくらさんが二階で話しているシーンは本当に切ないです。
寅さんのやさしさにお姉さんはとても信頼を寄せているんだけど、それと恋愛や結婚は違うということでしょうか。
でも、本当はそうじゃない気がしてなりません。若い時の恋愛ははっきり分かれるような気もするけれど、なんというのでしょうか。もっと、まったりとした関係で築いていく愛情がある気がしました。
そういうお互いに心を寄せる積み重ねのプロセスを実はワット君が壊したとも思えました。
寅さんがお姉さんを好きで、それでよかった。お姉さんは寅さんがいてくれると、安心する。
ワット君は、寅さんの恋心を利用しているように見えるお姉さんが許せなくて、寅さんに申し訳なくての行動ではあったのだけれども。

寅さんが盗み聞きして自分から引いて行ってしまう結果になったけれども、寅さんがそれを聞かずにそのまま一緒に長崎に帰っていたら展開は違ったものになったのかも。いや、それは、ワット君が許さない。お姉さんもあんなことをワット君に言われたら寅さんとどう接すればいいかかわからなくなるかもしれません。でも、それがきっかけで意識するようになるのかもしれないし。どこでどうなるかわからないんですけどね。
寅さんのやさしい気持ちをまっすぐに受け止めてくれているお姉さん、寅さんの気持ちをワット君に傷つけられて寅さんのために涙を流してくれるなんて、いいお姉さんです。寅さんに対してもそうかもしれないけれど、ワット君の生意気ぶりに腹が立ったのもあるんでしょうけどね。

さくらさんは言います。恋愛感情はなくても、藤子さんの寅さんへのその気持ちを知っただけで、兄は満足だと。
寅さんは、そういう男じゃないけれど、やっぱりそういう男でもあるんでしょうね。人間は複雑な生き物です。
ふられたからって、その人への愛情が成就しなかったとしても、やっぱりその人に対する思いやりの気持ちというものは持ち続けることができるわけですからね。

今回も景色がいいですね。
長崎。平戸。ここも行ってみたいです。


//////////////////////////////////////////////////////////////////


ワット君が田舎に帰ってしまったことを知ったときの大竹さんの涙にこっちも泣いちゃいます。
そして最後のところのワット君とお姉さんとさくらさんの会話・・・それを聞いてしまった寅さん・・・泣けるシーンです。

寅さんは心のきれいな人なのよ・・・というところがいいですねえ・・・でも、寅さんは、そこで立ち去ってしまうから、藤子さんとの関係はそこで絶たれてしまいます。
自分だったら、本当に一緒に暮らして、将来は所帯を持ちたいと思ったら、あのまま家に残って藤子さんの帰りを待って、チャンスをうかがうのにね。寅さんはそんなこと考えないでしょうけど・・・

2008-11-26

//////////////////////////////////////////////////////////////
寅さんは、とらやにいるとダメなんですねきっと。
人の喜ぶ顔を見たい、頼りにされたいという思いはすごい強いから、素敵な女の人の前では大真面目に働いてしまうんですねえ・・・
労働意欲って案外、誰かに喜んでもらったとか、頼りにされたとか、そういうことを望むところからくるのかも知れません。
寅さんは本当に人に喜んでもらうことがすきなんでしょう。

だけど、とらやに戻ると豹変します。それは、みんなが寅さんを甘やかすからなんだろうね。日ごろつらい生活をしている寅さんにとっては、たまに帰ってぐうたらしちゃうのもわかるし、それに対してとらやさんのひとたちも、そんな寅さんを優先してしまうのもわからなくもない。でも、結果的にそれは、寅さんをとらやにずっといてはいけないと思わせてしまうことなのかもしれません。なんて、そんなこと、描かれてませんが・・・

寅さんはたしかにお姉さんに「惚れてるバイ」なわけですけど、寅さんは相手に対して自分と同じように惚れてくれることをねがっているのでしょうか。・・・そりゃ、そうなればいいと思ってるけど、あのお店に居着いてしまうのは、自分がいることでお姉さんが喜んでくれ、頼りにしてくれて・・・それ自体が寅さんの喜びだったのではないでしょうかね。

お姉さんの、「寅さんはそんなちっちゃい人じゃない。もっと心のきれいな人なのよ」みたいなセリフは、ただ鈍感なお姉さんということではなくて、寅さんの深いところをみててくれたのかもしれません。

藤子さんが性格が良くてよかったです。
大竹しのぶさんもかわいいですねえ・・・しかし、あの方言のところとか、すごいです。役者ですね。

2008-01-26

被爆アオギリと生きる―語り部・沼田鈴子の伝言 (岩波ジュニア新書) / 広岩 近広

2014年08月25日 | 
被爆アオギリと生きる――語り部・沼田鈴子の伝言 (岩波ジュニア新書)
広岩 近広
岩波書店
9

ヒロシマの被爆体験を語り続けた沼田鈴子さんの活動について書かれています。

被爆の体験をただ語るというだけでなく、沖縄やアジア、アメリカの戦争の被害者に向き合うことで、自分が若い時、何も知らない軍国少女だったと反省し、加害者としての日本の立場をしっかりと基本に据えているところがアジアやあめりか、ヨーロッパでの共感の土台にあると思いました。

韓国の被爆者の実態、重慶爆撃やマレーシアでの残虐行為。沼田さんの海外活動がまず日本の犯したことを自覚するたびになり、そのことと向き合うことで被爆体験が深く伝わっていく。そんな気がしました。
原発や、戦争をする国にしようとする動きにも声を上げたたかってきた人でした。

沼田さんがまいた種は世界に広がった被爆アオギリのように、世界を変えていったような気がします。沼田さんだけではありませんが、世界の核兵器廃絶の流れも、こういった多くの被爆者や平和を願う人々の地道な活動が大きな影響を与えている気がします。

気がする。気がする。


男はつらいよ 寅次郎と殿様

2014年08月24日 | 男はつらいよ・山田洋次
男はつらいよ 寅次郎と殿様

松竹

このアイテムの詳細を見る


1977年 第19作

真野響子さんがとてもきれいです。
控えめそうな人なんだけど、寅さんやさくらさんに会うと、本当にうれしそうに喜びを表現してくれます。
寅さんの一人で舞い上がっているのがとてもイタいのですが、これって、誰もがズキッとするところで、そんな無様なところが自分に返ってくるので、みていられなくなってしまいます。寅さん以外は、そうなればいいけれど、そうならないだろうことは薄々感じているわけで、だから、その寅さんの浮かれっぷりが見ていられなくなってしまうでしょうね。
寅さんがふられた後に庭に出たさくらさんの表情がいいんですよね。寅さんの気持ちを思うと、さくらさんもつらいんですね。
ふられた後の寅屋の食卓はどうなったのかもちょっと覗いてみたかった気がします。

御前様の元気な姿がみれてとてもうれしかったです。

あと、景色がやっぱりいいですね。最初の駅の「しもなだ」がとても素晴らしい。海岸線に沿って線路が続いてるんですね。乗ってみたい電車です。大洲の風景がとても懐かしい風景です。今もそのまま残っていればいいけれど。行ってみたいなあ…冬に行ってみようかな?

.............................................................................................................................


殿様の手紙が寅さんに変な期待をさせてしまって・・・でも、やっぱりそう簡単にはいきませんね。

相手はどんな人なの?というところで言い出せないのが悲しいところです。その事実を知ってしまったら、真理子さんはどういう反応をしたのだろうか・・・
2008.11.24.

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

お殿様役の嵐寛寿郎という方、鞍馬天狗をずっとやっていた方らしいです。それで最初のところの鞍馬天狗になるんですね。

警察官の役のひと、ほんのちょっとしか出ないですけど、寺尾あきらさんですね。

それで今回のマドンナさんは、真野響子さん。きれいですねえ・・・愛嬌もあるけど、上品さもあって・・・いいですねえ・・・

寅さんの歌、「泣くな嘆くな影法師~♪」というのは初めて聞きました。3番まであるんでしょうか。

犬のトラが人懐っこくてかわいいんだけど、そのシーンでもう終りなのかな?
「そろそろ帰ってくるころだな?」「ポチかい?」っていうやり取りが面白いです。さりげないそういう会話が面白いですね。それがすごく自然で・・

おばちゃんがいいです。

でも、こいのぼりはそのままつっときゃいいのに。外から見えなかったのかな?なんて思ったけど、「どうだい?庭のつつじは」「咲かない!咲かない!」っていうおいちゃんの全否定も面白い。
そういう場で必ず登場するたこ社長も面白い。いわゆる「KY」だけど、いちばん「KY」は寅さんですよね。

(2008-01-23)


対馬丸撃沈から70年

2014年08月22日 | ほか
犠牲者1400人の冥福祈る=対馬丸撃沈70年で慰霊祭―沖縄(時事通信) - goo ニュース
対馬丸の犠牲者慰める 「小桜の塔」遺族ら450人参列(琉球新報) - goo ニュース

対馬丸撃沈 きょう70年(沖縄タイムス) - goo ニュース

対馬丸撃沈から70年、450人が追悼 那覇で慰霊祭(朝日新聞) - goo ニュース

たまたま録画していた対馬丸のドキュメントを観ました。今日が70年目のその人は知らずに。

ドキュメントはNHKで放送された「対馬丸 消えない傷~沈没70年目の告白~」という番組でした。

その中で、最近になって、当時のことを語る人や当時のものを寄贈する人が増えているという話の中で、今の社会の状況の中で、また繰り返されるかもしれないという不安があることを話していた人がいたことが印象的でした。

母と妹を亡くした方は90歳になった今でも自責の念にとらわれていて、母のことは今でも話すことができないでいます。ただ、自分が船に乗らなかった。それだけのことが一生の傷になっています。

教師をしていて生き残った方は、生き残ったことが申し訳なくて、子どもたちを死なせてしまったことが遺族に申し訳なくて、沖縄に帰らずに栃木県で人生を終えました。

生き残った人は自分がなぜ生き残ってしまったのか、ずっと苦しみ続ける。自分の責任じゃないのにそれでも、自分の責任だと思い込んで。それは理屈じゃないんでしょうね。目の前で死んでいくのをただ見ているしかないというのは、それだけで自分の責任になってしまうのでしょう。体験した人にしか、この気持ち・・・というか、もう、傷に刷り込まれた感覚なのでしょうけど、それは分かるわけがないわけで、周りが、戦争が悪いとかなんだかんだといっても、それは慰めにも何にもならない気がしました。

そういった人たちが思うことは、戦争は2度としちゃいけない。あんな思いを2度としたくないしさせたくない。ということ。だから、今の社会の変化の中で、そういう人たちが敏感に戦争に向かっていく空気を感じ取っているのだと思いました。

アオギリにたくして (徳間文庫)

2014年08月20日 | 
アオギリにたくして (徳間文庫)
クリエーター情報なし
徳間書店
8

映画を観てその場で本を購入、さっき、読み終えました。
映画にはなかった場面なんかもあって、良かったです。
原爆の恐ろしさは、強力な爆風や熱線だけでなく、放射能だけでなく、街を家族を人間を将来にわたって破壊し続けることだと感じます。そんな田中節子さんとその妹さん、お父さんお母さん、婚約者とその母、いろんな人の人生がこわさていくわけです。

だからこそ、アオギリのようにしぶとく生き抜いて、語り部として原爆に正面から立ち向かう姿が感動的でした。永遠のゼロと同じように、現代の若者が過去を調べていくという形をとっていますが、永遠のゼロの薄っぺらさとは違って、主人公の心境の変化をきちんと描いていると思いました。


アトミック・カフェ

2014年08月20日 | 映画 あ行
アトミック・カフェ [DVD]
クリエーター情報なし
竹書房


アメリカが核兵器をどのように扱ってきたのかが良くわかります。
核兵器に対する認識の甘さ。核抑止力という、観念的な安全神話。核兵器をつくり使用したことに神に感謝までしてしまう。
朝鮮戦争で核兵器を使うかもしれなかったことに今更ながら恐怖を感じました。そしてビキニの核実験(ゴジラを倒すためのものだったとは!!)でも3たび日本人を被曝させ、周辺住民も犠牲にして、多くのアメリカ人自身も犠牲になっているのに、それでも、正義のために、国を守るために核兵器に固執する。

核兵器廃絶を本気になって取り組むには、核兵器の本当の姿をきちんととらえなければいけないと思いました。爆弾の大きいやつといった、そういう延長線上でとらえてはいけない。

と、そんなこんな考えましたが、今回みたのは2度目で、前ほどの印象はなかったのが正直なところです。でも、そんな中、最初のところで思わぬ映像が飛び込んできてびっくりしました。

広島の被爆者の映像の中に、この前みた「アオギリにたくして」のモデルとなった、沼田鈴子さんが写っていたのです。着物を着て切断されてなくなってしまった足を見せている映像。まさに、それが映っていました。
10フィート運動の映画って今どうなってるんでしょうかね。

映画の話に戻りますが、今回あらためて見て、アメリカが核兵器をどう扱ってきたのかはわかりますが、日本人だからこそ、そのひどさに気付くというのもあるかもしれません。この映画自体も、核兵器の本質(自分がどこまで知ってるかはとりあえずおいといて)の部分まで突っ込んでいるかというとそうでもなくて、とりあえず、変な認識の甘さは取り除いたけど、その入口のところからちょっと中を覗いたところまでで終わっています。テーマが違うんですね。

最後の爆発のシーン、もっと激しくても良かったし、それこそあのあとにヒロシマナガサキの被爆者の映像をずっと映して終わっても良かったのではないかと思いました。

さくら隊散る

2014年08月17日 | 映画 さ行
さくら隊散る [DVD]
クリエーター情報なし
角川書店


目黒に慰霊碑があるとか、さくら隊の話はなんとなく耳にしてきましたが、こうやって一人一人の役者さんのことや縁のある人のインタビューなどを観たのは初めてでした。

戦争によって演劇界も、国策に利用されていく。そして移動演劇として各地を回るわけですが、宇野重吉さんが証言者として出てきて、何でも、このインタビューが最後の映画出演になったとのことでしたが、宇野重吉さんのそれでもお上に逆らってやるという心意気がすごかった。でも、それでも赤紙には従わざるを得なかったと言っていました。

そんな時代。さくら隊の人たちも広島を拠点として各地を回っていたわけですが、8月6日に、広島で被ばくして全員が亡くなってしまいました。被ばくしてその場で亡くなった人、炎とがれきの中を逃げ出してそれぞれ逃げ延びた人たちもその後の原爆症でなくなります。
数十万という犠牲の中の数人の死。その背景をみていくと、それこそその数十万の人生が狂わせた原爆の恐ろしさが見えてきます。そして、そんな恐ろしいものを、アメリカの側では計画から実行まで淡々と進んでいくわけです。その冷静さが恐ろしい。

8月6日、8時15分に迫っていく時計の秒針の音がコツコツ音を立てる中で、みんなが普段と変わらなく朝ご飯を食べているシーンはとても苦しくなります。


無法松の一生 [DVD]
クリエーター情報なし
角川書店

さくら隊の園井恵子さんという方は、この無法松の一生に出演しています。宝塚出身だそうです。

ヴァロットン展

2014年08月15日 | 博物館・美術館・資料館
三菱一号館美術館でヴァロットン展を観てきました。
この美術館、とても雰囲気があっていいですね。
それでヴァロットン展。
心の闇とか、心がない人とか、人間の不安や狂気に、気づいてはいけないような、でも、実は気づいてるのを隠してるだけのような、不思議な空間でした。

絵の説明で、「事件の目撃者、または共犯者になる」みたいなことが書いてありましたが、後ろ姿が多いので、振り向かれたら、「み~た~な~」といって包丁もっと追いかけまわされそうで、みても見ないふりをしなくちゃいけないような作品な気がしました。

GODZILLA

2014年08月15日 | 怪獣映画 ウルトラマン
ゴジラ (角川文庫)
クリエーター情報なし
KADOKAWA/角川書店


映画見てきました。あまりにもひどい設定に悲しくなってきました。
ビキニの実験は実はゴジラを倒すためって、そのせいで被ばくした多くの人たちをなかったかのように描いてしまうとは。こんな歴史の改ざんは南京大虐殺はなかったとか従軍慰安婦は強制じゃなかったとか言ってるのと同じな気がしました。

あまり期待はしてなかったけれど、リアルに動いているゴジラを見てみたくて劇場に足を運んでしまったわけですが、ゴジラがカッコ悪いとか、話がくだらないとか、それは、まあ、許すとしても、ビキニを正当化するという馬鹿なことをやってしまったおかげで本当にくだらない映画になってしまいました。怪獣対戦の映画なら、それだけで単純にすればいいのに。変なこじつけいりません。

生物が均衡を保つというのなら変な怪獣の出現自体が原発に固執している人類…というか、日本にとって救世主だったかも。

これに出演している日本人はアメリカに尻尾を振っている犬に見える。

しかし、これがゴジラだ!なんて浮かれてる人もいるのが現実です。どれがゴジラでもいいんだけど、一作目で描かれた作り手の思いは、歴史を正当化するアメリカ人とそのアメリカに尻尾を振る日本人によって、ぐちゃぐちゃに踏みつけられてしまいました。

アメリカの役者は、もうちょっと日本語を練習してから芝居してほしいもんです。

途中寝ちゃって、ゴジラの咆哮で起こしてもらいました。

芹沢博士って何博士?怪獣博士ですか?

General cleaning

2014年08月13日 | ありがたいお言葉
昨日今日と大掃除。
途中マンガ読んじゃったり、甲子園観ちゃったり、鼻がむずむずしてくしゃみ連発したり、頭が痛くなったり、いろいろありましたが、明日には庭まで何とか終わらせたいです。
というわけで、ふと、大掃除って英語でなんて言うのか気になったのでネットでしらべました。「General cleaning」だそうです。ネットって便利ですね。

アオギリにたくして

2014年08月09日 | 好きな映画・良かった映画
映像がテレビドラマのようで、違和感がありました。あと、イタイ演技があるのも気になりましたが、それは、エンドロールで○○のみなさんとか書いてあったうに、素人さんがやっていたからかもしれません。
主人公の女の子が語り部の妹さんと食事をするシーンでは2人が食べる量とは思えないおかずがテーブルに並んでいたり、お父さんがなくなるシーンでは、お医者さんの部屋かと思うくらいきれいな部屋だったり、アオギリのシーンでおめでとうという意味不明なエヴァかよと突っ込み入れたくなるシーンとか、若かりし日の妹さんのじっと見つめる表情がなんかよからぬことを考えていそうだったり、後をつけるのも、もうちょっと遠くにいないと見つかっちゃうよ!って感じとか、結婚を約束した人の髪の毛とか、前かがみになるところの胸の谷間とか、不良とのエピソードとかそういうところが気になったりもしました。なんか雑念だらけですが。

それはそれとして、内容がとても重くて、ずっと顔がびしょびしょになってました。原爆はその時の爆風だけでなく、生き残った人たちのその後の人生も狂わせてしまうものなのだと、あらためて感じました。それは、今でも続く後遺症の問題だけでなく、家族や社会、人間を壊すものなんですね。
峠三吉の「人間をかえせ」が心に残ります。

イタイ演技のことを書きましたが、実は、グッとくる演技もありまして、最後、新幹線に乗り込むときにもう一度振り返って両手を広げて抱き合う時の表情は別れるさみしさとか愛情とか甘える感じとか、いろんな感情にあふれていて素敵なシーンでした。
キスした後に足を見ようとするシーンとかもよかった。

菅井玲さんっていうのかな?ちょっと硬い感じもしたけど、その硬さが好きです。
風見しんごさんはあまり好きなタレントじゃなかったんですけど、この人のお父さん役が意外とはまっていて、とても良かったです。原日出子さんとか、おばあちゃんの人とかもとってもいい表情するんですよね。

役者さんをはじめ、作り手さんの良心が作り上げた映画だと思いました。

日本にとってこの季節は平和を思い返す季節ですが、最近はあまり考えてきませんでした。戦争が現実的になってきている中で、平和のことをもう一度ちゃんと考えなければ。核兵器についても、もう一度考え直さなければと思いました。

1986年(昭和61年)3月7日 衆議院予算委員会

2014年08月07日 | ほか
NHKスペシャル「水爆実験の真実~ヒロシマが迫る埋もれた被ばく~を見ていて、当時のビキニ環礁水爆実験で漁船の乗組員の身体の被ばく調査を政府は明らかにしなかったことが出されて、1986年3月7日の予算委員会で高知県選出の議員が質問したといってたので、調べてみたら、やっぱり共産党の国会議員でした。以下、議事録です。

○山原分科員 昭和二十九年、一九五四年に起こりましたビキニ環礁における水爆実験の問題についてお伺いをいたします。御承知のように、これは三月一日から五月十四日まで、ビキニ、エニウェトク環礁で六回実験が行われております。多くの漁船及び船舶がこの際に被爆をいたしております。
 そこで、最初にお伺いしたいのですが、当時日本の船舶が大体何隻被災したか、また当時のいわゆる被爆マグロ、随分大きな問題になりましたが、どの程度投棄されたか、さらに久保山さんが被爆されまして亡くなりましたが、久保山さんのほかにビキニ被爆によって何名の方が亡くなったか、また当時政府がつかんでいた被爆者の身体検査をした者は何名か、また当時の入院先あるいは乗組員のリスト、こういうものが現在存在しているかどうか、こういった点について最初にお伺いしたいのですが、三十一、二年前のことですから私も実情はわかっています。でも、一応お伺いをしたいと思います。きょうは水産庁、厚生省、お見えくださっていますから、どちらからでも結構ですが、一言簡単に御説明いただきたいのです。

○小野説明員 ただいまの先生の御質問についてお答えいたします。
 昭和二十九年にマーシャル群島周辺におきまして行われましたアメリカの核実験にかかわる漁船等に関する資料につきましては、何せ本件が大分
前のことでございますので、水産庁においては残念ながら現在のところ手持ち資料はございません。

○北川政府委員 先生お尋ねの廃棄をされたマグロの量でございますが、約五百トンと承知をしております。

○仲村政府委員 昭和二十九年の水爆実験による第五福竜丸のことにつきましては、当時も非常に大きな事件として報道されたことで私ども承知してございますが、それ以外のビキニ環礁の近海で操業をしておった漁船はいたと承知しておりますけれども、その実態、数字について私どもつかんでおらないわけでございます。
 第五福竜丸に関しては、二十三人の方がそれぞれ東大病院、当時の国立第一病院等に入院されたということを承知しております。

○山原分科員 実態がわがらないのですね。率直に言ってそうだと思います。当時は御承知のように世界を震憾させた大事件になりまして、連日大騒ぎをしたわけですね。そのときに政府におきましては原爆被害対策協議会というものを構成しております。恐らく政府全体としてそういう対応の組織を持ったと思います。厚生省からいただいた資料の中にそういう言葉がありまして、厚生省の方は恐らくそのうちの幾つかの部門を担当したのかもしれませんが、原爆被害対策協議会食品衛生部会というのがいただいた資料の中に出てきますから、恐らく幾つかの部会があったのではないか、それで対応したのではないかというふうに思いますけれども、今水産庁、厚生省からお話がありましたように、実態がつかめないということですね。
 それで、時間の関係がありますから私の方から申しますが、実は昨年は広島、長崎の被爆四十年ということで、実は私どもの調査では、約八百隻の漁船、船舶が当時ビキニ環礁地域で操業いたしております。そしてその中で、これは私の県に関係があるわけでございますけれども、二百七十隻が高知県のカツオ・マグロ漁船でございました。したがって、この問題について私どもの県の学校の先生方あるいは高等学校の生徒あるいは科学者、医師等が一緒になりまして調査を始めたわけです。あのときに被爆した人たちがどうなっているかというのは、これがこういう膨大な資料として今作成をされているわけです。
 これによりますと、当時どういう状態かと申しますと、高知県で当時被爆した方が十四名、これは死亡した方が十四名になっております。これがすべて被災によるものかどうかの因果関係はもちろん正確には言えませんけれども、いわゆる個別調査をやる中でこういう事態が起こっているんですね。
 ちょっとその例を申し上げますと、高知県の第二幸成丸は、三月一日に実験が行われまして、三月五日に危険水域に突入し、第二、第三回の核実験、これは三月二十七日、四月七日に行われておりますが、この間危険水域近くで操業いたしております。その後、漁労長が腸がんで死亡、一等機関士は心臓麻痺、操機手は糖尿病で急死をいたしておりまして、いずれも体がしんどいと訴えながら、仕事中に周りの人が気づかぬうちに死亡するという事件が起こっております。
 また、当時マーシャル諸島で操業中の第二新生丸、これは乗組員十九人のうち七名が亡くなっておりますが、そのうち多くの人は大腸がん、喉頭がん、脳腫瘍で亡くなっております。この中の現在生存中のAさんの例を見ますと、白血球の異常減少が現在も続いております。
 さらに、痛ましい話ですが、室戸岬水産高等学校の生徒のT君というのがおりますが、彼は練習船第五大国丸に乗りましてカツオ漁に出ておりましたが、帰港後白血球が急減をいたしまして、高熱、鼻血に苦しみながら二十一歳で亡くなっております。
    〔野上主査代理退席、橋本(龍)主査代理着席〕
 こういう例を一つ一つ見てみますと、私の県だけで実に十四名。そこで全国的にどういう情勢かということを見てみますと、第五福竜丸で久保山さんが亡くなりましたが、同船の川島正義さんが五十年に亡くなっております。また引き続いて五十四年に増田三次郎さんが死亡しておりますが、これは放射能の影響が尾を引いたのではないかと言われております。そのことは、この船が所属しておりました大都魚類株式会社の三十年史の中に載っているわけでございます。
 さらに、第五福竜丸と同じく行動しておりました第五拓新丸の一乗組員、これはビキニから大体千六百キロで被爆をしておりますが、六十一年九月二十七日に貧血、急性骨髄性白血病で入院をいたしておりまして、十二月十一日に死亡いたしております。
 第七京丸、五十四年四月に大阪に帰港しておりますが、四月六日にビキニから千五百六十キロメートルで被爆をいたしまして、船長は白血球三千五百以下、乗組員全員二十一名が放射能症になりまして、白血球の激減が見られております。
 貨物船神通川丸、これはビキニ北西の千二百マイルで被災をしておりましたが、五十四名全員放射能症、全員頭痛を訴えております。
 さらに、政府が派遣しました調査船俊鶻丸、これは当時有名になった調査船でありますが、これも肝臓障害が続出をいたしております。
 さらに関西丸、これはビキニから二千マイルで被災をいたしまして、船長は再生不良性貧血で死亡いたしておりますが、そのお骨の中からストロンチウム90が普通の人の十倍以上検出されたことが報告をされております。
 また弥彦丸、これは南太平洋のマカチア島から燐鉱石を運んで岡山県玉野に帰る途中ビキニで被爆をいたしまして、平三義さんが原爆手帳を申請しましたが、原爆手帳は広島、長崎に限るということで、彼は自費で肝臓障害、慢性腸炎の治療をしておりまして毎日安静の日を送っているというのが現在の実情でございます。
 その後、朝日新聞の調査によりますと、死亡十名、そのうち八名が病死ですが、うち四名は胃並びに大腸がんなどによって亡くなっておりまして、生存者の三分の二が何らかの健康障害を訴え、六名は現在も入通院、療養中となっております。これらの方は、大半の人が国による健康調査をやってほしいと望んでおることが報告をされておりまして、ビキニの悲劇は今もなお終わっていないというのが現在までの調査の結果でございます。
 そこでお伺いしたいのですけれども、これらの大事件について、確かにその後資料が散逸をしたりあるいは追跡調査が行われていないということはわかるのですが、私は実は、所管は科学技術庁ではないかとかあるいは水産庁ではないかとか、厚生省ではないかとかいうことを伺いまして、それぞれ係の方においでいただきましたけれども、この真相をつかむことができないのです。けれども、これは放置できる問題ではないと思っております。したがって、これらについて、時間の関係で要約して申し上げますけれども、今までの調査されたことあるいは当時の書類、これなどを整理いたしまして、さらにそれに基づきまして、現在病苦に呻吟をしておる方たちがおいでになるとするならばその健康診断等そういう対策を一応立てる必要があるのではないかというふうに思うわけです。
 これは私として要請でございますけれども、考えましてもこれはどうも水産庁でもなかろう、あるいは科学技術庁でもなかろう。きょうは科学技術庁にも聞いていただぎたいということでお見えいただいておると思うのですけれども、どうもやはり厚生省の仕事ではないかなという感じもするわけです。あるいは総理府かもしれません。
 その意味におきましてこれは大臣にお伺いしたいのですけれども、これらについて一応統括をして、何らかの対応できる体制をぜひとっていただきたいというのがきょうの質問の趣旨でございますけれども、この実情を御勘案くださいまして、ぜひそのことを実現していただきたいと思いますが、この点いかがでしょうか。

○仲村政府委員 ただいま所管の問題にも触れられましたけれども、第五福竜丸のその後のフォローアップは、おっしゃいますように科学技術庁の放射線医学総合研究所、放医研で引き続きやっておるようでございます。したがいまして、私どもが昨日御質問いただいた後でいろいろ資料も調べましたけれども、なかなか見つからないという実態もございますので、新たに調査をするということはなかなか難しい面もあろうかと考えておるところでございます。

○山原分科員 これは実は、当時日本国内でアメリカに対する賠償要求の問題が起こりまして、アメリカはつまり二百万ドル、七億二千万円の金を出したのです。ただそれの配分について随分問題がありまして、その経過は言いませんけれども、とにかくその金は不十分だけれどもこれで一応決着がついたということで、その後は政府の方も打ち切りというような形になってしまいまして、結局被災をした人の身体検査とか追跡調査であるとかいうことは全くしない状態です。
 当時、ビキニの事件が起こりましたときに検診を受け、被爆の疑いをかけられた人が相当ありました。それがその後検査を受けたり継続検査を受けたことはほとんどないというのが実情でございます。政府としては、多少の被害を受けたと思われる船員については健康診断など全く行っていないという状態が今日まで続いておるわけでございまして、調査してみますと、最初の検診以後にいろいろの障害が起こっていることが明らかになっています。これが原爆症の実情でして、ビキニ環礁における島の人たちの状態もそうでありますし、そういうことを考えますと、あれだけの大問題、その後遺症がないとは言えないと思うのですね。
 これについてはやはりそれなりの政府としての対応が必要だと思います。局長は今そのようにお話しになりました。第五福竜丸の問題は確かに大きな問題になりましたからね、これはもう突出してその対応はとられたと思うのですけれども、そのほかの、当時検診を受けた方々についても、やはり現在もなお苦しんでいらっしゃるということになれば一応の体制をとる必要があると思うのです。これは厚生大臣にも御見解を伺いたいですね。いかがでしょうか。ぜひよろしくお願いしますよ。

○今井国務大臣 第五福竜丸乗組員以外のビキニの水爆実験によります被爆者の状況については今のお話のようなことでありますが、何分もう三十年以上も前のことでありまして、調査もこれ難しいと思いますし、現時点でその対策を講ずるというようなことは私はちょっと考えにくいと思います。

○山原分科員 そんなに突っ張らないで、これは当時の資料が全くないわけではありません。例えば東京大学の加藤総長がビキニの大論文を発表しまして、これが世界じゅうで大問題になったのですよ。そして、アメリカもついに賠償金を出さざるを得ないところへ追い込んだそういう学術書、あるいは俊鶻丸の調査結果とかあるいは病院におけるカルテであるとかいうようなものが全くないわけじゃありません。したがってこれは私は厚生行政の一環だと思いますよ。だからそういう意味で、現実にそういう問題があればやはり厚生省の方において何らかの対策が立てられる、あるいはそれに対する対応の係を置くとか、こんなことできないはずはないというふうに思うのですが、いかがですか。

○仲村政府委員 ただいま大臣からお答えいただきましたような状況だと思いますが、先ほどいろいろの病気にかかっておられるというお話もございましたけれども、三十数年前の水爆の灰による被爆と現在の疾患の因果関係というのは私どもとしては定めるのが医学的に見て非常に難しい面もあるのではなかと思いますので、そういう今おっしゃいますような形での施策というのは非常にとりにくいのではないかと考えております。

○山原分科員 私は、この問題はこれからも政府の態度について質問していきたいと思っておりますから、きょうは最初にこれをやったのです。何年かこの問題を取り上げられておりませんから。だから頭の中へ入れておいてください。少なくとも今井厚生大臣の関心を要請いたしたいと思います。そして、少なくとも厚生大臣の頭の中の一つの検討の課題として残しておいていただきたいと思いますが、その点よろしいでしょうか。

○今井国務大臣 きょうお話を承りまして、これは議事録もちゃんと残ることでございますから、メンションいたします。

○山原分科員 最後のところが聞こえなかったのですが……。

○今井国務大臣 英語を言って済みません。議事録も残ることでございますから、十分注意して後でフォローいたします。