唐茄子はカボチャ

映画と音楽と・・・

かぐや姫の物語

2020年01月11日 | 好きな映画・良かった映画
久しぶりの鑑賞となりました。観るのがなんとなく重くて。
成長する過程の中で強烈に感じる性。生きることと性というのがイコールのように感じます。たけのこの体から性があふれてる。

ところが、都に入ると、それがぴたっと止まります。生きるエネルギーを抑えられてしまいます。
まわりのかぐや姫への見方が、かぐや姫を苦しめます。「女の幸せとは…」金と権力が物を言う男社会の中での女性のあるべき姿。

本来の生きるエネルギーをおしころし、顔をぬりたくり、きれいな服で着飾り、いろんなスキルを身に着け、身分の高いものにお嫁に行くことが最高の幸せと言う価値観にいよいよ追い詰められたとき、この世界を嫌いました。

そして、自分が憧れていた、そしてそこにあった、生きる喜び。あらためて気づいたときには、月に帰らなくてはいけない。

月のモノクロの、心ざわめくことのない、無の世界(?)に戻るとき、振り返ったときに映った地球の姿。かぐや姫にはどのように映ったのでしょうか。

今回みて、アルプスの少女ハイジが重なってきました。
大自然でのびのびと楽しく暮らしたたけのこが、未練を残しながら大都会へ。そこで心を病んでしまう。やはり、彼女にとっての心の故郷は、生命があふれる山々だったり、友達だったり、あたたかい家族だったりするわけで、そういうところが重なりつつ、ハイジが嬉しそうに服を脱ぎ捨てていくのに対して、怒りを獣のように走りながら脱ぎ捨てていくかぐや姫。そんなのを重ねると、教育係の人は、まさにロッテンマイヤーさんだなと思ったり、なかなか面白い関係です。

青い地球…今まで、いくつもの人生が、その時の社会のために犠牲になってきたのか。その重なりの上に今の到達点がある。そして、これからも、そういった犠牲の重なりの中で、人間の意識は発展していくのだろうと、考えました。
月は、時間も思考も何もかもがフラットになって発展もない世界のように感じます。

そして、実は人間の意識なんて関係なく、この地球の生命の営みは、激しく、優しく、美しく回転し続けるのだろうと感じました。

そんな話だった?


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