唐茄子はカボチャ

映画と音楽と・・・

崖っぷちの男

2012年07月22日 | 映画 か行
Man on a Ledge/崖っぷちの男[日本語字幕無][リージョンA]
クリエーター情報なし
メーカー情報なし


飛び降り自殺かと思わせといて、計画は着々と進んでいきます。柵も何もないところで立ってるだけで怖そうでしたが、その怖い感じがだんだん薄れてくるのがもったいなかったです。最後の方は、バンバン飛んじゃったりして、今までの積み重ねを全部吹き飛ばしてしまいました。

女の人とのやり取りは良かったけれど、でも、後で考えると結局女の人は利用されてただけな気もしちゃいました。女の人の寝起きのシーンは素敵でした。ほかも素敵ですが。特に寝起きが良かったです。

弟たちのほうも最初は盗みの素人っぽさが良いと思ったけれど、なかなか話が進まないのでどうでも良くなりました。

最後のドタバタ感はちょっといやでした。

ああいう計画しかなかったのだろうか・・・後で考えると気になります。

フォーン・ブース

2012年07月22日 | 映画 は行
フォーン・ブース [Blu-ray]
クリエーター情報なし
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン


崖っぷちの男を見てなんとなく観たくなりました。
狭い場所で物語が展開するところが共通してるから連想したんだと思います。自分的にはこっちのが好きです。比べるものではないですが。

動いてはいけない、自分を殺そうとする相手が誰かもわからない、自分の知られたくない恥ずかしい面をみんなにさらけ出さなければいけない、いろんな怖さがあって、最後に奥さんに告白するところは泣けてしまいました。
しかも、最後にまた驚かされたし。

結局犯人の本当の目的ってはっきりとはわからない気がするけれど、なんかわからないのに命を狙われるって、かなり怖い。

不幸なのは殺された2人ですね。

犯人の声がちょっとわざとらしい違和感がありました。みんな屋外っぽい声な中でひとりだけナレーション的な声でした。室内だからといウことなんだろうけど、なんか電話の先の声の様には感じませんでした。
他の暗殺された人と比べて主人公はかなり小物なのも、なんで?って感じですが。なんか、隙があるのか隙がないのかよくわからない犯人でした。
分割の映像は好きじゃないです。
女優さんも微妙。

・・とまあ、いろいろありますけど、スリルを味わうというところでは面白く観れました。

キング・オブ・キングス

2012年07月15日 | 映画 か行
キング・オブ・キングス [DVD]
クリエーター情報なし
ワーナー・ホーム・ビデオ


当たり障りのないというか、これがキリストの物語ですという物語でした。

面白かったのは、ユダ、熱心党のバラバとの関係です。
バラバはイエスを利用して蜂起仕様としたけど失敗、イエスはそこでは奇跡を起こしてくれなかった。それならば、イエスを捕まえさせて目の前で奇跡を起こさせるしかないというユダの行動もわかりやすかったです。
イエスがバラバの変わりに磔にされることになって、ここに登場するバラバはそれを悔やんでるともとれるような複雑な描き方をしています。
あのあたりバラバの心境がもうちょっとわかりやすいとよかったかも。
パッションのバラバは本当にただのわけわからない殺人者でしたが。

長くて最後まで集中保てませんでした。


最後の誘惑

2012年07月14日 | 映画 さ行
最後の誘惑 [DVD]
クリエーター情報なし
ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン


磔にされた後に「なぜ見捨てたのか!」と叫んだ後に「目的は果たされた」みたいな・・・正確な言葉でなくて申し分けないですけど、その両極端なことばをつなぐための一つの試みとして、その2つの言葉の間に悪魔の誘惑に一度負け、あらためて悪魔を断ち切り神に仕える姿を描くことでつなげてしまうというのはとても面白いですね。

そこのテーマにあわせて人間的というか、俗物的とまではいわないのかわからないけど、きわめて一般人的なイエスという人物が自分の意思と関係なく神の声が聞こえてしまった。何で神が自分を選んだのかわからないことだらけという人間にして、エピソードもそういう立場であらためて解釈するとこうなって・・という、信仰している人には絶対認められない物語になっていると思いますが、その2つの矛盾するような言葉をつなぎ合わせるためのアプローチの仕方としてはとても面白かったです。

神様はある意味、人間の考える整合性とか関係ない存在です。この中に登場するイエスも「愛」と思ったら「斧」、そして「磔」という、神の言葉に従ったらそんなめちゃくちゃな行動になってしまっわけですけど、その矛盾は人間の中での矛盾であっても、神にとってはなんでもないこと。仮定はどうあれ、結果を道武器出すためのプロセスだから、その間にイエスがどう思われようが知ったこっちゃないわけですね。その辺の神の人間から見たいい加減さが出てる気がしました。これは、旧約聖書の中のそんなことしなくても、最初からこうしてれば良かったのにとつい思ってしまう浅はかな人間には、神の考えがわかるわけがないという決め付けに対する皮肉にも感じました。

同時に奇跡や言葉で人気が出テ来る自分へのおごりから自分の母を「あなたは誰?」みたいに言わせてしまっているところも、面白い。宗教的解釈も、ちょっと間違うとただの若造の付け上がったセリフになってしまう。

ヨハネやイエスが、それまでのユダヤ教と異質な終末的というか、ええじゃないかみたいな、あとは野となれ山となれ的な雰囲気を出しているところもとてもよかったです。


パウロとイエスのやり取りも面白い。イエスはあそこで死んで価値が出た。生き残ったとしてもそんなことは価値がない。パウロがうそつきかどうかということでなくて、パウロの生きる道に必要なのはイエスの存在そのものでなくて死んでよみがえって天に昇ったイエスであったのかなあ・・・と。イエスに会ったことのないパウロであればこそ余計そうなんだろうと、なんとなく感じました。いってることがよくわからないですね。

自分がイエスの何に惹かれるかというと、いろいろ人に対するやさしさとか、苦しみに葛藤する人間的なところで、こういった違うアプローチからいろいろ考えるのも面白いということですね。

国立西洋美術館に行ってきた

2012年07月07日 | 博物館・美術館・資料館
数日前から漠然と美術館に行きたいと思っていました。
最近キリスト教の本を何冊か読んでいて、キリストの描かれている絵を見てみたいとなんとなく思っていて、それならやっぱり西洋美術館だろうなんて考えていました。

6日に行こうかなと思っていて、5日にたまたま寄ったデパートのチケット売り場に目をやったら、ベルリン美術館の特別展示をやっているチケットに目が入り、よくよくみると、西洋美術館って書いてあって・・・これは神様の思し召しだとおもい、友達を誘っていくことに。

雨が降りそうないやな天気でしたが美術館に入るまでは降らずにいてくれて、見物している最中は結構本降りでしたが、美術館を出るころには雨もほとんどやんでいて、これも神様の意思なのかもしれません。

場当たり的な行動でしたけど、結果的には大当たり!でした。西洋美術の400年を学ぶと書いてありましたが、その400年は、やっぱり宗教と・・・キリスト教と結びついていることも感じられて、とてもよかったです。

本を読んでいて、ある程度の知識を得た上でその絵を見たので、少しは深いところでできたかもしれません。
絵の中に表現されているエピソードがどこの場面なのか、正確な認識には程遠いにしても、想像できて、とても楽しかったです。
その中でも聖カタリナさんが書いてある絵がとても印象的で何でも、殉教した人は棕櫚の葉を持っていて、カタリナさんがかかれるときには拷問で使われた車輪が描かれているとかで、その人の特徴的な「しるし」で誰を書いているのかを伝えているところがすごく面白くて、偶像を認めないキリスト教ではありますが、聖書の文字を読めない庶民にもこういった形でいろんなことを絵と言葉で伝えて信仰を広げていったのだろうと思いました。

最初の方の彫刻では、彩色の跡があっるとか書かれていると、なんかすごく歴史を感じて、どんな彩色が施されていたのだろうかと、思いをはせたりなんかしちゃって。
彩色といえば、この前見た大英博物館のギリシャ彫刻のやつ、白い大理石がギリシャの特徴だと思っていたのは間違いで、実は極彩色が施されていたというから驚きです。そんなのも見たこともあって、余計そこは気になりました。

この美術展の売りだった首飾りのやつは、人だかりもあったこともあって、軽く見てスルーしてしまったので、今考えるともったいないことをしたと思いました。図録の表紙にもなっているほど、超目玉だったはずなのに。それをスルーするなんて。ホームページの壁紙をダウンロードしてみてますが、それでは光のなんたらは感じられないのでしょうね。

というわけで、美術・芸術にも歴史があるとあらためて感じました。
歴史的な価値、政治的、歴史的背景もそうですが、そのころの技法なんかも歴史に制約されているし、そういったことも考えて一つの作品を見ると、平面だった一つの絵が立体的に見えてくるかも。そんなことを考えました。