唐茄子はカボチャ

映画と音楽と・・・

フィギュアSP、キム首位・真央2位・安藤4位

2010年02月24日 | スポーツ
フィギュアSP、キム首位・真央2位・安藤4位(読売新聞) - goo ニュース

いやー・・・いつの間にか始まってしまってましたね。
金さんはすごいですね。かわいいだけじゃない。本番で力を出し切れるってすごい。

でも、浅田さんも2位ということで、演技は見てないけど、これも、力をちゃんと出しているということでしょうか。

やっぱり、ライバルといわれている2人の争いは、どちらかがミスで自滅して・・・と言うことじゃなくて、しっかりと力を競い合う形で決まってほしいものです。

2人ともすごいですね。ちゃんと結果を出してくるんだから。

そして、安藤さんも頑張ってほしいです。
前回は悔しい思いをしたと思うので、くいの残らないように。
結構ババーンといっちゃったりして・・・



ニュールンベルグ軍事裁判-ヒトラー第三帝国最後の審判-

2010年02月23日 | 映画 な行
ニュールンベルグ軍事裁判-ヒトラー第三帝国最後の審判- (2枚組) [DVD]

株式会社アネック

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ドイツの戦争犯罪人を連合国が裁いたニュールンべルグ裁判を3時間のドラマにしたものです。アメリカの作品です。まあ、この場合、主人公の側はアメリカだから、まだ許せます。
この裁判で、ただ、戦争をしたということでなく、人道に対する犯罪という新しい概念をうちだしました。
まだ、前半しか見ていませんが、最後に出てくる「強制収容所」(さっきの本でいう絶滅収容所かな?)の実録フィルムは、気持ちを重くします。被害者は当然そのときのことを思い出し、目をそむけてしまうだろうし・・・そして、裁判の傍聴をする人も追及する側も、裁判長も、実際の加害者の人たちも、その多くが、初めて見たその光景に、言葉を失ったでしょう。人間が、ここまで悪魔になれるのかと。
そういう衝撃があったはずです。
それまではただの数字でしかなかったモノが、ひとりひとりの犠牲であることがこの映像で結びつくわけです。ヒトラーを信望して、ドイツのための国づくりと思っていた信念も、この映像で動揺したかもしれません。

ニュールンベルグはそのとき廃墟でした。あのヒトラーの映画で党大会を開催したあの美しい光景はまったくありません。瓦礫の山が続くだけです。

後半に続く・・・・

なぜか不倫しちゃいますが…
まあ・・それはいいとして、いよいよ後半部分です。
判決が出ます。

ひとりひとり、4つの項目で有罪かどうかをそれぞれ、読み上げ、結果が出されます。

①侵略戦争などの共謀への参加
②侵略戦争などの計画、実行
③戦争犯罪
④非人道的犯罪

流れで見ると、やはり、3と4について有罪だと判決も重くなってます。

調べたら、ニュルンベルグ裁判も結構批判も多いみたいですね。
実際のこの裁判の歴史的意義というか、どうだったのでしょうか。
いずれにしても、ドイツのえらいところは、その裁判の後、国が自ら、戦争犯罪を追及しているところです。

人は人を裁く権利はあるんでしょうか。人が人の死を決めてしまう死刑って・・・正義のための殺人はあるんでしょうか…正義の基準は?なんて考えて行くと、よくわからなくなってしまいます。

恐ろしいのは、ユダヤ人を殺すことを何とも思っていないことです。この人たちにとって、ユダヤ人を殺すこと自体がドイツのための正義だったわけです。

被告の人たちの家族や看守とのやり取りなんかで人間的な一面も見ることができます。人間であると同時に人間でなくなれるところが人間の恐ろしいところです。

人ってなんだろうか…

最後の、絞首刑のシーン、死刑が続いていくのを見ているうちに、だんだん何でこの人たちが殺されていくのかわからなくなっていきます。

人が死ぬということに大きな抵抗感があるから当たり前ですが・・・

逆に、人を殺し続けると、その抵抗感も薄れるんでしょうね。それが日常になるから。

ゲーリングが、アメリカに対して、広島や黒人差別のことを言って、アメリカのやっていることとドイツのやっていることのどこが違うんだ!?というところは、正直何も言えないですよね。

正義の法廷を取り仕切る国家が、正義の国家とは限らないですもんね。そこでいろんな矛盾もあったのかもしれません。政治的要素が濃くなればなるほど、本来の裁きとはずれて行ってしまいますからね。

ソ連もそうですよね。それんだってまともな国家じゃないですもんね。

この裁判は、歴史的意義はありつつも、矛盾もあったということなんでしょうか。もうちょっと勉強してみないとわからないですね。


ドイツは過去とどう向き合ってきたか / 熊谷 徹

2010年02月22日 | 
ドイツは過去とどう向き合ってきたか
熊谷 徹
高文研

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ドイツが過去の戦争とどう向き合ってきたのか、政治、教育、司法、民間の取り組みの各分野で紹介してくれます。

「過去との対決」と書いてあるように、ドイツがヒトラー・ナチスの時代の行った行為と正面から向き合って、損害賠償とか、教育、侵略された国との教科書の共有化とか、自ら戦争犯罪人の裁判をずっと追及していることとか、国をあげて徹底しています。
それと、極右が力を伸ばしている今の現状も書いてありました。

そこには、東西に分断された歴史があります。西ドイツの徹底振りに比べて、東ドイツでは、共産党がナチスを打ち破ったと言う宣伝には使われても、そのことにあまり力を入れていなかったようです。ナチスの残党は西側にいるみたいな感じで・・・

そして、ベルリンの壁が崩れてからの貧富の格差と、その後の不況が、極右勢力を伸ばしている結果になっているらしいです。

なるほどと思ったのは、ドイツ(西ドイツといったほうがいいのかな?)が被害国に対してきちんと向き合っている今の状況を作り上げるにも歴史があったというところです。戦後はまだ、ドイツ戦没者の追悼というだけのものだったらしいです。60年ごろから、アウシュビッツの裁判などが公になる中で、ナチスの体制に対する批判が高まって、当時ナチスに関わっていた人たちが追求されるようになり・・・でもその時期にはまだ、体制批判と言う形で、あまり被害者に対しては焦点が当てられていなかったようです。
今のような、被害者へ目が向くようになったのは、79年からだそうで、「過去と向き合う」と一言で言っても、長い年月をかけて、国と国民の認識になっていったことがわかりました。

そして、過去へ向き合うことで、「歴史リスク」を無くしてきました。歴史リスクとは、その歴史によって、ドイツは周りの国との関係が、ずたずたな状態だったわけです。歴史的なリスクを背負ったまま戦後のドイツが始まったわけです。
ドイツは、それを日本のようにあいまいにせず、過去の歴史に向き合う姿勢をとることで、外交で信頼を勝ち取ってきました。それは、企業も同じで、自らの企業がナチスにどう加担していったのかを明らかにすることで、信頼を強め、シェアを拡大する結果になったそうで、日本との違いが良くわかる話ですね。
ポルシェ博士が兵器オタクのヒトラーを喜ばせるために超重戦車「マウス」を設計したという話のところはつい笑ってしまいました。

様々なエピソードがところどころで出てくるところもとてもいいです。
戦争責任とか、戦争自体を考えるときに、理屈のところだけでなく、やはり感情の部分で知ることが大事だと思います。

強制収容所と絶滅収容所があることをはじめて知りました。

障害者安楽死計画の実践で、70,238人が殺されたそうです。シャワー室のようなところに連れて行って、「これからシャワーを浴びますから服を脱いで」と、閉じ込めて、一酸化炭素で窒息死させたらしいです。それを、職員は「消毒」といっていたそうです。消毒行為によってお金の節約になった・・・と、そんな報告もしていたようです。

日本も、戦争に向き合う必要があることをあらためて感じました。
いろいろ勉強になるなあ・・・

これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である

2010年02月21日 | ありがたいお言葉
I'm, ah... at the foot of the ladder. The LM footpads are only, ah... ah... depressed in the surface about, ah.... 1 or 2 inches, although the surface appears to be, ah... very, very fine grained, as you get close to it. It's almost like a powder. (The) ground mass, ah... is very fine.
いま着陸船の脚の上に立っている。脚は月面に1インチか2インチほど沈んでいるが、月の表面は近づいて見るとかなり…、かなりなめらかだ。ほとんど粉のように見える。月面ははっきりと見えている。

I'm going to step off the LM now.
これより着陸船から足を踏み降ろす。

That's one small step for (a) man, one giant leap for mankind.
これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である。

ザ・ムーン

2010年02月21日 | 映画 さ行
ザ・ムーン スペシャル・エディション [DVD]

角川エンタテインメント

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つきにたどり着いた人間は数人しかいないんですね。あれから科学が進歩しても、ただ、それだけしかいないというところが何か感じるものがあります。

月の映像も、その時のフィルムを使っています。結局、あのときの映像しか、ないんですねえ・・・まあ、月の計画があれで終わっちゃったんだから当たり前だけど・・・・

その貴重な映像と、当時のクルーたちの証言で綴られたドキュメント映画です。

月からみる地球の美しさに感動です。

月に行ってしまったという経験だけで、新しい価値観、世界観がうまれてしまうんですね。
月を見て、月から地球を見て、帰って来たら、この美しい地球で生を授かっただけでも奇跡であり、喜びであり、宇宙的な視点で、自分の生活を考えるものさしができてしまうのかもしれませんね。

月に行けたのは3人、一人は月の周りをまわっていて、2人が月面に降り立つ。地球ができて人類が誕生して、長い歴史を積み重ねて、その中でたったの数名しか月に降りていないってすごいことです。
でも、逆に、ただ、それだけのことと言えばそれだけのことかもしれません。

宇宙の開発は、最初はソ連とアメリカの競争だったわけですが、それはかなり政治的思惑ではあったとしても、科学者にしてみれば、自己実現だったんだろうと思います。政治とは関係なく、その競争を受け入れたのかもしれません。お互いの思惑が一致した状態ですね。

政治的な月面着陸の意味なんて小さなことは歴史の中で意味を失うけれど、科学にとって、人類にとって、まさに一人の一歩は小さいけれど・・・人類にとって歴史的な一歩(だったかな?)だったんでしょうね。


20世紀少年 <最終章> ぼくらの旗

2010年02月21日 | 映画 な行
20世紀少年 <最終章> ぼくらの旗 通常版 [DVD]

バップ

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最後の演奏が終わって、ケンジとカンナが抱き合ってカンナが号泣するところは良かったです。あと、そのあとの過去に戻ってからは少し良かったかな・・・
あとは・・・

映画が好きで映画を作りたいとか、映画の中にメッセージを込めたいとか、映画を通して何かをやりたくて作った映画じゃないと思うので・・・ただ、なにかのイベントのようで・・・ただの計算式のようで・・・そんな映画でした。演技もあてがわれたって感じで、せりふは話をつなげるためのただの文字な感じです。

映像も、それっぽく作りましたって感じで、何か事務的というか・・・

まあ、今の日本らしいといえば日本らしいか。

四十にして惑わず

2010年02月21日 | ありがたいお言葉
子曰、吾十有五而志乎(干)学、
三十而立、四十而不惑、
五十而知天命、六十而耳順、
七十而従心所欲、不踰矩。

子曰わく、吾十有五にして学に志す、
三十にして立つ、四十にして惑わず、
五十にして天命を知る、六十にして耳順がう、
七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。

(訳)先生が言われた。「私は十五歳で学問に志し、
三十になって独立した立場を持って、四十になってあれこれ迷わず、
五十になって天命をわきまえ、六十になって人のことばが素直に聞かれ、
七十になると思うままに振舞ってそれでも道を外れないようになった。」

毎度、勝手に抜粋してすいません・・・

白バラの祈り -ゾフィー・ショル、最期の日々-

2010年02月18日 | 好きな映画・良かった映画
白バラの祈り -ゾフィー・ショル、最期の日々- [DVD]

レントラックジャパン

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1943年2月18日、ゾフィー・ショル21歳は、ミュンヘン大学本部棟で兄ハンスと反ナチスのビラをまいて逮捕、2月22日に裁判で死刑判決、その日の内に兄ハンス、友人のクリストフとともに処刑されてしまいます。この話は、実話です。最初に新たな証言も取り入れて物語にしているようなので、かなり真実に近いのではないかと思われます。
ドイツが降伏するのが1945年5月7日だから、終戦の2年ほど前になります。

つかまってから5日間、どのようにゾフィーが考え、信念を貫いたのかが描かれています。

つかまって最初の方は、ノンポリだから、面白半分でおいてあったビラをばら撒いたと言って、誤魔化して釈放されようと思っていたようです。そして、釈放の一歩手前で、また呼び戻されて、事実を突き詰められて、彼女は一転して、自分の主義主張を堂々と論じる立場に立つわけです。

そこからの彼女は強いです。というか、その前のしらを切るところから強い人だとは思いますけど。いろいろ不安な中で、誤魔化す演技を貫き通したんだから。
そして、自分の主義主張を貫く立場に立ってからは、本当の強さが出たと思います。
ゲシュタポとのやり取りで、どんどん強くなっていったのかもしれないなあと、感じました。
調書をとった人との関係が何回かのやり取りで変わっていきますよね。最初は、しらをきるゾフィーに本当のことを言わせようとして・・・そして、ゾフィーが主義主張を認めたときには、仲間が誰なのかを聞き出そうとして・・・そして、最後は、ゾフィーに誤りを認めさせて釈放させようとして、それを拒むゾフィーに、何でそうまでして反逆するのかと、自分の信念をゾフィーにいいながら、ゾフィーの「誤り」を正そうとするわけですけど、もう、この時点では対等な立場での論争に感じました。それぐらい、相手の人も、ゾフィーの信念に感じるものというか、敬意を払った部分もあったのではないかと、思わせます。考え方が違っても、ゾフィーの語りドイツの真実の姿に、部分的だったかもしれないけれど、共感するところもあったと思います。戦争に負けはじめて、それまでの勢いを失い、何らかの疑問をそれぞれなりに感じ始めているころなんじゃないかと思うし・・・
あくまで自分がこの映画を見て感じたことですが。

いずれにしても、そのゲシュタポの人は、若くして命を失うことに対して、抵抗感が会ったのだと思います。これは人間として当たり前の感覚ですけどね。主義主張は違えど、やはり、若い人の死というのは、誰もが抵抗感を感じるはずです。

最初は若さゆえのまっすぐさだけで後先考えず突っ走れたかもしれないけれど、つかまってからのその数日間は、それだけでない、自分の考え、自分の生き方を命をかけて問う数日間だったわけで、追いつめられた状態で自分の生きる道を貫き通したところに偉大さがあります。

死刑になったとしても、99日間(だった?)の猶予があると思っていたので、まだ、死が遠いもので、それまでに新しい変化を求めていたのかもしれません。が、ゾフィーが思っていた猶予はありませんでした。
判決が下って、すぐ死刑とわかったときの、彼女のなんともいえない慟哭は、彼女にいきなり降りかかってきた死をどううけとめていいかわからない状態をとてもよくあらわしていると思います。

親との面会がとても辛いものでした。こんな若い息子と娘を失ってしまう親の気持ちを考えると本当に辛いと思います。でも、おとうさんは、それでも、筋を曲げなかった娘をほめてあげます。誇りに思うと。

娘の気持ちとしては、親に申し訳ない感情はある思うんですが、それをやわらげてくれる言葉です。

でも、本当の救いは、その言葉だけでなくて、もっと、親子の愛情の部分だと思います。

母親が「もう戻ってこないのね」といいますが、娘を愛する気持ち、感情的な部分で、娘に呼びかけた言葉が、また、彼女を強くしたような気がしてなりません。理屈のところじゃなくて、どんな状態でも、娘として受け入れてくれる、包んでくれる大きな愛というか・・・そういうものがあふれてるなと・・・そんな気がしました。
今の国家が認めないゾフィーを、理屈じゃなく、全面的に認めてくれる、ゾフィーの心を守ってくれる両親の存在を感じました。
あくまで、この映画を見た感想ですが・・・

実話なので、実際のやり取りは、また違ったかもしれないし、もっと、両親はうろたえたかもしれないしゾフィーも動揺したかもしれないし・・・

ヒトラーが独裁政治態勢をつくることができたのも、必然だったと思いますが、そのヒトラーの独裁政治が、ゾフィーを生み出す結果となって、ただ単に連合国に負けちゃったというだけじゃなくて、内的な矛盾も相当あったんじゃないのかなあ・・と思います。そして、ヒトラーの独裁の滅亡も、必然的に用意されたものなんだと思います。

白バラの祈り・・・ゾフィーの願いは、他国がドイツを任して独裁が終わるのではなくて、ドイツ人自身の手で独裁政治を終わらせたい・・・そういう願いだったと思います。

もう一つ・・・
法定で、一人は自己保身のために自分の主張を変えてしまいます。
お兄さんは、法定で、その彼をかばいます。
3人の処刑が決まって、3人で抱き合うシーンもあります。

自己保身は裏切りなわけですけど、それを許してあげられるところに2人の意志の強さとやさしさがある気がしました。

あのシーンで、死ぬ間際にお前は裏切り者だと言われてしまったら、肉体的な死と言うだけでなく、それまでの自分の生き方自体も殺されてしまうような、そんな気がしました。
自分自身にとっては、法定でのうろたえぶりは、それだけで、自己嫌悪になっているはずで、そを2人が責めてしまったら、それこそが本当の死刑宣告になってしまう。そう思いました。

2人は、彼と一緒に活動していて、一緒に生きてきた中で信頼もしているし、2人が気にしていたのは、妻もこどももいる彼が死んでしまうことは、彼の死だけにとどまらない、大きな犠牲を払ってしまうということだったのだろうと思います。

極限状態で、相手を思いやれる心、それこそが人間として一番強い心なんじゃないかと思いました。究極の赦しですね。