1976年 17作
宇野重吉さんがすばらしいです。
ただの一文無しの寂しい爺さんかと思いきや、そのあとの横柄な態度、そして、芸術家としての顔、ただの酔っ払いのじじいにならない品を感じます。逆に、絵描きの時のただえらそうというのではなくて、絵を仕事とする生き方に筋を通してると思うし、そこを貫き通すには頑固さもいるのだろうけど、だからといって、かたくなでなく、悩んだり人の言葉に耳を傾けたりする面も持っている。寅さんの話しをあれだけ真剣に受け止めてくれたところがすばらしいのです。
「絵は仕事で金儲けの道具でない」という言葉は深いのか浅いのか。わかったようなわからないような・・・たぶん先生は、「仕事」という位置づけに大きな誇りを持っていて、金のためにやるのでなくて、生きていく手段というか、自分が生きることそのものという事なのかもしれません。だから安易に金になるとか、権力にこびるとかでは絵はかけないのでしょう。
寅さんの先生に言い捨てたせりふは、一生懸命働いてためたお金を騙し取られて悲しんでいる人がいる時に、その「仕事」というのは人っ子一人助けることができないのか!?という、痛烈な批判だったような気がして、先生を悩ませたことでしょう。寅さんのせりふの前には先生の信念はなんとなくきれい事というか、社会の中にたっていない言葉のようにも感じます。
寅さんにはぼたんさんにどうすることもできない。でも、先生ならそれができる。できるのに何でやってくれないのか?こだわりを持つところが違うんじゃないの?ってことなんでしょうね。
悩んだ末に、それで先生はぼたんさんに絵を送ることにしたわけですが・・・
これが、ぼたんさんにとっては、その騙し取られた200万に還元できない大きな価値を持ってしまったというのは、やっぱり、その先生の金のためではないという信念が通じているような気もします。
芸術とか、人の心とかは、金では買えません。プライスレスです。
そう、ぼたんさんは、200万円の大金を騙し取られ、悲しい思いをしたけれども、お金で買えない、絵と、なにより、寅さんの思いやりをもらうことができました。
とらさんは、自分は何にもできないと思っていたかもしれないけれど、実は、ぼたんさんにとって一番大切なものを与えていたんですねえ・・・
テレビでは、母べぇの封切りもあるので、恋やつれをやっていたようです。どこかの誰かの思惑とは関係なく、自分は夕焼け小焼けです。でも、母べぇはみにいきますけどね。(2008-01-28)
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いやあ・・・泣いちゃいました。
ぼたんさんが寅さんの一生懸命さに大泣きしているのを見て自分ももらい泣きしてしまいました。目の下のところから搾り出すようにジュワッと出てぼたぼた机にこぼれた自分の涙を見て汚いなあ・・・と思いましたが・・・
それで、寅さんが先生のところにお願いした時の真剣な目。寅さん自身にはどうにもできない悔しさはあっても、先生ならこの気持ちわかってくれるし手を貸してくれると本気で思って悪いとは思いつつ、お願いするわけです。ぼたんさんの気持ちも先生ならわかってくれると・・・
それを断られて怒っ手先生を怒鳴っちゃう寅さんですけど、何で怒鳴っちゃったかというと、先生を信頼していたからなんでしょうね。
あの先生ならたてまえがどうとか、自分の身分がどうとかを物差しにしないで、ちゃんと人の気持ちがわかってくれて、人助けのためならきっと手伝ってくれると信じたのでしょう。
先生も寅さんの気持ちがわかったから、あそこで「なんだ?こいつ・・」と思わないわけですし・・寅さんが、金儲けのために利用しようとかは微塵も思っていないとわかっているから・・・(最初はかなり利用しようと思ってましたが・・・)
結果的に寅さんの考えは間違ってなかったわけですね。
欲を言えば、ぼたんさんとのエンディングのところ。もうちょっと2人の関係を深めてほしかったなあ・・・寅さんにあったときもっと喜んでほしかったなあ・・・信じられない・・・って感じだったのかもしれないけれど・・・