唐茄子はカボチャ

映画と音楽と・・・

小さいおうち

2014年02月14日 | 男はつらいよ・山田洋次
かあべえに続いて戦争中の暮らしの認識を覆されてしまいました。かあべえでは、子どもたちの服装やガスコンロが驚きだったわけですが、一部のレビューで見られた時代考証がめちゃくちゃという批判に対しての反論とも思われる、その当時を生きてきた人だからこそ作れる、当時のリアルな生活を描きたかったというのがこの作品の一つのテーマだったように思われます。あえて現代人のつまぶきくんにそんな勘違いのわざとらしいせりふをはかせてそれに反論する形で物語をすすめていきます。ちょっと説教くさい感じもしますが。
戦争の時代をひとくくりの同じものとしてとらえるのでなく、戦争の過程のなかでの人間の生活の変化、世相の変化、認識の変化をきちんととらえることの重要さをあらためて考えさせられました。
小説の時代考証がめちゃくちゃな少年Hや、戦争の一断片を抜き出して、美しいものに仕上げている永遠のゼロへの回答・・・という意味合いを持っているかどうかは知りませんが、そういう、山田洋次さんのその時代に生きた人間としての意地みたいなものを感じました。今の政治情勢や世相への危機感もあったと思われます。

小さいおうちで起こった事件についてもいろいろ想像するのが楽しくて、タキさんが彼を愛していたのか、逆に彼はタキさんを愛していたのか、奥さんの不倫の話だけでなく、そういう観点を持ってみるとまた面白いいろんなヒントとなるようなものをくっつけてみたり・・・。結論はあの展示されていた小さいおうちの絵に描かれていると思いましたが。
・・・そういえば、たきさんの家に小さいおうちの絵がありましたが、もしかしたら・・・戦後に2人は会っていたのかもしれないと想像を掻き立てられます。だからこそのタキさんが一生かかえこむほどの、最後の手記にも書かずに墓場に持って行くほどの罪とおもったのではないか、あの「わたしは長く生きすぎた」という言葉のなかには、そういう意味が込められていたのではないか…
いや、実は、たきさんは、あの時彼に会いに行っててそこで手紙を渡さずに…むふふ…となっていたのかも。

それともう一つ山田洋次さんらしいのは女性の身のこなしの美しさです。随所に女性の色っぽさを感じさせるシーンなんかもあって結構エロティックです。

一緒に見に行った友達とそんなこんなを話していて思った最後の自分の結論は、素晴らしい映画は人間を描くからこそその社会背景が描かれているし、社会背景を描きたければ、そこに生きてきた人間をきちんと描かなければいけないということです。そういう点でまたすばらしい映画を山田洋次さんはつくったんじゃないかなと思いました。