唐茄子はカボチャ

映画と音楽と・・・

沙羅双樹

2007年11月19日 | 映画 さ行
沙羅双樹 デラックス版

ジェネオン エンタテインメント

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またまたこんな映画です。
セリフが少なくて聞き取りにくい。でもやっぱりそんなことはどうでもよくて・・・・
スクリーンの中の人たちの生活を外から見てるだけのようにも思える。物語をわざわざ見る人に説明するでもなく、ただ、ドキュメントっぽくその人たちの生態を観察するというか・・・その中からなんか感じ取ればいいかなあ・・・って感じで、だから、完全にセリフが聞こえることがそんなに重要なことじゃなくって・・・ただ流れを感じ取ればいいのかなあと・・・

わからないシーンがあっても、その人たちの生活の流れがわからなくなるわけでもないし・・・

そんなある人たちの日常の生活をみせてもらいました。

やっぱり少し間違えば退屈な映画です。

だけど、そこに何かを感じさせてくれるのは、やっぱり、その生活のなかで、ちょっとした悩みとか傷ついたこととかがどこか自分の体験と共通するものを感じるからなのかもしれません。具体的にここがこう同じで・・・というのではなくて、漠然とそういう空気を感じるというか・・・

関係ない話だけど、この前、いわさきちひろのカレンダーの絵を友だちと見ていて、いろいろ話していたんですが、その絵は、クレヨンで一生懸命絵を書いている女の子の絵で・・・客観的に見れば線もハッキリしないし、目も黒い点だし、全然リアルじゃないのに、何でこんなにリアルに感じることができるのかなあ・・・なんて人間の感性ってすごいなと思ったわけです。書くほうも見るほうもですけど。
しかも、時代が変わっても同じように感じるというのは、やっぱり、その具体的な線とか、実際の絵の対象に忠実にとかそういうことじゃなくて、極力そういうものを省いていくことによって誰もに共通する普遍的な共感になっていくのかな・・・なんて・・・よくわかりませんが、そんなことを考えました。

これも、生きている場所も家族構成も生きてきた過程も違うけれども、そこをあえてこれはこうでなんて説明してなくて、セリフもハッキリしないことによって何か共通の感じるものを引き出しやすくするのかも・・・と思いました。

勝手に頭の中をぐるぐる膨らませていっただけですけれど・・・ね。

普遍的といえば、赤ちゃんが生れるシーンは、スクリーンの中の人たちと同じように涙が出てきたのが不思議です。

「死」も「生」も時代を超えて、場所も越えて、老若男女問わず、貧富の差を問わずみんなが抱えている大きな普遍的なテーマだ!