唐茄子はカボチャ

映画と音楽と・・・

チェ・ゲバラ&カストロ

2007年03月19日 | 映画 た行
チェゲバラとカストロ・・・と言いながら、ゲバラはおまけみたいな感じですね。カストロ中心です。

なんか、最初は踏んだりけったりでなかなか危ない状況を潜り抜けてきたんですね。山にこもってゲリラ戦で政権を覆す・・・カストロが「これはクーデターでない。革命だ」と言っていたのが印象的でしたが、体制を覆すためには国民の支持がなければいけないわけで、そういう点で、この戦いが国民に支持されるようにする努力をしたところがいいところだと思います。そして、捕虜を逃がすところも、国民のための革命であれば、そこでそういう選択をしたというのは好感がもてます。そのこと自体が軍事政権との対比でいい宣伝にもなるのでしょう。

あれよあれよという間に、革命が成功してしまいますが、そのあともうまくいったのかというと、そうではありません。やっぱり、経済的にも何もかもアメリカに牛耳られていた国が自分だけの力で国を再建するというのは、相当大変だと思います。アメリカもほっといてくれるわけでは無いですもんね。どうやって転覆するかをいろいろあれやこれやちょっかい出してくるのは当り前です。

それで、一番手っ取り早い道と言うことでソ連の力をということだったのかもしれませんが、ソ連の思惑は、純粋にキューバを救いたいと言う気持ちから手を差し伸べるわけでもないので、これもいろいろ大変なのでしょう。

そしてもう一つの困難は、自らの政策ですね。国民の支持を得て政権についたなら、国民の支持に支えられ、守られて革命は進むのでしょうけど、そのおおもとの「選挙」を否定したところは誤りでしょう。そのため、仲間も相当失ったのかもしれません。真の意味での国民の支持も得ることができなくなると思います。国民の意思を反映する場所がなきゃダメですよね。やはり、武力での革命というところが、結果的に体制まで民衆に依拠できない自信の無さにつながるような気もしないでもない。

ベネズエラを先頭に、いま、南米で新たな改革の流れが急速に広がっているようです。その後も続いてきたアメリカの支配から脱しようとする力がおおきくなって、新しい政権を誕生させています。以前に起きた革命との大きな違いは、こんどの「革命」(っていっていいのかな?)は、選挙で勝ち取っているということ。それが一番強い。ベネズエラのチャベスさんなんて、1度クーデターおこされて万事休すって時に国民がチャベスを救い、再び政権に戻したわけですからね。軍事に頼らない、選挙での革命は、一見ひ弱そうに見えても、実は国民の支持を絶対的に受けているという点で、一番強固なものになるのかもしれません。時には失政の中で政権の座を降りることがあっても、そうやって国民との関係でも鍛え上げられて強固な政府ができるのでしょう。

映画の話に戻って・・・映画の終わり方は、最後は革命が成功しました。その後も何事もなく革命は進みました。カストロ万歳!とはならないで、悩めるキューバ・・・悩めるカストロ・・・これからどこへ・・・という終わり方をしています。それも間違いじゃないんでしょうね。カストロの関わった仲間たちはその後は結構バラバラになって行くんですね。その辺も結構複雑なんですね。

やっぱり選挙に踏み切れなかったのは痛いかも・・・あの時にふみきっていれば・・・・なんてね。

さて、もう1人のゲバラですが、かなりこの人は英雄的に扱われますね。何を下人かは知らなくても、絵を見ればあの人だとわかります。何も知らずTシャツ着てる人もいるかもしれません。革命といえば・・・というか、ゲリラといえばこの人ってところもあるし・・・ああやって、殺されて見世物になったんですね。
国境を越えてというのがちょっと危険な感じがしました。民衆の支持とは違うところで戦っているようなそんな印象も受けました。この人は政治を変えるために革命をというよりはたたかう革命そのものに生きがいを感じてしまったのかもしれません。もともと、南アメリカ全土に革命を広めるというのが彼の考え方だったようですから、この結果は必然かもしれませんね。いつまでも同じやり方が通用するとは思えないし、相手はその上を行くわけですからね。民衆の心をつかむにはその国のことをよく知って、そこで何が問題化という分析もしなければいけないし・・・だから、革命請負人みたいなやりかたは、一部に熱烈なファンをつくっても、結果的に民衆からの孤立という結果になるんじゃないのかなあ・・・

また、いろいろ考えちゃったなあ・・・
もうやめようねえ・・・・

というわけで、王子様と革命ですよ。またこれだよ。