ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

「を」と「で」の違い。

2005年12月27日 07時28分24秒 | 日本語教師のお仕事
「教科書を教える」と「教科書で教える」

これはぼくが学部で勉強している時に、先生から教えてもらった言葉。ま、工夫をするかしないかの違い程度に考えてたし、学部の時から分かったつもりでいたんだけど。昨日でとりあえず今年の仕事が終わり、その後つらつらと考えていたら思っていた以上に深い言葉かもなぁと思い出した。

「教科書を教える」のはとりあえず、載ってることを教えればそれですむような気がする。せいぜい教科書に載ってることが深く理解できていれば、それで授業は問題なく進むような気がする。

で、難しいのは「教科書で教える」の方。教科書に振り回されるんじゃなくて、自分の授業の一部に教科書を組み込む。自分が授業をどうしたいのかというポリシーがないとそれはできない。それから目の前にいる学生に「何か伝えたい、共有したい」っていうもっと大きなメッセージがないと材料をどう調理するかも決まらない。実際に授業中に熱くふるまうかどうかは別として、伝えたいもの、共有したいものがないと、どんなに頑張っても「教科書で教える」という授業はできないと思う。「@@で教える」の「@@」のところは別に教科書に限らなくって、事前に用意したものを淡々とこなすか、それとも本当に対話するかという違いがあるように思う。

そういったメッセージは学習者をじっくりと見ることで初めて出てくるようなものだと思う。だから、学習者と対話しないことには「教科書で教える」ということはできない。単に会話なら「教科書を教える」でもやってるとは思うけどね。

それから本気で対話をするなら、授業をどのように進めるかということ、学習者の性格や特徴、キャラなんかをどう生かすかということも関係してくる。場合によっては自分が描く理想の授業だとか、教師の役割を変える必要がある時もあるだろうと思う。

何かここまで話が広がると自分でもうまくまとめきれないけど。でも、「@@を教える」と「@@で教える」の違いはそれくらいに深いものだと思う。このことについてじっくりと考え、反省し続けたら教師として、また成長できそうな気がする。
コメント
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