ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

リアリティ

2008年09月13日 21時17分06秒 | いろいろ
韓国日記。半分、意地になってきてます。何に対する意地なのかは分からないけど(笑)。

翌日、その翌日(最終日)もソウルで。インサドン(ふらふら&おみやげ購入&カフェに)、宗廟、景福宮、韓国の昔の家屋が残っているところ(で、伝統的な楽器を聞いて)、ロッテマートでおみやげ購入と。インサドンおカフェはめっちゃ雰囲気良くておいしいんだけど、高い。日本よりも高いんちゃうかな。宗廟、景福宮は広くて、両方とも良かった。景福宮はこれから歴史の本を読んだりする時に実感湧くんやろうな。日韓併合の舞台として登場するもんな。

そうそう、インパクトがすごく強かったのは西大門刑務所跡の歴史記念館。日本が占領していた時に作られた刑務所で、政治犯、独立運動家に対して理不尽な拷問や処刑が行われていたところ。当時の建物が一部そのまま残っており、中に入ることもできます。刑務所だけど、れんが造りの建物で一見、すごくきれいです。芝生も整備されてて。でも、展示もそうやけど、実際に使用されていた建物の中に入ると空気が一変。すごく重くのしかかってきます。理不尽に命が奪われた痕跡がそのまま残されています。周りがきれいに整備されているし、住宅街の中にあるので、そのコントラストにいろいろなことを考えさせられます。

ここでも、子ども向けのツアーなどがくまれてました。小学生くらいの子が何人かでグループになり、指導員のような人が付き、一緒に回ってました。

「反日教育」、「偏った歴史教育」、「いつまで謝罪が求められるのか」、「もう既に謝ったのに」、そんな意見もあるかもしれませんが、加害と被害とでは歴史の意味が全然違うこと、歴史を二国間の昔の過ちとして終わりにできるか、それとも人が犯す過ちとしてこれからの子どもたちにきちんと伝えないといけないとするかで全然違うなぁと。日韓に限らず、二国間の昔の過ちとして処理できることが加害側の特徴なんだろうなって思う。そうやって処理できるのはリアリティがないから。立場の違いによる実感するリアリティの違いは、いわゆる(社会)科学で事実として扱われることとは違う次元で扱わないといけないんだろうな。

文才がないので、これ以上は伝えられないのが本当に残念です(苦笑)。でも、これが対話を構成する根本なんやろうね。体験してないものへのリアリティをどこまで想像するか、で、どれだけがんばって想像したとしても、それはリアリティには到底およばないということを前提に(受け止めて)話を始めること...というよりも、むしろ耳を傾けることか。これって他者の尊重にもつながる部分なんだろうな。



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対話。

2008年09月13日 20時17分02秒 | いろいろ
今日もワークショップ。うちの事業全体を市民と一緒に考えるワークショップ。テーマは「居場所って何?」、「自分たちの活動しやすいグループとは?」、「エンパワメントって何?」の3つ。参加者が自分の興味にあわせてグループに分かれて、よく使われている言葉で大事だって分かるけど、中身あやふやでへたすりゃ危険って言葉をじっくり自分たちの言葉で消化するワーク。みんなで考えて、意見出し合ってってというきわめてシンプルなワーク。

キャッチーな言葉ってすぐ伝わりそうで、意外に何も伝わらないことも多いし。今年の初めに里見実さんが来てワークショップをした時も「"unlearn"という言葉を定義してみる」ってお題だけやって。でも、信じられんくらい刺激的な話し合いの場になったもんなぁ。

で、ぼくはグループ・組織論やったんやけど、めっちゃ勉強になりました。なかなかタフなテーマやったけど、おもしろかったし、刺激受けました。透明性、ボトムアップ、権力を排除する仕組み、参加の原理、公共性、対話などなど、出てきた表現はもっと平易な言葉やったんやけど、出てきた内容はそういうことで。で、こういうワークをすると不思議と刺激を受けるだけでなく、場を共有し一緒に考えたということから人間関係も深まるもんね。実際、これまで対立していたような人がワーク後には普通にみんなと話をして帰っていったもんなぁ。立場や意見の相違がどうであれ、鎧を着ずに、とにかく平場で話をすること。ほんま大事やなぁ。

ぼくもそれなりに勉強してるつもりやけど、でも、現場で活動している人が集まったワークショップはすごいなぁと改めて感じました。ファシリテーターの一人やったんやけど、途中で「こりゃ、ほっといても大丈夫や」って感じやったんで身乗り出して参加してました(笑)。
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戦う理由。

2008年09月13日 06時42分28秒 | いろいろ
何で、戦争はなくならないのか。憲法であれだけ戦争放棄をうたっておきながら、軍備に力を入れるのか。平気で海外へ「派兵」するのか。そうしたい理由というのがよく理解できなかったけど、わりと納得。


シンシア・エンローは「軍事化とジェンダーー女性の分断を超えて」(思想2003年3月号)において、ヴァージニア・ウルフが1938年に公刊した反戦エッセイ『三ギニー』に論及しながら、「軍事化というのは、何かが徐々に、制度としての軍隊や軍事主義的基準にコントロールされたり、依存したり、そこからその価値を引き出したりするようになっていくプロセス」であり、そこでは「男らしさ」が特権化され、それゆえ一部の男性と女性が周縁化されることを明らかにしている。

~『抗う思想/平和を創る力』阿部浩己著


実際には経済的な側面(成長しないと市場を支えられないという事実)も考慮に入れないとだめなんだろうし、他にどういったことが関係するか、までは分からないけど、妙に説得力を感じた。

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