韓国日記。半分、意地になってきてます。何に対する意地なのかは分からないけど(笑)。
翌日、その翌日(最終日)もソウルで。インサドン(ふらふら&おみやげ購入&カフェに)、宗廟、景福宮、韓国の昔の家屋が残っているところ(で、伝統的な楽器を聞いて)、ロッテマートでおみやげ購入と。インサドンおカフェはめっちゃ雰囲気良くておいしいんだけど、高い。日本よりも高いんちゃうかな。宗廟、景福宮は広くて、両方とも良かった。景福宮はこれから歴史の本を読んだりする時に実感湧くんやろうな。日韓併合の舞台として登場するもんな。
そうそう、インパクトがすごく強かったのは西大門刑務所跡の歴史記念館。日本が占領していた時に作られた刑務所で、政治犯、独立運動家に対して理不尽な拷問や処刑が行われていたところ。当時の建物が一部そのまま残っており、中に入ることもできます。刑務所だけど、れんが造りの建物で一見、すごくきれいです。芝生も整備されてて。でも、展示もそうやけど、実際に使用されていた建物の中に入ると空気が一変。すごく重くのしかかってきます。理不尽に命が奪われた痕跡がそのまま残されています。周りがきれいに整備されているし、住宅街の中にあるので、そのコントラストにいろいろなことを考えさせられます。
ここでも、子ども向けのツアーなどがくまれてました。小学生くらいの子が何人かでグループになり、指導員のような人が付き、一緒に回ってました。
「反日教育」、「偏った歴史教育」、「いつまで謝罪が求められるのか」、「もう既に謝ったのに」、そんな意見もあるかもしれませんが、加害と被害とでは歴史の意味が全然違うこと、歴史を二国間の昔の過ちとして終わりにできるか、それとも人が犯す過ちとしてこれからの子どもたちにきちんと伝えないといけないとするかで全然違うなぁと。日韓に限らず、二国間の昔の過ちとして処理できることが加害側の特徴なんだろうなって思う。そうやって処理できるのはリアリティがないから。立場の違いによる実感するリアリティの違いは、いわゆる(社会)科学で事実として扱われることとは違う次元で扱わないといけないんだろうな。
文才がないので、これ以上は伝えられないのが本当に残念です(苦笑)。でも、これが対話を構成する根本なんやろうね。体験してないものへのリアリティをどこまで想像するか、で、どれだけがんばって想像したとしても、それはリアリティには到底およばないということを前提に(受け止めて)話を始めること...というよりも、むしろ耳を傾けることか。これって他者の尊重にもつながる部分なんだろうな。
翌日、その翌日(最終日)もソウルで。インサドン(ふらふら&おみやげ購入&カフェに)、宗廟、景福宮、韓国の昔の家屋が残っているところ(で、伝統的な楽器を聞いて)、ロッテマートでおみやげ購入と。インサドンおカフェはめっちゃ雰囲気良くておいしいんだけど、高い。日本よりも高いんちゃうかな。宗廟、景福宮は広くて、両方とも良かった。景福宮はこれから歴史の本を読んだりする時に実感湧くんやろうな。日韓併合の舞台として登場するもんな。
そうそう、インパクトがすごく強かったのは西大門刑務所跡の歴史記念館。日本が占領していた時に作られた刑務所で、政治犯、独立運動家に対して理不尽な拷問や処刑が行われていたところ。当時の建物が一部そのまま残っており、中に入ることもできます。刑務所だけど、れんが造りの建物で一見、すごくきれいです。芝生も整備されてて。でも、展示もそうやけど、実際に使用されていた建物の中に入ると空気が一変。すごく重くのしかかってきます。理不尽に命が奪われた痕跡がそのまま残されています。周りがきれいに整備されているし、住宅街の中にあるので、そのコントラストにいろいろなことを考えさせられます。
ここでも、子ども向けのツアーなどがくまれてました。小学生くらいの子が何人かでグループになり、指導員のような人が付き、一緒に回ってました。
「反日教育」、「偏った歴史教育」、「いつまで謝罪が求められるのか」、「もう既に謝ったのに」、そんな意見もあるかもしれませんが、加害と被害とでは歴史の意味が全然違うこと、歴史を二国間の昔の過ちとして終わりにできるか、それとも人が犯す過ちとしてこれからの子どもたちにきちんと伝えないといけないとするかで全然違うなぁと。日韓に限らず、二国間の昔の過ちとして処理できることが加害側の特徴なんだろうなって思う。そうやって処理できるのはリアリティがないから。立場の違いによる実感するリアリティの違いは、いわゆる(社会)科学で事実として扱われることとは違う次元で扱わないといけないんだろうな。
文才がないので、これ以上は伝えられないのが本当に残念です(苦笑)。でも、これが対話を構成する根本なんやろうね。体験してないものへのリアリティをどこまで想像するか、で、どれだけがんばって想像したとしても、それはリアリティには到底およばないということを前提に(受け止めて)話を始めること...というよりも、むしろ耳を傾けることか。これって他者の尊重にもつながる部分なんだろうな。