ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

韓国

2008年09月06日 22時00分13秒 | もろもろのこと
夏休み、韓国に行きました。スタディーツアーに参加したのですが、かなり濃い日程のツアーで。1週間ちょっとだったんだけど、その間、安山の外国人支援の施設の見学、NGO訪問、国際結婚の国際シンポジウム参加、地方に移動して韓国女性の電話の支部を二か所訪問し、ツアーが終了してからも独立記念館や景福宮、西大門刑務所跡などを訪れました。

シンポジウムに大いに刺激されたし、市民活動の生の声を聞くことで励まされたこと・うれしかったことも多々あり。また、歴史認識の違い、歴史に対する距離感の違いを感じることも多かった1週間でした。

それらを忘れないうちにちょこちょこ書いていこうかなと。

最初は2日目の安山訪問。ソウルから車で1時間くらいのところの町で、外国人労働者がたくさんいるところ。正確な数字はよく分からないけれども、7~8万いるうちの6割をこすぐらいの数が外国人。ここは工場団地が作られた時に外国人が急増したらしい(メモ等を職場に置いてきたから正確ではないけど)。日本でいったら豊田とか浜松、大泉のような感じかな。

平日やったけど、町を歩くと外国語の看板を掲げた店も多く、タイ語、ベトナム語、インドネシア語なんかがあった。支援の拠点としては行政が中心となってたてられたセンターとNGOの施設とがあったんだけど、行政の方はとてもきれいな建物で支援の内容も韓国語の支援だったり、近隣の学校への講師派遣のほかに銀行が施設内に入っていたり、多言語での相談業務も行われていて。あと、家族訪問のためのお金も模範外国人を対象に行ってるみたい。職員の雇用形態も公務員という位置づけで安定している感じ。でも、NGOを訪れてから何となく印象は変わったなぁ。NGOの方では相談を中心に子どもの学習支援や母語の活動もしてた(と思う)し、本当にしんどい人がたどり着き、ほっとできるような施設。やっぱり建物ってばかにできないなぁということを感じた。NGOは教会をバックにした組織なんだけど。行政とNGOとで多文化を売りにするための一つのリソースとしてとらえるか、それとも人権をベースにした活動とするかで全然違う印象を受けた。

韓国では日本でいう在留特別許可のような仕組みもなければ、アムネスティもなく。オーバーステイから正規滞在への道はなく。スリランカとベトナムの人の話をNGOで聞くことができたんだけど、スリランカの人はオーバーステイで小さな子どもがいるんだけど、その子が学齢期になれば帰国せざるを得ないという話。学校から親がオーバーステイだということが分かってしまうから。もちろん、子どもを学校に行かさなければ韓国にいることはできるけど。ベトナムの人は国際結婚で韓国に来たものの、一年も立たないうちに夫が死別し、さらに妊娠。今は一人で子どもを育てているらしい。日本以上に家制度、男尊女卑が厳しい韓国では外国人の嫁は子どもを産んでくれればそれで十分ということも多いらしい。彼女は将来の夢としてベトナム料理の店を作り、生計を立てたいと語ってくれたけど、ベトナムで小学校卒業の学歴しかない彼女にはいくつも高いハードルが待ち受けてる。途中で語ることができなくなってたけど、その「語ることができない」部分にこそ、ぼくには想像しても想像し切れないしんどさや辛さがあるんやろうな。こうやって文字にしてしまうと、軽くなってしまうけど。声なき声を聞こうとすることは大事だけど、そもそも声なき声をぼくは聞くことができるのかって問題は大きいな。

で、韓国での国際結婚の話は次のシンポジウムへと続いていきます。

...あまりに濃密な時間って文字にすると、ほんと、うすっぺらくなるなぁ(苦笑)。

コメント
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