一筋縄ではいかない問題を解決しようとする際には、正しい考え方ばかりでなく「違う」考え方をする人々と協力し合うことが欠かせない。複雑な物事を考えるときは、一歩後ろに下がって、それまでとは違う新たな視点からものを見る必要がある。
こんなバタバタの中やけど、今やらなあかん!ということで家探し。
あーもっとお金があれば…と思う。何が気になるか、パートナーと全然視点が違って面白い。
最終選考に残った3つのうち、3番目のものに決める。でも、かなり納得。
おもろいな。話をしながらポイント絞って詰めてく中で、こんなにも決まらんと思ってたものが、すーっと「これや」という気持ちになり、絞れていく。
話をして、視点をすり合わせて、気持ちをすり合わせて、決めていくって夫婦の間でも大事やなって思う。
あとはほんまに準備とかできるんかって不安は残るけど、まーなんとでもなるかな。
よくないことやけど、全然感情の抑えが効かない。腹が立つことが山のようにあり、職場にいることがしんどく感じる。あほらしく感じることがしばしばある。
よくないなー。
みんなが自由にやるのとたがが外れるのは紙一重やなって思う。今さらばりばり働けはないけど。
まーそれがええとこでもあり、弱みでもあるかな。
読めるか読めないか。
読めないならまだしも、逆なでされるとかちんとくる。
コーディネートには取り組み合わせ(協力)もそうだけど、ゴール合わせ、目線合わせ、意識・考え合わせ、気持ち合わせなどいろんな次元のすり合わせがいってくる。
協力してやろうという期待に結び付くかどうか。
部下や上司や市民や行政と一緒に仕事するのもコーディネートの範疇。
放任主義がはまるかはまらないかはその人による。指導がハマるかハマらないかはその人による。
学ぶ側によってはこの部分は指導が必要、でもここからは放任でいけるとか、まぜこぜなのが普通で、どちらか一つのケースは少ないと思う。
きちんと測って投げかけて、その反応を見て、またそれにあった投げかけをして…という調整の繰り返しによる積み重ねが大事だと思う。
そこまで考えないと言うか、考えられないことも多いし、それはあきらめるしかないか…と思うこともあるけど。
でも、簡単にはあきらめられへんくって。
主体が違うということにあまり気が付かない人が多い。
主体が違うし、どちらをどれだけふんだんに自分の中に取り込んでるかで人間観も大きく違ってくる。
けど、そんなことが振り返られることは少ないと思う。面談とかでは、必要に応じてという話にはなるけど、そこまでやらんとあかんのやと思う。
この概念というか理念は結び付くべきものだし、どう考えても大事なもの。
でも、理念と現実はなかなか一致しない。
今はこうあるべきという方向性はあるけれども、現実との距離の乖離に推進力を失っているんかなって思う。
どう融合させて落とし込んで具体的にしていくか。
それをしたい。進めたい。それがないとのみこまれるんやろうな。
基本的に自分の所属している組織の仕事は自分の住んでいる基礎自治体がその範囲。
なんだけど、今年はほかの自治体からの仕事の依頼が多い。単発の研修会の講師がほとんどだけど、3回程度の研修や意見交換会のファシリなど、これまでとちがったものも。
何ができるか、どういう提案が芯を食ったものになるか…考えるときに、やっぱり土地勘って大きいなって思う。その土地で人がどうやって暮らしているか、どんな人が暮らしているか、どうして外国人が増えてきているのか…などなどの基礎的な情報…というか肌感覚がないと理解は難しいし、理解が難しいと芯食った提案なんてできないなって思う。
個々の人の課題や悩みに対するケース対応だけでは十分ではないもんな。
少しでも役に立てばいいなと思うし、立てるようにがんばろう。
なんだけど、今年はほかの自治体からの仕事の依頼が多い。単発の研修会の講師がほとんどだけど、3回程度の研修や意見交換会のファシリなど、これまでとちがったものも。
何ができるか、どういう提案が芯を食ったものになるか…考えるときに、やっぱり土地勘って大きいなって思う。その土地で人がどうやって暮らしているか、どんな人が暮らしているか、どうして外国人が増えてきているのか…などなどの基礎的な情報…というか肌感覚がないと理解は難しいし、理解が難しいと芯食った提案なんてできないなって思う。
個々の人の課題や悩みに対するケース対応だけでは十分ではないもんな。
少しでも役に立てばいいなと思うし、立てるようにがんばろう。
帰りにコンビニでお酒を買う。
いつも350mlの缶3本やけど、少し酔う感じやし、今日は本数減らそうと思い、2本にしたところまでは良かったけど、足りなかったら嫌やなと思い、500mlにする。
いつもと一緒か…
とことんまで話して詰めていきたい人と、ふわっと何となくいいと思っている人、加減ができずにどうしても詰めてしまう人も、がんばってもフワってなってしまう人も、どっちも大事ということやな。
そこに排除や序列や、そんなんを持ち込んだらあかんわな。
他の人のことを思って書いたけど、それと同じぐらいの強さで自分にも向かってきたので自分も反省…。
せやんな。
実現できるか分からんしとっちらかった話やけど思ったことをわーわー言う人と、そこから具体的に何ができるか考える人と。
一緒に話をするとお互いに結構いらいらするこたもあるし、ストレスも溜まるし、噛み合わないけど。
どっちも大事やし、双方ともにどっちも大事やということを頭の中から消さないことが大事。
どっちかになることが多いけど。
いらいらするし、ストレスはたまるねんで。お互いにお互いのことをわかっとらんな!って思うねんで。
その上でどっちも不十分で、組み合わせようと思っても勢いを削ぎ合ったりするんやけど、どっちも大事。
・組み合わせの問題
・目線合わせこそが対話の本丸であるはずが、目線合わせを申し出た時点でめんどくさい人フラグが会社側から個人に対して立つことが少なくありません。
・言えないから癒えない
・自分で考えろが職場のキーワード
・むしろ、自身で積極的に判断する熱量を失ったり、自己判断をとがめられたり、朝令暮改で指示自体が容易に変更されてしまう…などといった職場の意思決定パターンの側に問題があり…
・組織の何がこの人を追い込んだのか?を再考することが必要でしょう
社会モデル的な発想で個人的にはとても共感する…で、個人モデル的な職場にどう切り込むか、切り込めるのか
何だかんだと考えごとでいっぱい。本当は時間をかけて考えたい、と言うか時間をかけて考えないとできないことも、なかなかかけられない。
自分が下っ端として働いているときのトップは本当に忙しそうだったし、その姿を見て、ここまでやらないと社会は変わらないのかと思ったことがある。要領よくやってる人や効率的にやってる人は、それなりにしかできへんねんなと思った記憶がある。
それはそことき、たまたまそうだっただけかもしれないけど。自分がどこまでやれるかはさておき、ってか、どうでもよくて、社会がどこまでよくなるかやな。
ばたばたして余裕がなくなり始めると、かつかつ感が増すのが悪いクセ。どこまで楽しんでやれるか、どこまで自分のプラスの経験にできるか。
頭をすばっと切り替えられるかやね。