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まい・ふーりっしゅ・はーと

京都発。演奏会や展覧会、読書の感想などを綴っています。ブログタイトルは、ビル・エヴァンス・トリオの名演奏から採りました。

大西順子 meets 京都市交響楽団

2024-12-25 18:53:15 | kyokyo
2024年12月21日(土)15:00 開演 @ロームシアター京都・メインホール
指揮 : 角田 鋼亮 / 管弦楽 : 京都市交響楽団
ピアノ : 大西 順子 / ベース : 井上 陽介 / ドラムス : 吉良 創太


            *  *  *  *  *

● 大西順子トリオ
今回のコンサートのコンセプトは、ジャズとクラシックというジャンルの垣根を越えた邂逅と融合。前半の第一部は、大西順子トリオ単独のステージから。私にとっては、お元気だった頃の渡辺香津美さんのカルテットを聴いて以来のことで、なんと5年ぶりのことになりました。

ちなみに、大西順子さんは京都府城陽市のご出身だとか? これは初耳でした。スタイリッシュで、心地よい緊張感が漂うピアノ・トリオ。甘さを抑えたビターなテイスト。個々の奏者のアドリブ・ソロというよりは、トリオとしての機能性、練度の高さに重きを置いたインタープレイを堪能しました。

ラストナンバーこそ、この季節定番のクリスマス・ソングで、「歌うベーシスト」こと、井上陽介さんのヴォーカルをフィーチャーした「Let it snow」が採り上げられましたが、それ以外は、彼らのオリジナル曲で貫いたところに、このトリオの自負というか矜持のようなものを感じました。

● ガーシュウィン : キューバ序曲
後半の第二部は、角田鋼亮=京響のステージから。ガーシュウィンの管弦楽曲では、2016年1月の第597回定期(広上淳一さん指揮)での、ジャズの要素をたっぷり盛り込んだ「パリのアメリカ人」の演奏が印象に残っていますが、今回はところ変わって、中南米・カリブ海から「キューバ序曲」という選曲です。

当時(1930年代)、この地域で流行していた「ルンバ」のリズムや旋律などをモチーフに、陽気で快活、開放的な気分が溢れる作品。とりわけ、4人の打楽器奏者が奏でるマラカスやボンゴなどのパーカッションが、民族色豊かに、華やかな彩りを添えてくれました。

オーケストラの音響については、日頃聴いている「シューボックス」型の京都コンサートホールとは異なり、縦長というよりは、「垂直的な高さ」に特徴のあるロームシアター京都のホール空間ということもあって、当初は耳に届く響きに違和感を覚えました(三階席の後方で聴いていました)。演奏が進み、耳が慣れてくるにしたがい、その違和感も徐々に解消されていきましたが…。

数年後には、本拠地である京都コンサートホールの大規模改修工事が予定されており、当然ながら、定期のメイン会場は、こちらのロームシアター京都に移行されることになります。自分にとってのベスト・ポジションを見つけるまでには、いろいろと試行錯誤の必要がありそうです。

● ガーシュウィン : ラプソディー・イン・ブルー
プログラムのメインステージは、大西順子トリオと京響とのコラボによる、ガーシュウィンの代表作。京響による同曲の演奏では、山下洋輔さんをピアノ独奏にむかえた、2009年4月の大阪特別公演(広上淳一さん指揮)や、2022年11月の第673回定期(フライデー・ナイト・スペシャル)での、指揮&ピアノ独奏でマルチな才能ぶりを発揮したリオ・クオクマンさんのステージが、鮮烈な印象を残しています。

今回の演奏の大きな特徴は、大西順子さんへのインタビュー記事にあるように、「カデンツァはほぼ全部変えて、オーケストラのパートに繋げて仕上げるというスタイル」というところにあります。ピアノソロの部分は大幅に(大胆に!)拡充され、ピアノトリオを加えてのカデンツァとなり、より一層、ジャズ色の強いものとなりました。大西順子さんお目当てのジャズ・ファンの方々にとっても、満足度の高い演奏になったものと思います。

指揮の角田鋼亮さんは、2023年4月の「京響スプリング・コンサート」に続いて、聴く機会を得ることになりました。そのときは、ギターの大萩康司さんをソロに迎えて、ロドリーゴの「アランフェンスの協奏曲」が披露されましたが、独奏者の個性、魅力を引き出すことに長けた、協調性の高い指揮者という印象を受けました。今回も、「異種格闘技」のようなセッションにありがちな、無意味な主導権争いなどは感じられず、(もちろん、双方にプライドはあったとは思いますが…)互いにリスペクトし合う姿勢が素晴らしく、そのことが熱狂と興奮のステージを生んだ要因になったと思います。

少々、「主役」の座を譲った感のある京響でしたが、曲の随所に散りばめられたソロパートでは、よりジャズ色の強いフレージングやリズムで楽しませてくれました。何より、楽団員の皆さんが楽しそうにスイングされていたのが、印象に残りました。さながら、ストリングス付きのビッグ・バンド・ジャズのような、ゴージャスでエキサイティングなステージ。ひと足早いクリスマス・プレゼントをもらったような、贅沢な気分に浸りつつ家路につきました。



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京都コンサートホール × 京都市交響楽団 プロジェクト vol.5

2024-11-28 11:56:59 | kyokyo
2024年11月23日(土・祝)15:00 開演 @京都コンサートホール・大ホール
指揮 : 井上 道義 / 管弦楽 : 京都市交響楽団


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● ブルックナー : 交響曲第8番 ハ短調(第2稿ノヴァーク版、1890)

○ 私のブルックナー体験
現代オーケストラの主要レパートリーの一つである、ブルックナーの交響曲。京響の定期でも、これまでに幾つかの名演、熱演に接することができました。まず私が最初に聴いたのは、第0番(ノヴァーク版)で、下野竜也さん指揮の第608回定期(2017年1月)でした。続いて、高関健さんの指揮で第5番(原典版)、2017年5月の第612回定期のことでした。さらに、再び下野竜也さんの指揮で、第1番(リンツ稿、ハース版)、2018年7月の第625回定期で聴いています。

比較的演奏機会や録音も多い第4番「ロマンティック」は、異なる二つの版で聴く機会がありました。2019年10月の第639回定期、ラルフ・ワイケルトさんの指揮で、ノヴァーク版第2稿を。直近の演奏会では、2023年11月の第684回定期、シルヴァン・カンブルランさんの指揮で、1888年稿、コーストヴェット版で聴いています。二つの版のどこがどう違うのか、私にはまったくわかりませんが、指揮者によって使用する版が違うのは、とても興味深いところです。

○ 井上道義 × ブルックナー交響曲 第8番
そして今日は、ブルックナーの交響曲での「集大成」とも言える第8番。しかも、この12月30日をもって、指揮活動から引退される井上道義さんの、京響でのラストステージとなります。クラシックを聴き始めた頃の、あの「わくわく感」が甦ったようで、ちょっと興奮気味に当日を迎えました。

大聖堂を思わせる巨大な骨格と、強靭で引き締まった装飾、広壮な神聖空間。演奏時間も80分に及ぼうかという大作。集中力が途切れそうになるのを何とか持ち堪えて、聴き終えた後の喜びに満ちた充足感、達成感。もちろん、ライブゆえの細部における綻びや粗はあるにせよ、京響の演奏能力の極限値にまで迫った、それはそれは圧倒的なパフォーマンスと呼べるものでした。

その中でも、とりわけ私の心(魂)を大きく揺さぶったのは、威風堂々たる「凱旋」の行進曲を思わせる第4楽章の主題。身体の内奥から湧き上がってくるパワーとエネルギーが充填されていき、ついには頂点に達する高揚感、陶酔感。さながら、全知全能の「神」のような存在にでもなったかの如く、ヒロイックな感情に支配されました。

また、この交響曲は、それとは対極にあるようなしみじみと情感に満ち、滋味あふれる旋律とか、例えるなら、「視界が開け、眺望の開けたところに出た」ときに感じる、広やかで伸び伸びとした気分を感じさせる響きとか、ひと括りでは言い表せないような多彩な魅力を兼備しています。さらに、ブルックナーが自身の交響曲の中で、初めて用いたとされるハープがとても印象的で、かつ効果的な働きをしていました。それは、まさに天上からの響きのように、清らかで美しく、癒しの音色がホール全体に広がっていきました。

○ 道義さんのエピソード&最後に
井上道義さんと京響との関わりにおいて、私が特に触れておきたいのが、2011年2月の第543回定期(オール・モーツァルト・プログラムでした)での、終演後のステージでのトーク(たぶん、プレトークではない?)について。それは、「京響の管楽器セクションの充実は素晴らしいが、それに比べると、弦楽器のセクションは物足りない。プレーヤーの皆さんは、もっと頑張るように!」という内容の、元音楽監督&常任指揮者という立場だからこそ言える、叱咤激励のスピーチでした。その後の弦楽器セクションの演奏技術、音楽性の飛躍的な向上は、楽団員さんたちのたゆまぬ努力と精進の賜物であり、衆目の認めるところとなったのは、皆さんもご存じの通りです。そういう意味では、ここが大きな転機になったのではないでしょうか。

現在、国内のトップ・オーケストラのひとつとして挙げられるまでに発展を遂げた京都市交響楽団。その躍進の礎を築いた主要な人物として、音楽監督兼常任指揮者「井上道義」という名前は、京響ファン並びにクラシック愛好家の胸に、永遠に刻まれるに違いないと思います。本当に、長きにわたるご指導ご鞭撻、どうもありがとうございました。最後に、感謝の気持ちをこめて…



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京都市交響楽団 第695回定期演奏会

2024-11-21 16:54:19 | kyokyo
2024年11月16日(土)14:30 開演 @京都コンサートホール・大ホール
指揮 : 鈴木 雅明 / 独奏 : ジョシュア・ブラウン(ヴァイオリン)/ 管弦楽 : 京都市交響楽団


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● モーツァルト : 歌劇「ドン・ジョバンニ」序曲
オーケストラはやや小ぶりな編成ながらも、引き締まった力強い響き。バロック・アンサンブルのテイストを感じさせながら、オペラの劇的な要素も加え、これから続くステージへのわくわく感を盛り上げてくれました。

プログラム・ノートには、この序曲は初演の前夜にはまだ完成されておらず、ほぼ徹夜の状態で作曲され、何とか間に合わすことができたというエピソードが紹介されていました。モーツァルトの天才性を示すと同時に、周囲の迷惑を顧みない、自由奔放で勝手気ままな性格が窺い知れる逸話で、興味をそそられました。

今回客演指揮の鈴木雅明さんは、バッハ・コレギウム・ジャパンを創設以来、バッハ演奏のスペシャリストとして、国内外を問わず高い評価を得られている方です。当初予定されていた京響常任指揮者、沖澤のどかさんが第2子ご出産のため、急遽、代役として、京響定期の登場となったという次第。それにしても、何とも豪華すぎる「代役」ではありますが…。

● ベートーヴェン : ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品61
このジャンルでの最高傑作の一つとして演奏機会の多い作品ですが、京響の演奏会では、2013年10月の第573回定期で、ジョン・アクセルロッドさんの指揮、アレクサンドラ・スムさんの独奏で聴いています。また、2017年7月の第614回定期では、世界的な名手、ピンカス・ズーカーマンさんを迎えて、広上淳一さんの指揮で聴いています。

今回のヴァイオリン独奏は、若き俊英、ジョシュア・ブラウンさん。指揮の鈴木雅明さんから見れば、お孫さん世代の演奏家と言えます。みずみずしく伸びやかな美音、安定した余裕のテクニック、初々しさ、清潔感のあるパフォーマンスは、さすがに評判に違わぬものでした。また、第1楽章では独自のユニークなカデンツァを披露するなど、若手演奏家らしく意欲的に挑戦する姿勢もうかがえ、好感が持てました。愛情深く寄り添うかのような鈴木雅明=京響の協奏も、素晴らしいものでした。

最後に、このカデンツァについて。元々、ヴァイオリン協奏曲として書かれた本作品を、ピアノ協奏曲用に編曲したのは、他ならぬ作曲者のベートーヴェン自身。その際のピアノ独奏部のスケッチをベースに、このカデンツァは引用、構成されています。さすがに、アーノンクール&クレーメルの録音のように、独奏ピアノまでは登場しませんでしたが、それでも、軽めの乾いた音色でリズムを刻むティンパニとの呼応は実に効果的で、印象深いものでした。

● ドヴォルザーク : 交響曲第6番 ニ長調 作品60
今年は、ドヴォルザークのメモリアル・イヤーに当たるわけではありませんが、9月の第693回定期では、阪哲朗さんの指揮で「チェコ組曲」(作品39)を聴いています。加えて、この演奏機会の少ない第6番の交響曲を聴けるという、貴重な機会に恵まれました。また、ドヴォルザークの若い番号の交響曲では、2021年3月の第654回定期で、広上淳一さんの指揮で、第7番(作品70)を聴いて以来のことになります。

確かに、第8番や第9番「新世界より」の交響曲ように、一度聴いただけで心を鷲掴みにされるような魅惑的な旋律、響きがあるわけでもなく、どちらかと言えば、まだまだ洗練途上といった、野暮ったい(生真面目なそうな)感じを受ける曲想が続きますが、その分、正統的ながっちりとした構築の中に、ボヘミア風の民族色の強いテイストが感じられます。

それにしても、凄まじいばかりの鈴木雅明=京響の演奏。高い熱量と推進力。いわゆる「バッハ演奏のスペシャリスト」という、一般的な固定観念は軽く吹き飛ばされてしまいました。あたかも、快進撃を始めた頃の広上=京響の、豪放で開放的なサウンドが甦った感じで、思わずうれしくなりました。凡庸な指揮者なら、少々冗長で退屈に聴こえなくもない作品を、「鳴らす、鳴らす!」といった感じで、ぐいぐいとドライブしていく、まさに圧巻のパフォーマンスといえるものでした。

            *  *  *  *  *

2017年2月の第609回定期には、弟の鈴木秀美さんが、同じく、2023年1月の第674回定期には、息子の鈴木優人さんが、それぞれ京響に客演指揮されており、今回、満を持しての雅明さんの客演で、鈴木ファミリーの御三人が揃って京響のステージに登場という、記念すべき定期演奏会になりました。


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京都市交響楽団 第693回定期演奏会

2024-09-24 14:15:37 | kyokyo
2024年9月21日(土)14:30 開演 @京都コンサートホール・大ホール
指揮 : 阪 哲朗 / 管弦楽 : 京都市交響楽団

阪哲朗さんの前回の登場は、2020年8月の京響第648回定期。当時は新型コロナウイルス感染症拡大の真っ只中で、ステージも客席も十分な間隔をあけ、マスク着用・手指消毒など万全の対策をした上で、ようやく開催にこぎつけることが出来たものでした。プログラムも、当初予定されていたものから大幅な変更を余儀なくされ、ヴィヴァルディの協奏曲集「四季」(ヴァイオリン独奏は石田泰尚さん、阪哲朗さんはチェンバロを担当)と、レスピーギの組曲「鳥」という、室内楽オーケストラの演奏会のようなものとなりました。本格的なオーケストラ作品のプログラムという点では、今回の京響定期は、阪さんにとってのリベンジ・コンサートという意味合いを兼ねています。

            *  *  *  *  *

● ドヴォルザーク : 交響曲第8番 ト長調 作品88
第9番「新世界から」と並んで、ドヴォルザーク作曲の人気の交響曲。京響の演奏会で採り上げられることも多く、2016年2月の第598回定期では桂冠指揮者の大友直人さんで、2018年9月の「京響スーパーコンサート」では常任指揮者の広上淳一さん(当時)と、京響ゆかりの指揮者で聴いています。

今回の阪哲朗さんは、主にヨーロッパの歌劇場でキャリアを積まれ、現在はお隣の滋賀県立びわ湖ホールの芸術監督を務められています。さすがに、オペラ畑で活躍されてきた方だけに、旋律の歌わせ方、テンポの動かし方、ダイナミックな劇的な表現などに「歌ごころ」を感じさせるもので、オーケストラをコントロールする熟練した手腕を披瀝する演奏となりました。

● ブラームス : ハンガリー舞曲集から
プレトークで、阪哲朗さんは今回のプログラムを評して、「メインを皆さん(聴衆)の集中力が一番高い最初に置き、後半はアンコール曲のようなワルツ、ポルカが続く…」と仰っていました。また、「ドヴォルザークはチャイコフスキーと並んで、屈指のメロディーメーカーであり、一方のブラームスは構成力に卓越した編曲家(アレンジャー)である」という旨のコメントをされていました。

阪さんにしても京響の皆さんにしても、年間の主要なスケジュールの一つとして、小・中学生を対象とした音楽鑑賞のコンサートを実施されています。学校の教科書に載っているような、有名曲の演奏は手慣れたもの。加えて、ご自身がクラシック音楽に魅せられ、音楽家の道を目指す「きっかけ」となったであろう作品が並ぶプログラム。未来への夢や希望に胸をふくらませた少年少女の頃に戻ったかのように、楽しそうに指揮、演奏されている様子が感じ取れました。

● ドヴォルザーク : チェコ組曲 ニ長調 作品39
ドヴォルザークの作品の中では、初めて聴くものでした。曲想は、いわゆる「国民的作曲家」の作品にありがちな、熱烈な祖国愛、民族独立への思いをベースにしたものというよりは、豊かな国土と自然の恵みに感謝し、質朴ながらも、ささやかな幸福に包まれた暮らしぶりを慈しむ心情などが、いきいきと表情豊かに描かれています。全5曲の組曲のうち3曲に、チェコ由来の舞曲が採用されており、村人たちが祝祭(祭礼)の舞踊に興じる様子が、まるで目に浮かぶような演奏でした。

全体的な印象として、阪哲朗さんの音楽に対する真摯な取り組み方、誠実なお人柄がにじみ出るような演奏でした。ともすれば、マーラーやブルックナー、はたまたショスタコーヴィチなどの大曲、難曲を採り上げる定期は、非常に集客力が高く、人気の演奏会になることは必至なのですが、今回のような、よく知られた有名曲をずらりを並べて、幅広い客層の方が楽しめるような演奏会の企画も、それはそれで十分に魅力的だということを再認識させていただきました。阪さん、どうもありがとうございましたっ☆



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第28回 京都の秋 音楽祭 開会記念コンサート

2024-09-16 15:18:57 | kyokyo
2024年9月14日(土)14:00 開演 @京都コンサートホール・大ホール
指揮 : 杉本 優(すぎもと・ゆう)/ 独奏 : 高木 竜馬(ピアノ)/ 管弦楽 : 京都市交響楽団


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● メンデルスゾーン : トランペット序曲 ハ長調 作品101

● シューマン : ピアノ協奏曲 イ短調 作品54

● ブラームス : 交響曲第2番 ニ長調 作品73

京都市出身の杉本優さんは、京都堀川音楽高校から京都市立芸術大学にピアノ専攻生として進学、その過程で指揮者への道を目指すようになったと、プロフィールに記載されていました。その後、ブザンソン指揮者コンクールでは、連続してセミファイナリストに選ばれるなど世界的に注目を集め、現在では、ドイツのブレーメン歌劇場の指揮者として、着実に地歩を築かれている新進気鋭の音楽家です。

今回のプログラムでは、杉本さん自らがドイツ・ロマン派の3作品を選曲されたそうで、シューマンのピアノ協奏曲では、ウィーン留学時代に苦楽を共にした高木竜馬さんとの、うれしい共演が実現しました。演奏後のアンコールでは、ほほ笑ましい連弾を披露。ブラームスのピアノ連弾集から有名な「ワルツ第15番」、感傷的な青春の香りがする演奏でした。

3曲のうち、オープニングのメンデルスゾーンの「トランペット序曲」は、全く聴いたことがない作品ですが、他の2曲は日頃からけっこう聴く機会のある作品です。京響の演奏会でも、シューマンのピアノ協奏曲は、2020年のニューイヤー・コンサートで、岡田奏(おかだ・かな)さんのピアノで聴いています(指揮は、クレメンス・シュルトさん)。また、ブラームスの「交響曲第2番」は、あの世界的な指揮者&ピアニストのアシュケナージさんの指揮で聴いています(2015年11月、京響第596回定期)。

今回の杉本優さんに限らず、若手の音楽家が抜擢されてステージに上るとき、私も含めて、これまで名前すら知らなかった聴衆は、「まずは、お手並み拝見(拝聴)」といった、どちらかというと「批評家」のような冷めた態度で接しがちなところがあります。まして、過去の演奏会で違う指揮者による名演を経験しているとか、日頃から愛聴している録音があるとかの場合には、どうしても、それとの比較で、やれテンポがどうの、音色がどうの、フレージングがどうのとかを、あれこれ論じてしまう傾向があります。これらの厳しい先入的な条件を覆して、聴衆に満足するに足りる演奏を届けるのは、なかなかハードルの高いものと言わざるを得ません。

さて、今回の杉本優=京響の演奏は、正直なところ、可もなく不可もなくといった「平均点」の演奏で、特に魂が揺さぶられるような感動レベルにまでは届かない、といった印象でした。「京響なら、これくらいはやるだろう…」とか、「熟練した技量の指揮者なら、もっと違うサウンドを引き出せたのかも…」という思いが、どうしても拭いきれませんでした。ところが、ブラームスの「交響曲第2番」の最終楽章の演奏は、その印象を一掃してしまうかのような凄まじいものとなりました。オーケストラの躍動感、疾走感は申し分なく、まさに「唸りを上げる」ような、圧巻のクライマックスを築き上げました。

今回のキャスティング(京都コンサートホール・プロデューサーの高野裕子さん)に応えたいという熱い思いが、ビシビシと伝わってくるような演奏。指揮者「杉本優」という名前を、多くの聴衆の記憶に刻み込むことには十分成功した感。地元京都のご出身ということもあり、近い将来、京響定期への登場も期待されるような、インパクトに残るステージとなりました。



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