習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

柴崎友香『ビリジアン』

2011-04-30 19:35:51 | その他
10歳から19歳までの時間。その断片の数々が、こまぎれに描かれる。別にそこには、特別な何かがあるわけでもない。どちらかといえば、全く何もない。記憶のかたすみからこぼれ落ちてしまうような時間ばかりが取り上げられている。ほんの数分間のことだったり、半日くらいのことだったりはするけど、いずれもそこには何のドラマもない。

 各エピソードの時系列はバラバラで、10歳の頃から19歳の間を自由に行き来する。思い出した順で、並び替えることなく書かれてあるようだ。とある瞬間の何でもない出来事が綴られてある。読んだ鼻から忘れてしまうくらいにさりげない。だが、こんななんでもない時間の積み重ねの先に、今の僕たちはいる。毎日には特別なことなんか何もなく、退屈な日々のくりかえしだ。友だちとのたわいもない会話や、どうでもいいようなこと、辛いことや悲しいこと、どちらかと言うと苦しいことばかりだけれど、それもやがては忘れていく。映画を見て、ロックを聴いて、街を歩く。10代の時間は輝いてなんかいない。いつも重苦しい気分で、暗い顔をして、下を向いて歩いていた。でも、気付くと、そんな十代の日々も遠い昔のことだ。いつの間にか僕はあの頃よりももっと退屈な「大人」になっている。

 あの頃。「今いる世界」はとても狭くて、でも、この狭い世界の先には夢幻の可能性が広がっているように思った。いつか、そこに向かっていく。大人になるとはそういうものだと単純に考えていた。まず、大学生になると、それだけで世界が広くなり、大人になる、そんな気がした。大阪から京都に出ていくことが世界を広げる第1歩だと思った。しかし、現実はそんな簡単なことではない。

 この小説の主人公の女の子は、僕と同じように工場のある町に住んでいた。僕は子供の頃、大正区の商店街の中にある路地の中の狭いアパートで住んでいた。家の裏はパチンコ屋で、ちょっと行くと、工場ばかりで、商店街の先には海があった。(実際は川なのだが、当時はそれを海だと思った。)小学校の3年生まで、そこで暮らした。この小説を読んでいると、あの頃のことがよみがえってくる。彼女が住んでいる所も、僕の住んでいたところの近くなのだろう。あの頃の自分のことを考えると、暗い気分になる。小学校のかたすみで、ひとりぼっちで暗い目をしていた。家に帰ると、近所の商店街の子供たちと遊ぶのだが、心はいつもひとりだった。自分の家だけがお店屋さんではなく、それがコンプレックスだった。父親は、何をしている人なのか、わからなかった。あの街を去るまでの時間の記憶と、この小説の主人公の少女の時間が重なる。僕がそのままあの街で暮らして10代を迎えたなら、彼女のようになっていたのではないか、と思えた。これは僕にとって、記憶のパラレルワールドだ。とても懐かしい気分にさせられる。そんな小説だった。


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1 コメント

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地道な積み重ねを続ければね (ソルティ)
2011-07-23 23:50:07
地道な積み重ねを続けるとイイそうですよ。
柴崎さんの解説記事はこちら(↓)
http://www.birthday-energy.co.jp/ido_syukusaijitu.htm

「虹色と幸運」も出ましたね~。
2014年~15年に、とてつもない稼働力が自然界から
贈られる・・・とか。

今後がもっと楽しみですわ。

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